なんじゃこりゃの先に
おひさしぶりです。
最近のメルボルンは、寒いです。
朝は2℃の日もあり、起きられません。
わたしのアパートは古いので、部屋がかなり寒い。
(ルームメイトは布団をかぶって仕事をしている)
私も家で作業するときは、オイルヒーターを足に挟んで作業しております。
オーストラリアはあったかいというイメージがある人も多いと思いますが、
車で1、2時間走ればオーロラが見れたりするほど南極に使いので、
メルボルンの冬は普通に寒い。
曇りの日が多いので、晴れてると
(外に出なくては!写真を撮らなくても良いのかい?)
という悪魔のささやきに悩まされ
残り一ヶ月の今、メルボルンに居るうちにできることをやり切らなくては・・・というぼんやりとした焦りに駆られ、最近はいろんな人に会いまくったり
カフェにこもって、こっちに来て発見したこと、違いを感じたことはなんだろうと
ぐるぐるとノートに書いたりしてた。
(こっちは日本語でひとりごとをつらつら書いてても誰にもバレないのがいい)
ひとりでぶつぶつ書いていて、
メルボルンに来て良いなと思ったことのひとつに、
アートの敷居の低さがあるなと思った。
自分の理解のために、まじめに書いてみる。
メルボルンは芸術の街というプライドを持ってるだけあって
街をあげた大規模なアートフェスがしょっちゅう行われている。
デザインウィーク、フォトフェスティバル、アートフェスティバル、コメディフェスティバル、、、
年中何かありすぎて、うっかり見逃しそうになるぐらいの頻度で
何かのフェスをやっている。
しかもどれも入場無料のものが多く、会場のスタイルも自由。
美術館だけでなく、いつもの街中にとつぜんアートが現れまくる。
そのたび日本と違うなと実感するのが、作品の選び方。
フェスの目玉になるような作品が
わかりやすくて万人受けする物、ではなくて、
挑戦的なものや考えさせるものが多いこと。
日本だったら、フェスの目玉になるものはおのずと
多くの人に好まれる、最大公約数的な、わかりやすくて華やかなものが多いと思う。
誰にでも愛されると限らない、挑戦的なもの、わかりづらいものをメインに持ってくるのは
クレームや集客の観点でまず切り捨てられがちな気がする。
でもメルボルンのアートフェスではそれが違うことが多い。
全員が好むわかりやすいものではなく、違和感をきっかけに何かを考えさせるようなもの。
そういう作品をメインに持ってこれるということは、
受け手の感性を「信頼」してないとできないことだと思う。
カルチャーが好きなメルボルンの市民なら
変化球を投げても、向き合って楽しんでくれる、という信頼関係。
展示作品を見ながら、日本だったら、長ーい会議の末に
「この作品をメインにしましょう」という決断にはならないだろうなあ、と思わされることが多い。
もうひとつ感じるのが、客層の幅広さ。
こっちにくると、アートフェスを見に来ているお客さんは本当に老若男女さまざま。
地元のお爺さんお婆さんみたいな人も、古着来てタトゥーばきばきのおねえちゃんも、
いろんな人が自由に現代アートの展示を眺めたり、パフォーマンスを見に来たりしている。
でかいアートフェスだけでなく、小さいアートコミュニティも多いメルボルン。
最近、自治体が主催するフォトワークショップに行ってきたら
作曲家をやってる女の子から、最近写真を始めたような主婦のおばさまがたまで
定員オーバーで募集締め切りになるぐらい大盛況。
(毎週集まって小説を書くコミュニティ、写真を撮るコミュニティ、デッサンするコミュニティなど
メルボルンには小さいアートコミュニティがやまほどある)
日本でアートイベントをやると、
どうしてもまだ、美大界隈のひとや、ちょっと意識高めの人たちのみが集まりがちなイメージがある。
こっちにいると、もっと気軽で開かれたものな気がする。
その違いがなぜ生まれるのか、正確にはよくわからない。
でも多くの移民と共生してきた中で自然と培れた
「自分とちがうもの」や「見たことのないもの」への包容力や
様々な個性を抱える街への「誇り」みたいなものが
それを可能にさせている気がする。
さらにもしかして、過去に先住民に対して自分たちがしてきたことへの
償い、みたいなものも混ざってるのかもしれない。
日本で仕事をしていると
「もっとわかりやすく」「それで全員にウケるのか?」
が求められることは多い。
一見勢いがあって面白そうなアイデアでも、会議の末に
わかりづらすぎる、こんな誤解を生む危険がある、一般的じゃなさすぎる
みたいな理由で採用されない、過程もたくさん見てきた。
だからこそ「ん?なんじゃこりゃ?」というものが
でかでかと展示されてるのを見ると
いったいどんな人たちがどんな会議を経て「これで行こうぜ」になったのか
そのプロセスをのぞき見させてくれ、という気持ちになる。
「なんだこれは!」と思わせるのが芸術だと岡本太郎氏も言ってたそうです。
「なんだこれは」にずっと出会いたいし、
「なんだこれは!」を思い切って投げられる信頼関係がうらやましい。
そのなぞ、内側に入って解き明かしたかったなあ
というのが 帰国が近づいたいま、ちょっとくやしいことです。
オーロラ見れなかったし、毎日寒いけど
残りの時間を楽しむぞ。アディオス。
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