「姫小松子日の遊」梗概

以下、段名は仮につけたものです。

初段
(大序・北野の段)
時は高倉帝のころ、中宮は懐妊の祝いに北野で初子の日の遊宴を催し、父の太政大臣清盛、母の時子、清盛の嫡子たる小松内大臣重盛の奥方園生も列席している。天子を聟に取ったと得意満面の清盛だが、行方不明になった帝の寵姫小督への同情を中宮が口にすると不機嫌となる。ところへ重盛の弟、右大将宗盛が兄の名代として現れ、中宮安産の祈願のため、鬼界が島の流人、丹波少将成経・平判官康頼・俊寛僧都の三人に赦免を与えるよう申し出る。清盛は、最初は俊寛のみは叶わぬというが、彼におもねる飛騨左衛門が下心あって「俊寛にも赦免を」というので、清盛はこれを諾う。まもなく重盛も到着し、父に礼を述べ、丹左衛門基康に赦免状を与えて急行させる。
(序中・伏見の段)
俊寛の妻東屋・康頼の妻松の前・成経の妻鶴の前の三姉妹は、赦免の使者丹左衛門に願い出るため到着を待っている。通りかかった飛騨左衛門が東屋にしなだれかかるところへ、丹左衛門が到着したので、東屋は俊寛への書状をことづける。飛騨左衛門がこれを妨げようとすると、丹左衛門は書状を川へ投げ込み、この書状が重盛の手に渡れば、左衛門が東屋に横恋慕したことも明るみに出ると告げ、東屋を力づけつつ出立する。性懲りもなくつきまとう左衛門を、東屋の供の斎藤次が制し、たばかって東屋と妹たちを逃がす。斎藤次の息子の亀王も落ち合い、左衛門の手勢と斬り結ぶが、斎藤次は乱闘の中で捕らえられてしまう。
(序切・重盛館の段)
内大臣重盛は、遊女を館に集め、昼夜の別なく酒宴遊興に耽っている。これを諌めて勘当を言い渡された嫡子維盛は、母園生の勧めで遊女熊野ゆやに取りなしを頼むと、彼女は夫婦となることを条件に承諾する。しかしこれは熊野の思いを知った重盛夫婦の計略であった。いったん二人を退出させたところへ、亀王が父斎藤次の出牢を願い出てくる。重盛がこれをなだめ次の庭へ移させると、横笛を吹く狂女が入り込んでくる。重盛はこれをすぐに義朝の後家常盤御前と見破り、しなだれかかる。そこへ父清盛が飛騨左衛門・難波次郎・瀬尾太郎を供に到着し、放埒を責めるが、重盛は逆に左衛門たちが東屋姉妹に横恋慕し、さらに斎藤次をも殺したことを暴露し、これまでの放埒は清盛を夫の敵と狙う常盤に清盛が迷うのを諌めるためであったと明かす。しかし清盛はこれに耳を貸さず帰ってしまう。重盛はなおも清盛を追おうとする常盤をとどめ、常盤の子今若・牛若が踊り子に紛れているのを連れ帰らせる。左衛門が難波・瀬尾とともに常盤を拉致しようとするのを、亀王が駆けつけ追い散らすが、父の敵左衛門は討ち漏らしてしまい、無念を抑えつつ出奔する。

二段目
(口・熊野社前の段)
俊寛と妻東屋との間には徳寿という一人息子がおり、平家を憚って女子に仕立て、小弁と名乗らせて、従者亀王の郷里に預けていた。やがて俊寛が赦免を受けたと聞き、亀王の妻おやす(もと平判官康頼の腰元)と父次郎九郎の介抱で都に戻り、熊野社前の茶屋で東屋と落ち合う。東屋を狙う飛騨左衛門の手先の長井大部に襲われるのを、駆けつけた亀王が救う。
(切・俊寛館の段)
俊寛の館では、夫がようやく帰ってくるというので、東屋と母無量(故人である夫は源氏の淡路先生義久)、東屋の妹の松の前・鶴の前(康頼・成経の妻)が喜び合い、恩人である重盛の手跡を拝している。やがて使者の丹左衛門基康が到着し、一同無事に帰ったので対面を許すと伝える。そこで東屋が行こうとすると、丹左衛門は、帰ったのは康頼・成経だけで俊寛はいないといい、赦免状を見せると、俊寛の名はない。その状を手跡と合わせて、これが重盛の計らいであったことを知った東屋は悲憤し慟哭する。妹たちが丹左衛門とともに出迎えに去ると、東屋は再び徳寿を女の子に仕立てて亀王に預け、出立させたあと、ついにこらえかねて自刃する。やがて成経・康頼夫婦が帰り、これに驚くが、母無量も、先妻の子である東屋を死なせて生きていることに耐えられず自刃していた。やがて重盛も現れ、俊寛だけをわざと残したのは、飛騨左衛門が清盛をたきつけ、赦免にかこつけて俊寛のいのちを奪おうとしていることに気づいたからで、父の悪名を一身に背負うために、このことを伏せていた、と語る。母子は重盛を恨んだことを詫びつつ息を引き取る。重盛は直垂の袖を取って死体に掛け、康頼・成経夫婦は厚情を謝し、母子を涙ながらに弔う。

三段目
(口・次郎九郎住家の段)
俊寛の妻東屋から一子徳寿(変名して娘小弁)を託された亀王は、奈良坂の片田舎にある妻おやすの実家に、舅次郎九郎、実子亀太郎とともに住み着き、薪売りのかたわら源氏の余類を探して助力の約束を取りつけ、父の仇を討つ機会をうかがっている。そうして2ヶ月あまり経ったある日、なお大雪をものともせず出かけてゆく。その間に、家に山賊が忍び入り、おやすと小弁は拉致されてしまう。やがて亀王が引き返し、あとを追う。
(切・洞が嶽の段)
男山の南、洞が嶽の隠れ家に小弁とともに連れ去られたおやすは、山賊の首領来現から、かくまっている上臈の出産を助けるよう頼まれる。手下の動六・江吉たちの手も借りて無事男子を出産したのを見て、来現が思わず「源氏の運の開き口」と喜びの声を上げたのを、おやすは聞き漏らさず、来現の本名を尋ね、それをけっして漏らさぬ誓いを立てる。すると来現は、自分こそ鬼界ヶ島に一人残された俊寛であり、都に残した従者有王から、「小督局と若宮を守護せよ」との重盛の密命を伝えられ、ひそかに島から戻ってここに隠れていた、と語る。小弁実は徳寿も父と対面し、互いに東屋の非業の死を嘆く。折しも亀王が山賊の手下のひとりを追ってきて、雪中で斬り結ぶうち、その相手が傍輩の有王とわかる。俊寛と再会した亀王は、源氏の余類を糾合した連判状を有王とともに披露する。動六・江吉は源氏の宇野七郎・山田次郎であった。さらに手下として入り込んでいた越中次郎兵衛盛次と主馬判官盛久も、重盛から唐土の育王山へ納める名目で預かっていた金子を、若宮誕生の祝いとして与える。この若宮こそのちの後鳥羽院である。小督も礼を述べ、一同再会を約して別れてゆく。

四段目
(口・道行心の竹馬)
常盤御前はいったん都を去ったあと、再び機会を伺って仇を報いるべく、今若・牛若の二子とともに都に上り、清水にさしかかる。
(中・音羽山の段)
音羽山では、宗盛が熊野御前とともに花見の宴を張っている。ところへ池田の宿から熊野の母が人目を忍んでやってきたので、病気と聞いていた熊野は驚く。そも熊野の母は源義朝の旧臣の娘で、ふとしたことから知り合った長田おさだ庄司に嫁いで熊野を産んだが、庄司が義朝を裏切って暗殺したので自ら離縁を求め、義朝の無念を晴らさせようと、熊野を平家の館へ入り込ませたのであった。母は、常盤親子が狙われているので、なんとか親子を助けて、父庄司と同じでないことを証明せよという。熊野が承諾したので母が去ると、常盤親子が逃げてくる。そこで熊野は親子を木のうろに隠すと、宗盛の命を受けた難波次郎・瀬尾太郎が追ってくる。必死にかばう熊野だが、ついに常盤親子は見つかってしまい、せり合ううち、来合わせた重盛の奥方園生が常盤を、宗盛が息子二人を預かることになる。
(切・重盛別館の段)
常盤は重盛の別館に預けられ、熊野と女中たちがつれづれを慰めている。熊野に礼を述べ苦しい胸のうちを語る常盤に、熊野は身の上を語り、維盛と言い交わしたこともあって離れるに離れられないという。そこへ清盛の使者として長田庄司が到着し、清盛に従うよう常盤に迫る。熊野が割って入り揉み合う隙を見て、常盤は庄司を斬り捨てる。熊野の手引きで常盤が逃げ出そうとするところへ、清盛が二人の子を捕らえて現れ、飛騨左衛門と難波・瀬尾ともども常盤に詰め寄る。園生が越中次郎兵衛・主馬判官とともに、熊野権現の神輿を擁して止めに入るのも聞き入れない清盛を、神輿から現れた重盛が制し、神罰を受けて世を去るであろう父のいのちに代わったことを明かして諌める。恥じ入った清盛は髪を切って浄海と名乗り、常盤親子をいったん助けると告げて奥へ入る。重盛は父の気が変わることを恐れて維盛に途中まで送っていくことを命じ、二人は感謝しつつ退出する。

五段目 (鞍馬山の段)
数年後、義朝の遺児で十才になる牛若は父の仇である平家を滅ぼすべく、鞍馬の僧正が谷で練磨を積んでいる。そこへ天狗が大勢現れ襲いかかるが、牛若は次々と斬り伏せる。天狗は難波・瀬尾の変装であった。やがて有王・亀王が駆けつけ、彼らを斬り捨てたのち、主人俊寛が小督局と若宮を鞍馬の東光坊にかくまっていると告げる。飛騨左衛門の率いる平家の討手が迫るのを二人が斬り倒し、亀王も父の仇左衛門を討ち果たす。ここへ俊寛も落ち合い、亀王たちに牛若とともに奥州へ向かい、軍勢を糾合して都へ攻め登るよう命じ、一同勇躍出立していく。


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