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三石巌の分子栄養学講座−7

この文章は三石巌が1984年に初めて分子栄養学を勉強される方へ向けて書いたものです。



自然食主義の落とし穴

アメリカの上院の栄養問題特別委員会は、医学界、栄養学界に大きな衝撃を与える歴史的なものになりました。それは、医学にたいしては、分子矯正医学という新しい道を示しました。そして、栄養学にたいしては、食生活の見直しをもとめました。そこから、パーボ=アイローラのような自然食主義者がでてくることになりました。自然食の悲劇は、前回で紹介したとおりです。

皆様もうご存じのとおり、分子栄養学では栄養素のトップにタンパク質をおきます。タンパク質が不足すれば、親ゆずりのせっかくの遺伝子が活動を阻害されるわけでしょう。低タンパク食は、動脈硬化・高血圧などを約束するわけですから、アイローラを脳卒中に追い込んだことに不思議はありません。

アメリカの上院特別委員会の報告には、文明国の食生活は間違っている、20世紀初頭の食生活にもどれ、などというような主張があります。これが彼が委員会に影響を与えたのか、私には見当はつきませんが、両者のあいだに一脈つうじる点のあることは確かです。

自然食主義には、理論的根拠がありません。根拠を与えようとすれば、どうしても、屁理屈をこねなければならなくなります。その例は、わが国の自然食主義の元祖桜沢如一氏の陰陽説です。これは、『食養学原論』にくわしく説明されていますが、そのあらましは、私の『健康食総点検』で理解して頂けると思います。 彼は、ナトリウム・カリウムを陰陽の実体とする物活説を展開します。物活説とは、万物に生命ありとする原始的な思想であって、いま通用するはずのないものですが、現実には、まだその信奉者がわが国にも少なくないのが実情です。

パーボ=アイローラの場合にもその菜食を中心とする自然食主義に、根拠がないわけではありません。彼は、穀類・野菜類の食物繊維に異常な執着を見せています。そのことは、彼の著者『ハイポグリセミア』(低血糖症)によくあらわれています。彼は、食物繊維に重きをおく一方、例の報告書にあるように、タンパク質を敬遠する態度にでました。食物繊維をせっせと食べたことは糖尿病や胃腸障害の予防には有利だったに違いありませんが、低タンパク食は、何といっても致命的でした。

私たちの生命現象をトータルに見た場合、食物繊維のような特殊な物質に着目することは、重大な偏向としなければなりません。木を見て森を見ず、というこことになってしまいます。いわゆる新しい栄養学には、とかくこのような落とし穴がついてまわります。

生命について、健康について考えるとき、私達は遺伝子にまでさかのぼらなければならないのです。

メガビタミン主義

アメリカ上院栄養学特別委員会の報告書が、自然食指向一辺倒であったわけではありません。それはビタミン・ミネラルについてもふれています。その趣旨は、普通の食事では、ビタミン・ミネラルが不足する、ということです。これは、いわゆるメガビタミン主義の路線をこわすものでした。メガビタミン主義と自然食主義とは、私にいわせれば正反対のものですが、この二つが同居させられているところに、委員会の弱体振りがあらわれているといわなければなりますまい。

いずれにせよ、そこには、今日のメガビタミン主義の萌芽があらわれているのです。 メガビタミン主義という言葉は、コッフェルの造語ですが、それは恐らく1970年代のことでしょう。しかし、その言葉がつくられるより前から、ビタミンの大量投与はおこなわれていた、とみることができます。

ハーレル夫人は、すでに1940年代に、知恵おくれの子供に、各種ビタミン・ミネラルの大量投与を試みました。そして、めざましい効果を見ています。このことは、私の『頭がよくなるビタミン革命』に紹介しておきました。

恐らくその当時から、カゼの予防や治療に、ビタミンCの大量投与をやってみる医師が、あちこちにいただろうと思います。カナダのシュートのように、ビタミンE一点張りで、心臓病に取組んだ医師もいます。 メガビタミン主義が、広く世界の注目をひくようになったのは、科学界の巨星ポーリングの力だと思います。彼は、カナダの精神科医が、精神分裂患者にニコチン酸の大量投与をおこなっているのを見て、ビタミン大量投与に興味をもったと伝えられています。これは、1965年頃のことのようです。

私が、自分自身の白内障の対策として、また健康法として、ビタミンC、ビタミンB群の大量摂取をはじめたのも1961年のことですから、新しいことではありません。当時はまだ、分子生物学が世に知られていませんでしたから、メガビタミン主義の理論づけは、もっと後になります。

例の報告書が生んだメガビタミン主義者の一人に、ミンデルがいます。彼の『ビタミンバイブル』は、世界的なベストセラーになりました。この本をお読みの方はおわかりのように、彼のメガビタミン主義は、全く経験的なもの、といっても過言ではありません。そこには、とくに理論はないのです。それは、タンパク質を強調しないことから明らか、といってよいでしょう。 ご存じのとおり、アメリカ上院栄養問題特別委員会のご報告書は矛盾にみちたものです。

なぜそうなったのかといえば、そこに理論がなかったから、といわざるをえません。栄養について、食生活について語るとき、その土台に理論がなくてはならないのです。


三石理論研究所


三石巌
1901年 東京都出身
東京大学理学部物理学科、同工学部大学院卒。
日大、慶大、武蔵大、津田塾大、清泉女子大の教授を歴任。
理科全般にわたる教科書や子供の科学読み物から専門書にいたる著作は300冊余。
1982年 81歳の時、自身の栄養学を実践するために起業を決意し、株式会社メグビーを設立。
1997年 95歳で亡くなるまで講演・執筆活動による啓発につとめ、
生涯現役を全うした。


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