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92歳 三石巌のどうぞお先に 45

三石巌が1994年から産経新聞に掲載していた「92歳 三石巌のどうぞお先に」の記事を掲載させたいただきます。(全49回)


タンパク理論

必要量は体重の1000分の1

 一日のタンパクの必要量は体重の千分の一。それがボクの栄養学のもとだ。体重五〇キロならタンパク五〇グラムってこと。ボクの仲間はこれをまもっているんだ。ことわっておくが、このタンパクは良質のものでなけりゃならん。

 このルールをはずれたら、どんなトラブルがおきても不思議はない、とボクは思っているんだ。『どんなトラブル』なんていわないで、万病といったほうがわかりやすいかな。

 バス放火事件ってのが十四年前の新宿であった。亡くなった人が五人いたが、あやうく助かった女性にボクは紹介されている。去年の秋のことだがね。そのときボクは、手をみせてもらった。

 顔はなんともないが、全身にケロイドがあるときいた。

 ことしの正月、彼女の夫の杉原荘六氏にあって、はじめて症状をあかされた。春がくるとあせがでる。それが、ケロイドのすきまのまともな皮膚からわきだすので、かゆくてたまらん。そこをかくと出血するから、夏になると全身が血だらけになるというすさまじい話。

 ボクはその場で、良質タンパクとそれにまぜるビタミンと、皮膚がとくに要求するビタミンAとの一ヶ月分をおくった。

 ボクは高タンパク食でケロイドをなおした経験をもっているわけじゃない。ここでの判断は、経験からきたもんじゃなくて理論からきたものなんだ。

 ボクが彼女にいったことは、『DNAがやられていなけりゃ、設計図がそのまま残っているはずだから、いずれはなおるだろう。だけど時間がどれほどかかるかわからない』だった。

 ボクの判断がただしいかただしくないか、キミはどう思う?

 彼女からグッドニュースが届いたのは三月だった。二ヶ月ほどしかたっていないのにだよ。

 その杉原三津子さんは、バス放火事件を小説に書き、ドキュメンタリー作家としてデビューした人だから、少女時代から指にペンだこができていた。これが気になっていたところ、ある朝、それがなくなっていた。かゆくてかいても血がでなくなった。

 彼女はこれを主治医に話すといっているが、医者先生はどういう顔をするか。『これは一生なおらない』といっていたそうだが・・・。 

三石理論研究所


三石巌
1901年 東京都出身
東京大学理学部物理学科、同工学部大学院卒。
日大、慶大、武蔵大、津田塾大、清泉女子大の教授を歴任。
理科全般にわたる教科書や子供の科学読み物から専門書にいたる著作は300冊余。
1982年 81歳の時、自身の栄養学を実践するために起業を決意し、株式会社メグビーを設立。
1997年 95歳で亡くなるまで講演・執筆活動による啓発につとめ、
生涯現役を全うした。


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