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本心が見えてきた・・・?

エゴが「こんなことは書きたくないんだけれど・・・」と邪魔をするけど、
思い切って書く。
私、本当は義母と仲良くしたかったのかもね。
今朝、台所に立ってそんな思いを感じてしまいました。

同居当初は普通に仲も良かった。
けれど、義母のイヤなところ、嫌いなところを目にし、
不快な思いにさせられ、私たちの関係は日々上塗りされ、
もう当初の関係なんか見えなくなるほどに、
嫌悪や憎悪や軽蔑や・・
そんな汚く重なったフィルターを通してしか義母を見られなくなっていた。
勝手に期待して勝手に幻滅したのかもしれない。

中野真作さんの『「私」という夢から覚めて、私を生きる』
こんなことが書いてあります。
「肯定的な投影をし合うことで互いに引き付け合った関係は、いとも簡単に否定的な投影をしあう関係へと変わってしまいます。一見親密な(あるいは、激しく反発しあっている)人間関係は、互いの投影によって成り立っているのです。
このことに気づけば、人間関係の問題のほどんどは解決します。」

おそらくその解決を邪魔するのがエゴなんでしょうね。
よく「相手も自分も許す」といった表現もありますが、
「この25年に及ぶあんなことやこんなこと・・・簡単に許せと?
誰のせいでこんなに苦しんできたと思うの?
もし許せというなら、こっちの苦しみをせめて知ってちょうだいよ。
例えばあの時・・・(と自動思考炸裂)」
となっちゃいますよね。私はずっとそうでした。

でも、嫌悪や憎悪や軽蔑の重なり合ったフィルターをビリリとはがし、
私自身のイヤなところを投影させて義母にイヤな役をさせてしまった
ということを認めてもいいのかも・・・。
今朝はそんな思いがよぎったんですよね。
いつもなら「いやいやいや、そんな簡単に許せるか」と
エゴが即座に否定したんだろうけど、
今日はその思い、全否定せずにそっと眺めてみました。
私としてはすごい前進。



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