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余白。

通勤時間での出来事。
忙しく人が通る改札で思った。
肩をぶつけても何食わぬ顔、
そして我が我がと時間に追われて
進んでゆく社会の大人達。

顔つきに緊張が走る。
社会の中で生きるとはそういうものなのか?
息詰まっている大人達は
社会の見本でもなんでもない。

その一方で余裕がある大人は
今日も遊んで暮らす。

同じ大人でも
まるで社会を大きく分断されているような
感覚。

その分断の震源地になるのが
余裕ではないだろうか?

余裕が無ければ犯罪も起こる。
余裕が無ければ人は争う。
余裕が無ければ心は死ぬ。

余裕がある事が人生を豊かにするといっても
過言ではないぐらいだ。

ただベースにあるのが
生きているだけで充分だという事。

余裕を持つという事はプラスアルファの
加点になるという事。

人が追い込まれた時に
必要だと感じる物事よりも
追い込まれた時に"無駄"だと
捉えられる物事に僕は着目したい。

それはあってもいいし、
無くてもいい、
でもあったらより良くなるよねっていう
物事にこそ僕は人が豊かになる
材料になりうると考えてる。

そんな材料としてカテゴライズされるのが
いわゆる嗜好品だと思う。

嗜好品は香りや風味を楽しむ目的に
摂取される飲食物。

じゃあ生きてく中でまず腹を満たさないと
生きていけない中で、果たして香りや
風味というのは一番重要な部分なのだろうか。

一番重要なのはまず腹を満たす事だ。
何も食べるものが無く、餓死寸前の人が
大量の白飯か風味と香りがいい食べ物
どちらを選ぶかと言われると
明らかに前者を選ぶだろう。

後者を選ぶ人はお腹も満たされた上で
プラスアルファとしての風味や香りを
楽しみたいとなるはずだ。


まあこれはかなり大袈裟な例えだけど、、

このように余裕と無駄は意味合い的には
紙一重だ。

余裕があるから無駄ができる。
(ただこの無駄というのは追い込まれた状況にて成り下がってしまう物事。)

これでありふれる世の中になるには?

そのテーマが真髄にある上で
また言葉を置き換えてみる。

それが僕らがこれから探求していく

"余白"に繋がる。

余白ってあまり生活する上で
聞き馴染みはないかもしれない。

それもそのはず、
主に余白という言葉が用いられる場面は
絵画やデザインといった美を重んじる場面だ。

例えばデザインや絵画における余白というものは伝えやすくする為やその絵の美を際立たせる為に必要不可欠なもの。 


余白がないとデザイン全体において
ネガティブな印象が見受けられる。

余白があるから美しさが際立つ。
余白というスペースがあるから
余裕が生まれる。

余裕があるから無駄ができるというのと
同じ感覚だと思っている。

綺麗にしたりとか美しく見せたりというのは
また一つの心の余裕から生まれるもの。

そんな心の余裕が、
無くても良いものを
豊かなものに転換してくれる。


余白と余裕はイコールだ。

余裕がある人はカッコいいとかも
正しくそうだ。

余白があるとデザインが綺麗に見えるのも
そうだ。

余白を作る、
心に余裕をもつ。

余裕を持って
あっても良いし無くても良いような
嗜好品と分類される物事達を捉える。

ただ余裕がなくなるとそれは本当に無駄なものとして成り下がってしまう。

"余裕を持つ"

"余白を作る"


この息詰まった社会で
自殺する人も多い。追い込まれて
心の中の余裕がなくなり最終、死という
選択を選んでしまう。

戦争もそうだ。まず人と人は争わなくてもいいのに明日死ぬかもしれない状況に勝手になってしまっている。

そんな社会の何が楽しくて
何を楽しめばいいんだろう?

僕らはのんびり、楽しく、社会の波に揉まれる事なく、余裕を持って生きていく。

それを僕らが発信することで
見せていけたらなと思っている。

そしてこれからお届けしていく物事は
そういった生きる上での余白的な部分に着目し僕らなりに考えた余白を届けていきたい。

一見無駄に思えることも無駄ではない。
その無駄は一つの心のスペースになり
心の余白になり得るのだから。

だからその無駄が余裕の無い状況にて
優先順位を下げてしまうのが
非常に勿体無いということ。

そうならない為にも余裕を作り出すことが
どれほど重要なのか。

僕は探求していく。

roof かっぱ

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