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人は声から忘れていく。私はまだ声を忘れていない

最初に声を忘れ、最後に香りを忘れる。死んだ人のことはそんな順番で忘れられていくと言われるのを、聞いたことはないだろうか。この記事を書くにあたって私はその出典を調べてみたのだが、どうにも見つからなかった。誰が提唱した説なのかはわからないが、ともかく私はこれに懐疑的である。

それはある出来事がきっかけだった。私はkindleで読書をするときに、画面レイアウトにこだわる。画面に何行表示されるかとか、一文字の大きさはどれくらいかとか、行間はどのくらい開けるとか。そういうこだわりが快適な読書体験に貢献してくれるのだ。

今日は久しぶりに画面レイアウトにこだわっていた。いつもはスマホでkindleを読んでいるのだが、今日は別のデバイスでkindleを開いていたからだ。そこで文字のサイズを変更しているときに、ふと高校時代の同級生のことを思い出した。もう7年以上声も聞いていない人物である。

彼は私と違って眼鏡をかけていなかった。私と同じくらい頻繁にゲームをするし、スマホとにらめっこする人間のはずなのに、私より目が良かったのだ。遺伝の差だろうか。コンタクトはつけていたと思うが、特段目が悪いエピソードは聞いたことがなかった。

その彼曰く「画面の字はちっちゃくても全然読める」のだそう。私はそのころからスマホの字では少々困難が付きまとっていたので、彼に馬鹿にされていた気がする。

重要なのは、これを思い出した時、私には声がちゃんと聞こえたということだ。ちょっとハスキーな高めの声が頭の中に響いた。人は声から忘れられていくとは何だったのか。声云々は謬説なんじゃないか?と私は思った。

どちらかといえば、匂いの方はほとんど覚えていない。正確には覚えていないというより、エピソードを思い出すときに匂いが想起されないと言った方がいいかもしれない。似た匂いの男性に会ったら、きっと彼が脳裏に浮かぶだろう。

もしかしたらたった7年程度では記憶はそんなに薄まらないのかもしれない。だがそれにしたって意外とちゃんと覚えているものだ。一体どこの誰が提唱したのだろう。今回したかった話はこれなのだ。

思えば私は死んだ祖母の声も覚えている。しわがれたチワワのような声だった。容姿も覚えているし、匂いも覚えている。そうして消去法をしていくと覚えていないのは味になるが、誰が祖母の味など覚えているのだろう。そういうのはもっと緊密な関係の人と知ることだ。

そこで私は興味がわいてきた。一体何年たったら彼のハスキーな声を忘れてしまうのだろう。それとも他の感覚を先に忘れてしまうのだろうか。それはどの五感から?いよいよ気になってきた。

なんとも非情な実験だが、私は頭の片隅に覚えておこうと思っている。今回はそれだけだ。

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