見出し画像

三石巌の分子栄養学講座−6

この文章は三石巌が1984年に初めて分子栄養学を勉強される方へ向けて書いたものです。



物理学を起点とした栄養学

ここまでのところで、細胞とよばれる小さな生命単位のなかに、いくつかの小器官のあることがおわかりだと思います。核、ミクロゾーム、リボゾームなどがそれでした。細胞が生きていくためには、そのなかに、いろいろな働き手がなければなりません。それがつまり、「細胞内小器官」というものだと考えていただきましょう。

細胞内小器官の一つリボゾームが、雪だるまのような形をしていて、それが、RNAのもってきた暗号を解読し、アミノ酸を暗号にしたがってつないでゆく役目の装置だ、ということは、もうおわかりでしょう。 このリボゾームをばらばらな分子が自然に集合して、もとどおりの雪だるまの形を組み立ててしまうのです。しかもそのものには、暗号解読能力が、ちゃんと備わってもいます。

ここに煉瓦づくりの家があったとします。それを取り壊して、ばらばらな煉瓦の山にしたとして、それが自然にもとどおりの家に組み立てられたとしたら、それは魔法としか思えないでしょう。それが、細胞内小器官の一つリボゾームにおきたことなのです。

それから推測すると、さまざまな細胞内小器官が、このようにしてつくられたのでないか、全く物理的な力の働きでつくられたのではないか、と考える余地がでてきます。それならば、細胞そのものも、このような全く物理的な力で組み立てられるのではないか、遠くの人が考えるようになりました。それが正しいとすると、生命の神秘などというものは、雲散霧消せざるをえません。 もともと宇宙に生命はなく、無から有を生ずるがごとくに生物が誕生したという歴史を思えば、このリボゾームの奇跡は、何ら怪しむに足りない当然のことだといってよい、と私は考えます。それはまた、分子栄養学の基礎におかれるべき思想だ、と私は考えます。

すでに述べたとおり、分子栄養学の生みの親は分子生物学でした。そして、分子生物学は、物理学者クリックの頭からでたものでした。それは、生物学者や生化学者の頭からは、でることのできない性質のものでした。

生命現象を分子レベルで扱う生化学という科学は以前からもありました。それは、化学反応を中心においたものです。ところが、分子生物学は、化学反応の頭の上をこえて、暗号化された遺伝情報の解読から出発します。これは、従来の生物学や、生化学からの完全な離脱であり、発想の転換であります。 それと同様な発想の転換が、分子栄養学を誕生させました。そして、ニュートリションはニュートリオロジーに変貌したのです。

新しい栄養学

新しい栄養学という言葉が、よく聞かれます。私の分子栄養学もその新しい栄養学の一つである、と主張することができるわけですが、いずれにしても、新しい栄養学の発想が、あちらにもこちらにもあらわれたという事実は、これまでの栄養学が信用を失ったことを証明するものでしょう。

この栄養学変事の転機となったのは栄養学の本家アメリカの上院で栄養問題特別委員会が、大規模な調査をおこない、その結果を公表したことにあると私は思います。これは、アメリカ国民に大きなショックを与えたと伝えられます。

この報告書の内容には、二つの顔があるようです。一つは、現行医学の批判、一つは食生活の批評としてよいでしょう。 現行医学にたいしては、医学が食生活と病気との関係を無視してきたことを批判しています。また、医者の栄養についての無知無関心を批判しています。そして、新しい医学は、細胞の栄養バランスに着目したものでなければならないといい、細胞の働きを分子レベルで問題にする分子矯正医学こそが新しい医学である、といっています。

ビタミンCとカゼ、ビタミンCとガンなどの関係の研究で知られるライナス=ポーリングが、分子矯正医学の提唱者です。彼は、特定のビタミンなどの不足からおこる病気を、それの大量投与によって治すことを考え、これに「分子矯正医学」という名前をつけました。こういうのが新しい医学だと報告書は述べているのです。

また一方、その報告書は、現代医学の最大の課題であるガンにもふれています。そして、アメリカでは毎年平均40万人がガンで死んでいるが、そのうち35万人は食生活に関連している、タンパク質、とくに動物タンパクを多く摂ると、ガンになりやすい、食物繊維を摂るとガンになりにくい、などといっています。そしてまた、デンプンを多くとる草食型の国民は総体的に健康だといい、アフリカ原住民の食生活に学ぶべきだ、などともいっているのです。

ここには、私たちのよく知っている自然食主義の思想がうかがわれます。これに力をえた指導者の一人に、パーボ=アイローラという人がいます。この人は、『ハウ ツー ゲット ウェル』(丈夫になるには)というベストセラーの著者として有名です。

アイローラは脳卒中で倒れました。享年68歳ということです。彼は肉や卵を嫌い、植物タンパクさえも制限して穀類を主食とする菜食主義に徹したあげく、平均寿命に達しない年齢でこの世を去りました。当初、その死因が交通事故とされたのも、栄養学博士の名が泣くからとの窮余の弁明というところでしょう。これは、まぎれもなく、自然食敗北の記録となりました。


三石理論研究所


三石巌
1901年 東京都出身
東京大学理学部物理学科、同工学部大学院卒。
日大、慶大、武蔵大、津田塾大、清泉女子大の教授を歴任。
理科全般にわたる教科書や子供の科学読み物から専門書にいたる著作は300冊余。
1982年 81歳の時、自身の栄養学を実践するために起業を決意し、株式会社メグビーを設立。
1997年 95歳で亡くなるまで講演・執筆活動による啓発につとめ、
生涯現役を全うした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?