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三石巌全業績-17 老化への挑戦-6

三石巌の書籍で、現在絶版して読むことができない物の中から、その内容を少しずつですが皆様にご紹介させていただきます。



脳の栄養学

 われわれの体内には、脳もあり、胃もあり、心臓もあり、肺もある。それらの器官のなかで重要性のトップにくるのが脳だ。だからこそ、生死の判別に、また老化問題の中心に、脳の状態がおかれることになる。
 一方、われわれ生物は、死を約束されている。その原則がなかったなら、地球は生物であふれてしまうだろう。
だから多くの生物は、種族保存の仕事を終えれば、死にむかうことになる。すべての器官は機能を低めて、死の世界めがけて一斉に行進を開始するのだ。
 人間を万物の霊長として特徴づける器官は《大脳新皮質》であるが、その生体における歴史は特異的である。というのは大脳新皮質の主人公の地位にある《前頭葉》の発達が20歳から始まるというようなタイムラグ(遅れ)があるからだ。
 20歳といえば、起と承の区切りであって、諸器官の機能は頂点に達し、それ以後は、条件によっては遅速があるとはいいながら、徐々に下降するのが自然だろう。しかしそれは、大脳新皮質にあてはまらない。大脳新皮質に限っては、なかなか退行過程にはいらないのである。大脳に蓄えられた情報の量が最高になるのは50歳代、知能が最高になるのは75歳、記憶力は90歳まで落ちない、などという報告もある。
 これは正常な脳の場合であって、病気となれば話はちがう。脳の病気はいろいろあるが、病理が比較的よく知られているのがアルッハイマーだ。この原因が、ある種の胎児性タンパクの蓄積にあることが確認されれば、活性酸素除去物質の利用が、対策の一つとしてクローズアップしてくるはずである。
 腎不全患者は人工透析となるが、これには《透析痴呆》が伴いやすい。この場合、脳内アルミニウム濃度が高いことが知られている。アルミニウムは脳の敵なのだ。老人は、これをふくむ胃腸薬などに注意すべきだろう。
 生体の合目的性はタンパク質によって保障されるが、脳においても然りである。
 まず、タンパク質は脳の乾燥重量の40パーセントを占める。これは脳機能の主役の立場にある。だから、低タンパク食で脳の十分な働きを期待することはできない。酵素はすべてタンパク質であって、これが合目的な機能を保障している。低タンパク食は、酵素の不足を招くばかりでなく、神経伝達障害を招く。これは、無気力・無関心・集中力低下・知能低下・学習能力低下など、好ましくない現象として表面化してくることになる。
 記憶は学習の一つだが、新しい記憶があると、大脳内にタンパク質の新生がある。したがって、学習によって、脳内タンパク質の量はふえることになる。
 脳内タンパク質の半減期は2週間である。そのタンパク質の約半量は、14日で更新されるということだ。われわれは、それに見合うタンパク質をとらないと、脳を窮地に追いこむことにならざるをえない。
 大脳新皮質は容易に退行過程にはいらないとされているけれど、それは無条件ではない。頭を使うことも必要ではあるが、栄養不足では不利にきまっている。栄養物質の不足がちな開発途上国の住民に傑出した頭脳があらわれないのは理由のないことではない。
 脳は豆腐に油をぬったような代物で、水をはじく。これは脳に脂肪の多いことを示している。乾燥脳を調べてみると、その50パーセントは脂肪である。そしてその半分の25パーセントはリン脂質である。リン脂質のうち最も多いのはレシチンである。コレステロールの量も格段に多い。
 ノーベル賞といえば、それの受賞者を優秀な脳の持主と考えてよかろう。ところがその大部分が高脂肪食をとっていたという報告がある。機能はともかく、脳を構成するのに脂肪が必要とあれば、それを多くとる食生活が脳にとって有利であるにきまっている。脳には高度不飽和脂肪酸がとくに多いことからして、不可欠脂肪酸を十分にとることも、脳にとって有利ということになるだろう。ただし、脳におけるプロスタグラソディンの働きについては、まだ少ししか情報がない。
 脳には140億の細胞があるといわれてきた。これがすべて神経細胞(ニューロン)であるかどうかは疑問視されているが、つくられる数はこれよりずっと多い。整理のあげく140億になるのである。
 これについて私は次のように考えている。
 脳の発生を調べると、胎生期のある段階で、1分間に25万個の細胞ができる時期があるという。そのようにしてでたらめにたくさんつくっておいて、合目的なものだけを残して余分を消すという。これに対して私は、試行錯誤という表現をとる。
 この合目的でない細胞を消す作業は、胎生期の一時期におこるばかりでなく、20歳を越すと再開される。これは合目的でないものを処分する合理化であるから、それによって脳の機能の低下がおこるわけではない。それは平均して1日に18万個といわれ、これが死ぬまでつづくのである。脳細胞の整理は、栄養補給の効率をあげるうえで合目的である。
 ニューロンは録音テープを仕込んだ電話機にたとえることができる。うけた情報を記録することもでき、テープの音を再生することもできる。ニューロンの出している樹状突起の数は、1個あたり10万本に及ぶ。脳の回線の数は世界中の電話局の回線数よりはるかに多い。
 本書では生体の合目的性に着目してきた。すべての器官は原則として合目的性をもつ。体内にアルコールがはいれば、肝臓はそこから水素をぬきとってアセトアルデヒドに変える。これは毒物だから、さらに水素を抜きとるしくみになっている。そこから先は、脂肪になるコースと、エネルギーになるコースと二手にわかれる。ここまでは合目的性な過程といってよい。アルコールという異物がなぜこんな合目的性過程をたどることができるかといえば、それはメタノール(メチルアルコール)を処理するしくみを借用したからである。メタノールは体内で発生するいわゆる生理的物質だから、それを処理するしくみはもともとからだに備わっている。エタノール(エチルアルコール)は、メタノール代謝の酵素群を乗っとることができたがゆえに合目的性をかちえたのである。
 では、この合目的的能力を高めることは可能だろうか。大酒をくらったら肝臓の合目的性は高まるだろうか。
 この答えはわれわれの良識が用意している。アルコール依存症になれば肝臓は変性して《脂肪肝》というあわれな状態におちいるのだ。胃でも腎臓でも、多くの器官の合目的性は、オーバーロードによって低下する。つまり、多くの器官は鍛えることができないのである。生体は合目的性にできていることは確かだが、その合目的性を高める企図は裏切られるのである。
 ただここに例外があることに気づく。それは脳と筋肉とである。この2つは、合目的性を高める余地をもっている。鍛練が価値をもつのである。心臓でさえもが、筋肉でできているから、鍛えられるのだ。ほかの器官は加齢とともに合目的性を縮小しても、脳と筋肉とは合目的性を拡大することができるのである。
 脳の合目的性を保障するものがタンパク質であることはすでにご承知のはずだ。これは物質面での話であって、現象面で合目的性を保障するものは、記憶・注意・思考・意欲などである。これを支配するのは、大脳新皮質のなかの前頭前野である。前頭葉の整備が開始されるのが20歳だとすると、人間の合目的性が確立するのは30歳近くなってからということになるだろう。その転の時期にはいるとともに、脳の合目的性を高める努力が大きな意味をもってくる。
 アメリカでは、健康のチェックポイントの筆頭に生き甲斐をおくと聞いている。生き甲斐といわれるものは、人間存在の合目的性の意識から出てくるだろう。とすればそれは、青春時代後期から中高年にかけて浮上してくる問題ということにならざるをえない。
 生き甲斐を感じて生きているとき、その人は目的をもっているだろう。その高い合目的性は、一般の中高年の場合、脳の合目的性に限定されるだろう。ボケということばは、脳の合目的性の低下と用じ意味として受け取ってよい。
 高齢になっても生き甲斐をもつためには、脳の合目的性を維持する必要がある。それには、自らの脳に目的のある作業を課す習慣をもたなければならぬ。その内容についてつべこべいう必要はないだろう。

【三石巌 全業績 17 「老化への挑戦」より抜粋】

お断り
本文には、現在の人権尊重の観点から照らしてみると不適切な表現が含まれていますが、執筆当時の時代背景や、資料の性格上、原文のまま掲載することといたしました。ご了承ください。


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