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三石巌全業績-17 老化への挑戦-3

三石巌の書籍で、現在絶版して読むことができない物の中から、その内容を少しずつですが皆様にご紹介させていただきます。


生物時計とは?

 赤ん坊が生まれるのは、受胎から約40週後だと、われわれは聞かされている。これがきちんときまっているのはなぜだろうか。
体内に日数を数える時計があるのだろうか。このような考えから、<生物時計>という概念が生まれた。
これを<体内時計>ということもある。生物の体内にそれがあると考えるからだ。
 生物時計は、一昼夜をへるごとに、<生物カレンダー>とよばれる日めくりのこよみを一枚ずつめくる。
そこで、受胎の日に何がおき、2日目には何がおき、3日目には何がおき、という計画がプログラム通りに進行する。
例えば、受胎後210日目には、脳の神経細胞がすっかりそろうというようなことが。
 これがすなわち<プログラム説>である。
 この生物時計は胎児の体内になければなるまい。とするならば、それは親ゆずりであるにきまっている。
 胎児が親からゆずられたものといえば、遺伝子のみであるはずだ。遺伝子を特徴づける遺伝情報は、DNAという名の分子に刻印されている。胎児は、暗号化された遺伝情報を解読して発育をつづけるわけだ。この作業のプログラムは、受胎第1日目から開始されなければなるまい。とするならば、生物時計は、受胎の直後に用意されなければならないことになる。
そして、生物時計の設計は、遺伝情報としてDNAに組みこまれていると考えざるをえない。このあたりは、私の納得しかねるところである。
 プログラム説によれば、受胎・発育・老化・死の一連の過程が、生物時計によって進行する。<老化のプログラム説>はここに根ざしていているのだ。
 ここで、時計の原理を考えてみよう。
 われわれの見ることのできる時計は、すべて周期的運動を利用している。右まわり左まわりの回転運動をくり返すテンプ、電圧を加えることによって、一定周期の振動をくり返す水晶片、左右にブラブラ振れる振り子の運動、みなそうである。
 これらとちがう原理の時計もないではない。それは一様な運動である。太陽のつくる影が西から東に移動する運動、水が小さな孔から流れおちる運動、砂が流れおちる運動、線香の火が移動する運動、みなこのたぐいだ。
 ここにあげた2つの原理、すなわち、周期的運動、一様な運動のどれをとってみても、DNA分子という静的な構造物とはつながらない。
 美濃真氏の「老化」(化学同人)によれば、「生物時計は単に時間をきざみ、時間を知らせるものではなく、時間を認識し、記録し、それに従ってプログラムする機能をもつものである」とある。生物時計というものが実在の装置であるならば、それは構造をもつはずであろう。右の定義は、生物時計のハードウェアとしての構造に全くふれていない。
そのことから、彼の生物時計が空想的であるとのそしりを免れるのは困難だ。
 じつは、体内に周期的運動がないわけでない。心臓の拍動や肺の呼吸運動がそれだ。これらが生物時計のリズムを刻むとすると、安静にしてそれをスローダウンさせれば、すべてはゆっくりすすむ。生物カレンダーの1日が拍動数10万ということにでもなったら、老化をおくらせる秘訣は、拍動をおそくすることになってしまう。呼吸数にしても、同じような話になるだろう。心臓も肺も、生物時計の候補にあがったためしがない。
 もっとも、プログラム説を唱える人の多くは、一つの資料として<松果体>をあげる。このものは松ぼっくりの形をした小さな内分泌器官で、人間の場合、脳の中心部にある。ここにある松果腺はメラトニンというホルモンを分泌する。
 松果腺に腫瘍のある子供では、性器が成人化し、または発育をとめる。松果腺には、生物時計を正常化する役割があると見られているのである。メラトニンには性器の発育を抑制する作用があるということだ。
 神経伝達物質はいろいろだが、そのうちの<セロトニン>は、アミノ酸トリプトファンからつくられる。メラトニンはこのセロトニンの誘導体である。
 ところで、松果体はカエルのような下等動物では、頭の表面にあって、明暗を感知すると考えられている。この事実は、松果体が1日のサイクルをとらえる器官であることを物語っているように見える。松果体が生物時計の最有力な候補になっているのも、あながち不当ではないだろう。
 ネズミの脳を見ると、松果体は人間同様にその中心部にある。ここから分泌されるメラトニンの量は、昼間に少なく夜間に多い。その比は、1対50から1対100に及ぶといわれる。生体内でこのように1日のリズムで量の変動するものは、メラトニンのほかにはない。このような現象をどのように理解すべきかを、われわれは知らないのである。
 これもやはりネズミの実験であるが、暗所におくとこのリズムは保持されるけれど、明所に一昼夜おくと、このリズムは消失してしまう。これもまた、われわれの理解に苦しむ現象である。松果体をふくめて、生物時計なるものをわきにおいて、生体現象の時間的推移を説明する方法が全くないわけでもない。それをDNAに関係づけることも可能なのである。
 ネズミやカエルではなく、人間について、その発生分化の過程を考えてみよう。ここで、<発生>というのは、受精卵が成人になるまでの過程をさしていること、人生の起承転結の起がこれにあたることはすでに述べた。
 起の起点において、受精した細胞はまず2つに分裂する。そこでは、DNAが複製され、その一組ずつをもった染色体があらわれて、結局は2個の細胞ができるという過程がある。それら新しい2個の細胞が完全な形をとるためには、細胞膜をはじめとして、核・小胞体・ミトコンドリアなど、細胞内の器官を新しくつくらなければならない。それらが無限大の速度で進行するのでないかぎり、細胞分裂には一定の時間がかかる。むろんそれらのすべては、DNAの指令によって進行する。
 これは、生体内自然の自己運動が、それぞれ一定の時間を要することを意味している。遺伝情報を解読して、それの指令するタンパク質なり何なりをつくるのには有限の時間が要求されるということである。
 この時間は時計ではかることができる。しかしこの各段階が、未発見の時計の指示によっておこると考える必要はないだろう。発生分化が時間の経過のなかでおこるのは当然であって、それが何らかのペースメーカーの指令によるとするのはおかしい。
 妊娠の日数がほぼ一定しているのは、生物時計の存在によるのではなく、胎児の環境条件や運動条件に大きな個体差がないことによる。そのために自己運動の速度にあまり差異がないのである。
 歩きはじめてからの生活は、環境条件においても、栄養条件・ストレスレベル・学習内容などにおいても、ひとりびとりに大きな隔たりができてくる。その結果、生物カレンダーがめいめいちがったものになる。プログラムは、あるようでないことがわかってくる。
 最近、ショウジョウバエの生物時計を支配する<パー遺伝子>と称するものが発見された。これは細胞間のつなぎになる糖タンパクの構造にかかわる遺伝子であって、電気抵抗に特性があるという。2つの隣り合う細胞の間を往復する電流があって、その周期が生物時計の周期になっているというような話だ。これはおもしろい問題ではあるが、われわれ人間様の老化を考えるうえでの手がかりを与えるような性質のものではあるまい。

老化のプログラム

 出生後の人生は、胎児期の100倍ほどの長時間に及ぶために、遺伝暗号の誤読や遺伝子の損傷などが蓄積して問題をおこすようになる。これが、いわゆる老化の、共通な、あるいは個別の原因になってくる。
 「分子栄養学序説」に書いたことだが、遺伝子情報が発現するときには、まずそれがDNAからRNAに転写され、そのRNAの暗号が解読され、翻訳されたタンパク質が作られる。そして、この過程を<コーディング>という。
 このコーディングの作業のなかで、まちがいがおこる機会が二つある。一つは転写であり、一つは翻訳である。そして、エラーがおこる確率は、それぞれ10億分の一と推定されている。
 あっさり考えるならば、どちらにエラーがおきても、つくられるタンパク質は異型である。それが酵素タンパクであれば、それのかかわる代謝が不能になるか、さもなければ正常ではなくなる。これを老化の原因とするのが<エラー蓄積説>である。
 前述の推定だと、コーディングのエラーの確率は5億分の一になる。1回のエラーを時計の振り子の一振動とすると、5億振動ごとに、老化への一歩がふみだされるというわけだ。しかしこの数字は確率であるから、現実はその通りではない。一見周期的運動のようであるが、そうではない。これで時を刻むのは無理である。
 プログラムがあるかないかはともかく、この考え方でいくと、代謝が活発であればあるほど、コーディングの頻度が高く、エラーの蓄積が急速で、結局は老化の足どりがはやいことになる。スポーツも肉体労働も、命を縮める方向を向くわけだ。
 老化の原因としてのエラーを、遺伝情報の転写や翻訳のあやまりとするのでなく、DNAの損傷によるとする説がある。これもエラー蓄積説の性格をもっているが、<DNA損傷説>というのがよいかもしれない。
 DNAに損傷があれば、原因が何であったにせよ、その細胞の生命は破局に向かうはずである。損傷があれば<修復>があるはずと考えるのは、生体を合目的的な存在とするところからの必然だ。
 現実に、すべての生物は<DNA修復能>をもっている。それによって個体は保存され、老化はスローダウンするのである。人間の寿命がずばぬけて長いという事実は、DNA修復能が格段に大きいことと結びつけられている。
 日光にあたれば皮膚が赤くただれ、そこにシミができる病気がある。これはDNA修復能を欠如していることからくる病気で、<色素性乾皮症>とよばれる。この患者は神経細胞のDNA損傷を修復することができないために知能低下におちいる。そして、若いうちに皮膚ガンに見舞われる。
 色素性乾皮症の場合は、DNA修復能の重要性を示している。ところがこの能力は正常な人間でも、加齢とともに低下するのである。
 余談になるが、化粧品に加えられる胎盤エキス(プラセンタエキス)やある種の香料には、DNA修復能がある。
 修復が合目的性のあらわれであるとすると、老化という現象が、<合目的性の喪失>を意味することがわかる。合目的性が維持されているあいだ、とくに発生を終えるまでの期間、生体はプログラムがあるように見える自己運動をする。だが、起承の時期がすぎると、プログラム性は失われ、雑多なタイプの老化がはじまる、と私は考える。
 老化の開始をプログラム通りだというならば、その時点まで、生命過程の定型性を認めることにやぶさかではない。老化とは、合目的性を喪失しつつある生体の状態をさすといってよいだろう。これもまた発生と同様に、生体における自然の自己運動にほかならない。このときプログラムは、あるようでないことになる。

【三石巌 全業績-17「老化への挑戦」より抜粋】


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