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イベント「ノアの箱舟」2022.8.8説教

【 聖書箇所 】(口語訳:旧約聖書 9ページ)
(創世記 8章13-19節)
13. 601歳の1月1日になって、地の上の水はかれた。ノアが箱舟のおおいを取り除いて見ると、土のおもては、かわいていた。 14. 2月27日になって、地は全くかわいた。

15. この時、神はノアに言われた、 16. 「あなたは妻と、子らと、子らの妻たちと共に箱舟を出なさい。 17. あなたは、共にいる肉なるすべての生き物、すなわち鳥と家畜と、地のすべての這うものとを連れて出て、これらのものが地に群がり、地の上にふえ広がるようにしなさい」。

18. ノアは共にいた子らと、妻と、子らの妻たちとを連れて出た。 19. またすべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上に動くものは皆、種類にしたがって箱舟を出た。


※ このときはコロナに感染し、イベントに参加することができませんでした。代読してもらうために、平易な文章になっています。

【 説 教 】 約9分30秒
  ノアは、“正しく、全き人”でした(創世6:9)。それは、エゼキエルが義人の代表としてあげているほどです(エゼ14:14)。今日は、無垢とはどういうことか、どうしてノアは義人の代表と呼ばれるのか。このことについて、御心を深めていきたいと思います。

  ノアは500歳のときに、セム、ハム、ヤフェトの3人の息子を授かります(創世5:32)。何て素晴らしい年でしょう。キリのいい数字は、何だかいいことありそうな気分になりませんか。

  さぁ、次の600歳のときには、どんないいことがあるのでしょうか。もう最悪の年になります。真っ暗な箱舟の中で、いつ終わるとも知れない洪水に揺られている600歳の年、どうですか?

  ノアたち家族は、約1年間、箱舟の中で生活します。そして、601歳になる第1の月、1日(例えば8月生まれの人は8月1日ですね)、このときノアが箱舟の外を見てみると、「乾いてそうだ」と思ったのです。

  そこでノアはどうしましたか?そうです、箱舟にとどまったのです。どれくらい、とどまりましたか?それから約2ヶ月とどまったのです。

  ノアの物語は、旧約から新約へと移り変わる象徴としての話でもあります。洪水は去りました。けれども、パウロが「私たちの戦いは血肉によるものではありません(エペ6:12)」と言うように、ノアにとって目に見えない洪水は、まだ去っていなかったのです。

  ノアは、箱舟の中で何をしていたのでしょうか?

  7月にひと月かけて、ノアの学びを深めていきました。そこで「箱舟は、教会ですよ」という話をしましたね。みなさんは、教会では、何をしますか?神を礼拝するのですよね。

  礼拝とは、何ですか?礼拝とは、休み、安息です(創世2:2)。それは肉体の安息ではなく、霊の、心の安息なのです。

  私たちは日々何かに追われています。人に、責任に、時間に、または自分の夢であるのか、人の期待に流されているだけなのかわからないと感じるときもあるかもしれません。

  霊の、心の安息とは、消耗した心を回復させるというよりも、初めに戻って確認することだと思います(申命4:32)。

「私はどのような人生を送りたいだろうか」
「私はどのような人々に囲まれて暮らしたいだろうか」
「私は社会の中でどのようにありたいだろうか」
「私はどのような人になりたいだろうか」

  あなたは、日々の生活の中で、どのように感じておられますか?

  ノアは新しい世界に出た後に、自分はどのように生きたいだろうかと、箱舟の中で、教会の中で祈りを捧げていたのではないでしょうか。

  聖書の言葉を信じるなら、私たちは神か、それ以外かのどちらかに従って生きています(マタ6:24、ロマ6:16)。

  ダビデが「主は羊飼い(詩23: )」と謳うように、安息日とは、私たちを正しい道へと導いてくださる主人を確認する機会なのです。

  けれども、安息日を日常生活でも味わうことはできます。

  例えば、信号機がありますよね。「赤は止まれ、青になったら渡れ」といったルールは、しっかり守っていると思います。けれども、こういった状況があったとしたら、どうですか。

  そんなに広くない道です。車もあまり走っていません。そして、周りを見渡すと人もほとんど歩いていない。

  さぁ、みなさん、今、信号が赤に変わったばかりです。渡りますか、待ちますか。

  これは、信号を守るから偉いとか、破るから悪いということを伝えたいのではありません。信号は守らないといけないですよ。けれども今、伝えたいポイントは、そこではないのです。

  あなたは信号で止まったときに、どのように感じますか。「赤だからしょうがないよね」と、心穏やかではないにしても、心を乱すことなく待てますか。それとも、「なんだよ、早く変われよ」と、イライラしますか。

  もう一度、確認しておきます。これは善い悪いではないのです。こういった状況になったときに、自分の心はどのように働くだろうかというのを、偽りなく確認してください。

  そして、自分の中に住んでおられる聖霊さまに尋ねてください、「私の命は、信号に揺さぶられてしまうほど軽いだろうか」と(詩62:10)。

  あなたが信号を守っていると、気づくことがあります。

〇 そのまま赤信号を渡っていく人
〇 あなたの顔を確認しながら渡っていく人
〇 あなたを見て、イライラしながら待つ人
〇 渡ろうとして思い直して待つ人

  こういったいろんな人がいることに気づくと思います。

  このほかにも早寝早起きをする、朝は元気にあいさつをする、自主学習をする、余裕をもって行動するなどなど、いろんな一般的に正しい、善いと言われる守るべきことがあります。

  けれども、私たちがそれらに取り組むときに意識すべきことは、その行動を守ることではありません。

  なぜなら、律法によっては誰も義とされないからです(ロマ3:28)。

  私たちが意識することは、「そのようなことに喜びをもって取り組む事ができる人とは、いったいどういう人なんだろう」と、その理想とする姿、ありたい姿に憧れをもつことなのです(ヨハ3:16、Ⅰヨハ4:10)。

  成果や結果ではなくて、喜びをもって取り組む姿勢を神に願い求めることです。そうすることで、世の人が欲しいと願うものが、私たちにはついでに、おまけにもらえます(列王上3:10-14)。

  そのためにパウロは「心を新たにして自分を変えていただきなさい」と言いますね(ロマ12:2)。そのために安息日を守るということなのです(イザ30:15、Ⅱテモ3:16)。

  私たちは、日々変わりやすい風のような人たちの言葉を聞くのではなくて(エペ4:14)、聖書の言葉に耳を傾けてそのことを確認する時間が必要です。

  聖書の言葉は、少なくとも2000年前には変わらずありますから、人の知恵でも信用できます。神の知恵であれば、天地創造以前からあります。



  ノアは、神に命じられ箱舟から出ます。出てから何をしましたか?まず、神を礼拝したのです。箱舟(教会)で神を礼拝し、箱舟の外でも礼拝したのです。このノアのような姿をイエス様は、次のように言っています。

< ルカによる福音書 13章18-19節 >
  18. そこで言われた。「神の国は何に似ているか。またそれを何にたとえようか。。 19. 一粒のからし種のようなものである。ある人がそれを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」。

  安息日は、週に1回だけ、教会にいるときだけで足りますか?

  ノアは足りないと感じたのです。

  ノアは事が起こる前から神を信じ、箱舟を造り、家族を救い出し、世を罪に定めました。そして救ってくださった神を慕い、どんなときでも礼拝を欠かしませんでした。

  私には神が常に必要である。そのことを神に願い求め、信仰を行いによって示したこと。こういったことが、ノアが正しく、全き人であり、義人と呼ばれる所以ですね(ヘブ11:7)。


  主と共に歩む喜びが一週間のすべてに、私のすべてに及びますように。ノアのように、あなたのいるところが神を礼拝する場所となります。

  私たちは、はじめに聖書に従って生きる姿勢を人々に示すことによって、神を知る喜びを人々に伝えるのです(ヤコ3:13)。

  イエス様が神の国の支配、これは神と共に歩む喜びのことですね。その支配をからし種に例えておられるように、ノアの物語は、種の話でもあると思います。

  種の話は、『エレミヤ書』によく出てきます。ノアの物語では、人と動物は箱舟に入り、神に命じられ地上に出てきます(ヨハ14:6)。その預言を「見よ、わたしが人の種と獣の種とをイスラエルの家とユダの家とにまく日が来る(エレ31:27)」と、エレミヤに明かしていますね。

  あなたは、どちらの種の芽吹きを神に願いますか。人の種ですか、動物の種ですか。

  人、ノアは、まず神を礼拝しました。動物は、礼拝せずに散っていきました(ルカ17:17、Ⅱテサ3:2-3)。

  これは霊のお話ですよ(Ⅰコリ2:13)。

  動物は、命を確認しないので、怖いと逃げます。敵対すると牙をむきます。エサを与えてくれる人には媚びます。いろんな神々と呼ばれるものに揺さぶられます。

  私たちには、力と愛と慎みの霊が与えられています(Ⅱテモ1:7)。どうか、神の望んでおられる人の種の芽吹きを願い求めてください(雅歌2:2)。

  そのときには、モーセの「あなた自身に正しさに十分気をつけなさい(申命12:8)」という言葉を、常に心に置いておくことです。

  神が、あなたの中にある御言葉から信仰を芽吹かせ、人々の憩いの場としてくださいますように。お祈りをします。



【 お祈り 】
  天の愛するお父さん。世にはいろんな正しさ、善さというものがあります。けれども、正しい方、善い方はあなただけであることを、私たちは知っています。

  今、コロナの波が長いこと私たちを襲っていますが、それはあなたを知る喜びを確認する機会であると私たちは信じます。

  どうかノアを聖別したように、私たちを世から取り分け、あなたの命にあずかる者としてください。私たちの兄弟が命を得るために。

  この祈りを私たちの救い主であり、主であるイエス様の御名によってお捧げいたします。アーメン。

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