この国の「相互発達段階」エリート: 東郷益子 (平八殿、御奉公を大事にな)
東郷益子
二十歳で、薩摩藩士 東郷吉左衛門 に嫁す
鹿児島の主な神社の参詣を欠かさず、敬神と誠、真心を根本に家庭を築く
夫を支え家事に励み、舅姑はじめ家族から深く親愛・敬慕され、温かった
五男一女をもうけ、高潔な品性、欺瞞・浅慮を排する 気概・見識の涵養へと子供たちを導いた(東郷平八郎は、四男)
平八郎 10歳の時
小川で小鮒の群を目がけて小刀をふるい、一撃また一撃、たちまち十数匹を切り、見る人を驚かせて得意満面であった
これを聞いて、平八郎を呼びつけて益子は、
「武士は大敵を破ってこそ誉ともなれ、小魚を捕ったことが何になる。それを自慢するような卑しい心がけでは行末が思いやられる。さような業をほめる人があったなら愚弄されていると考えて恥ずかしく思いなさい」と、容を正し懇々と戒めた
薩英戦争に際して
夫・息子達の出陣を見送った後、益子は大鍋に薩摩汁をつくり、家の使用人二人にそれをかつがせ、自身は蓑笠に身を固め、折しも荒れ狂う暴風雨をものともせず、陣所をめぐって薩摩汁を振舞いつつ士気を励ました
西南戦争で戦死した三男の仮埋葬処に出向いて
鋤・鍬を使わず、独力で唯一人 十指が敗れ傷つくのをものともせずに素手で土を掘り、掘っては休み、休んでは堀り続けて遺骸を発掘し、改めて菩提寺に埋葬した
日清戦争を終えて、帰宅した平八郎を迎えて
益子は平八郎を上座に請じ、「これ皆天子様(天皇)の御威光で何とも申しあげようはござりませぬ」と、うやうやしく両手を突いて丁寧に挨拶した。平八郎は感極まって言葉が出ず、同じく母に向かって平伏した