ロサンゼルス生活57日目-59日目

本日もロサンゼルスは曇っている。聞くところによると今年はかなり天気が悪いらしい。日差しが強くないから、それはそれでいいのかもしれない。天候に文句を言っても仕方がない。いや何事も文句を言っても仕方がない。その状況にこちらが合わせるだけである。

相変わらず平日はゆったりとした日々が続いている。こんなに時間があるのはいつぶりだろう。

21年の6月に勤めていた会社を退職した。それから3カ月間は「マジでなにもしないもんね、オレ」と決めて、本当にマジでなにもしなかった。ほとんど毎日ひたすらにドラマや映画を観ていたのではないだろうか。とても余裕のある日々だったような気もしている。あまり記憶はないけれど。

それまでの私といえば、結構な勢いで働いていた。広告業界という過労死の問題がよく取りだたされる現場で。日々怒涛のように押し寄せてくるタスク。そのタスクを捌くだけで精一杯。ひとつひとつの物事のクオリティなんて二の次三の次になっていた日々。そういう日々に疑問を感じていた。

本当はひとつひとつの物事にもっと気持ちを込めたかった。関わるひとりひとりの人にもっと誠意をもって接したかった。しかしそれができなかった。できる人にはできるのかもしれないが私にはできなかった。日々のタスクにただただ押し流されるのみであった。そしてそのことに疑問を感じつつも、仕方がないだろう、だって忙しいんだから、という言い訳を自分で自分にしていた。

そして時が経てば経つほど、その疑問は薄らいでいった、とも思う。

きっかけは完全にコロナ渦。当時大阪に単身赴任していた私。周囲に知り合いはほとんどいない。会社にも来るな、家から出るな、という世論。広告系イベント業界に勤めていた私の仕事もストップした。ほとんど完全に。

大阪の自宅で多くの時間をひとりで過ごした。そういう状況になると否が応にも人間は考えてしまう。これまで自分が辿ってきた道。そしてこれから自分が辿るべき道について。おおまかにいえば、だいたいそういうことについて。

20代の時の私といえば貧乏なフリーターであった。周囲にいた仲間たちと、演劇やバンドなど、まったく金にならない活動に日々を費やしていた。楽しいは楽しい。商業主義的なものなどに媚びてなどたまるか、という気持ちもあった。その当時の私はいわゆるマスみたいなものを嫌悪していたと思う。もしかしたら本当はあまり金にするつもりもなかったのではないかと、今では少し思ってもいる。しかしあまりにも金がないと、それはそれで精神を蝕む。その時のことについてはまだ色々と整理はできていない部分はある。だからその時のことについては端折る。とにかく色々な経緯があり、30歳の時に私は会社で働いてみることにした。

就職活動は一応した。2社しか受けていないけど。一社目はパプアニューギニアで中古車を売る会社。「おもしろそうだ」という至極安易な考え。書類を送ると面接に来なさい、とのこと。面接に行くも話すことがほとんどなかった。私のそれまでの人生とパプアニューギニアや中古車はまったくなんの接点もなかった。話すことなんてほとんどない。

考えてみれば当たり前のことである。私はバカである。しかし学ぶことはできる。「やはり多少強引にでも自分の人生と接点のある業界でないとダメなんだ。新卒ってわけでもないんだし」ということを。行く前に気付けよ、という話なのだが。

そしてもう少し考えてみた。それまではアンダーグラウンドな世界にいたので真逆に行ってみるものいいのではないだろうか、と。広告などどうだろう。がんばればそれまでの私と接点も見いだせそうな業界ではある。忙しとは聞く業界である。また魑魅魍魎たちが巣くっていそうな雰囲気もある。しかしもしかしたら私は働くことが好きなのではないだろうか。その時はそうも思ったりもしていた。魑魅魍魎がいるとしても、そいつらと渡り合うのも面白そうだな、とも思った。そしてとある大手広告代理店系の会社を受けた。通った。そして私は会社員になった。

なんでこんなことを書いているんだ、私は。まあいいだろう。手の動くままに書き進めてみよう。こういうことを書きたいんだ。今の私は。

大阪の自宅で東京での20年間のことを主に振り返っていたのだと思う。学生やフリーターとして過ごした10年間。そして会社員として過ごした10年間。そしてこれから先にある数十年のこと。理屈で説明できることばかりではない。ただこのまま流されるように40代50代を生きていくのは正しくないと思った。もう一度立ち返ろうと思った。私といえどもこの年齢になれば多少の分別はついているだろう。その多少の分別と一緒にもう一度自分らしい生き方にトライしてみるべきだと思った。

そして21年6月。私は退職して東京に戻った。3か月間はマジでなにもしないもんね、という日々に突入した。その後は職業訓練校に行って新しい会社に入った。そしてなぜかアメリカに行くことになった。なにかの足しにと私は寿司の勉強をした。40代に入ってから私の動きは激しい。しかし30代の時よりも生きているという手ごたえは確実にある。このあたりのこともまた書こう。書きたくなったまた書こう。

今私はロサンゼルスにいる。緊急事態宣言下のような退職直後のような、ゆったりとした生活を送っている。こういう時は振り返りたくなるのかもしれない。私のことである。またそのうちに忙しくなるだろう。その時に備えて今は自宅でせいぜい振り返っておこう。

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