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余裕と余白。

みなさんこんばんは、カッパでございます。

通勤時間での出来事。
忙しく人が通る改札で思った。
顔つきが皆怖い。

余裕が無いから皆んな急いでいるんだ、
余裕が無い人を見ていて
息詰まった社会の中で生きてるんだなと
逆に可哀想に思った。

生きてるだけで充分なはずなのに、
人は幸せを求める。

まぁそうだろう。
不幸になりたいだなんて思う人などいない。

そんな幸せは人それぞれの形として存在する。

幸せに定義などない。
そこで考えてみた。
その幸せに向かうのには"余裕"がまず必要では
ないだろうかと。

そして僕は余裕という言葉を
余白として置き換える。
意味合いは一緒だ。

余白という言葉が用いられる場面は
主に絵画やデザインといった美を
重んじる場面だ。

例えばデザインや絵画における余白というものは
伝えやすくする為やその絵の美を際立たせる為に必要不可欠なもの。 

余白がないとデザイン全体において
ネガティブな印象が見受けられるし、
それこそ余裕が無い人を見ていてネガティブな
印象をもつのと一緒のことだ。

そんな余白を生きる上で考えてみた。

生きる中での余白。
別に一人で生きているだけでもいいのに
人は恋愛をして結婚して家庭を持つ。
それも一つの余白だ。

必要最低限以外の物を買ったりするのも
余白。
車や服や音楽もそうだ。生きる中での娯楽を求める。

そんな余白=余裕は人生においても
何にでも必要不可欠でそれが世の中に溢れれば
大袈裟かもしれないが戦争など争い事は
起こらないと思う。

人には余白が必要だ。
デザインにも余白が必要だ。

そして人は余白があれば無駄遣いをする。

また無駄遣いをして〜。

それは余白があったから
いいじゃないか。
無駄遣いをする事で人は余白を持っている事に
必然的になるのだから。

そんな無駄なものとして思われる事自体に
非常に意味がある。

もしも日本が戦争中で
明日死ぬかもしれない状況の中で
今世の中に溢れている娯楽という枠組みのものや嗜好品というものは無駄に値する。

だけどその無駄なものは世の中に余裕がありふれているから生まれるし、その無駄なものは
確かに人を豊かにしてくれるはずだ。

一番わかりやすいものでいうとそれが
音楽だと思う。

気分が落ち込んでいる時に聞いたり
何か勝負事の前に聞いたり
何気ない時に聞いたり
音楽はそうやって存在する。

それが余裕=余白。

そういった余裕=余白と位置付けされるものが
ありふれるように。

僕自身はそれを探求していきたい。

それは物でなくともなんでもいい。


何かを際立たせたい、
楽しみたい、
面白い事をしたい。

絵画やデザインだけでなく、

何にでも余白という美が必要だという事。

余白と余裕の言葉は一緒だが
美化された言い方かどうかだけだ。

余白と余裕。こんなものがありふれる
世の中でありますように。

僕はそんな事を考えている。

そして、
そんな事を考える時点で
今一つの自分の中で時間の余白が
成立する。

一見無駄に見えて、でも非常に大事な事。

余白の必要性とは?

それに全てが詰まっている。

ではまた次回お会いしましょう。


roof カッパ

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