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信じるということ

こんばんは。今日も1日お疲れ様でした。
セミの声が聞こえなくなって、夜が少しすずしくなってきましたね。
体調には気をつけてくださいね。

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何かを信じるということは、自分がそう思ったのならそう思い続けること
人に対しても、願いに対しても、夢に対しても

人を信じるってことは必ずしも自分の願い通りにはいかずに裏切られてしまうこともあります。

私がすごく人として尊敬している芦田愛菜さんの言葉で、信じることに対してこう語っていました。

裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」


相手のことを言うのではなくて、自分の受け止め方について言っていて、
受け止められる揺るがない自分という表現がすごく印象に残っています。

自分の考えをすぐに言語化して、それを届くように伝えられることができる語彙力も、多くの言葉の引き出しの中からシンプルで分かりやすいものをチョイスする発想力も、本当に素敵だなと思います。

私も人を信じることに対して、裏切られるのが怖いとか、相手が自分のことを悪く思ってしまうのではないか、第三者に言いふらすのではないか、などとすごく警戒してしまって中々自分のことを伝えられないでいることがよくありました。

私にとって自分のことを相手に話すと言うことは、かなり勇気のいることだったので、いつも聞き役に回ってしまいます。
それで人の話を聞くのが好きになったのもあります。

でも本当に自分が辛くなった時、悩んだ時、自分で限界まで溜め込んで、涙を流して、誰もいないところで自分が壊れていくのを感じて、生きるのが辛くなってしまいます。

ひとりでも信じることができる人がいてくれれば
きっとそう言うことも減るだろうし、相手も私のことを信じてくれるのだろうと思います。

私は自分のことを信じていないから、どんな自分でも受け止められる揺るがない自分がいないし、人のことも信じてあげることができないんだなってすごく思います。

自分を大切にしてあげられないのも、自分を信じてあげられないから。

この先のことなんてどうなるかわからないし、
いつ死んでしまっても構わないって思っているけど、私が死んでしまった時に誰かが涙を流してまで悲しんでくれる人はひとりもいないんだって

それくらい自分のことを今は信じてあげることができません。

この世にこの時代に人間として産んでくれて、ここまで育ててくれた家族には感謝しきれないけど、

私は不器用で生きるのが上手ではないから
今日を生きているだけでえらいなって思ってしまうくらい、低いハードルの世界で生きています。

たった一度の人生。

生まれ変われるのかもわからないし、地獄に行ってしまうかもしれないし、ほんとにこの先のことなんて誰にもわからないけど

一度でもいいから自分のことを信じてあげられるように、大切な人を信じて、そして信じてもらえるように、

自分という人間を受け止めてあげられたらなと思います。

大人になるにつれて、自分を信じることが出来なくなってきてしまっているけど

私を信じてくれている大切な人たちのためにも

自分を壊さないように、

今は上手に生きれなくてもいいから

良く眠れるように
次の日がきてもいいように

そうやって少しずつ自分を信じてあげたいと思います。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

これを読んでくださった人たちも
私の文章を最後まで信じて読んでくださった
素敵な人たちなんだと思います。

直接お礼を言うことはできませんが
noteの世界のこんな私を信じてくれて
ありがとうございます☺︎

また次の私の世界も信じて覗いてみてください

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