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田村神社

 田村神社は近江は土山、鈴鹿峠のふもとにいます古社です。ご祭神はかの名将坂上田村麻呂公、嵯峨天皇、倭姫命です。
 鈴鹿の山はまことに交通の要衝でした。南北に走るこの長大な山脈を越えねば畿内には入れないため、古くからいくつかの峠道が整備されてきました。近江は永源寺へ抜ける八風越えと千種越えなどが有名ですが、わけても著名なのが東海道の通る鈴鹿峠でしょう。鈴鹿峠は東海道の中では箱根と並ぶ難所として知られてきましたが、いくつかある鈴鹿越えの峠道の中でも最も標高が低く易しい道です。そのため古来から鈴鹿峠の往来は絶えず、現代まで続いています。
 桓武、平城、嵯峨の3代のみかどにお仕えした坂上田村麻呂公もまた例外ではありませんでした。嵯峨天皇の御宇に鈴鹿峠に悪鬼がはびこることあり、公にみかどが征討の宣旨を下され、公はみごとにお役目を果たされました。


矢竹の叢。
公が悪鬼を平定されたのち矢を放たれた。
矢が落ちたところを公の霊の宮居として祀れば天下平安すと仰せたことが由来と。本殿前に今も茂る

 悪鬼平定後、嵯峨帝は公の遺徳を偲ばれ、弘仁3年(AD812)この土山の地に公の霊を祀られました。以後も厄除、交通安全の神として崇じられています。公の霊が要所の守りとされるのは京の将軍塚も同様の信仰かと思います。公の本当の墓所は山科の西野山古墓とも言われていますが、いずれにせよ京への外敵の侵入を防いでくれることの期待があったものかと思われます。


東海道に面して銅の鳥居が立つ
参道 巨きな杉の樹が出迎えてくれる
拝殿
拝殿から本殿へ至る道 川の水は清く魚がたくさん泳いでいる
本殿 木々がそよめく
本殿
福豆 節分の頃、本殿前を流れる御手洗川に年齢の数だけ豆を流せば厄が去ると
境内には田村川に降りる道がある 田村川は鈴鹿山系に端を発し野洲川へ合流し琵琶湖へ注ぐ

 なおこのとき平定した悪鬼のことでしょうか、後世には田村将軍と鈴鹿の女盗賊鈴鹿御前とが結ばれる話が鈴鹿の草子や田村三代記などに見えるようになります。実際鈴鹿峠には倭姫命を祭神とする式内社の片山神社があり、古くから鈴鹿の女神を祀っていたようです。こうした鈴鹿の山の女神信仰と田村将軍の武威とが合わさって田村三代記などの伝説が出来上がっていったのでしょう。
 田村社の境内は緑濃く、清々しい空気に満ちています。

 田村神社には大きな駐車場がいくつかあります。国道1号線を挟んだむかいには道の駅「あいの土山」があります。土山は近江の茶の名産地のひとつであり、良質な茶葉、抹茶ソフト、赤ちゃん番茶などが買えます。

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