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着陸の喧騒に「国家」が滲み出す

大学卒業間際、インターンの一環でトルコを訪れたことがある。トルコリラが暴落していた時期で、広場での事件などもあり政治的に混乱していた同国をフィールドワークするためだった。

日本大使館にもインタビューを行うべく、イスタンブル発のターキッシュエアラインズ国内線を利用した。政治首都アンカラの牧歌的な空気もさることながら、エセンボーア国際空港に着陸した際に機内中で拍手喝采が起きたことを今だに鮮明に覚えている。ロシアやイタリアでも時に同様の喝采が起こるらしい。私が乗り合わせた便の乗客は、たまたま純粋に着陸したことを喜んだのかもしれない。空から陸が見えると、それが成田空港であっても気分は高揚し着陸時は浮き足立つものだ。あるいは、安全に航行できたことへの安堵と賛辞なのかもしれない。実際、同航空は直近で2015年と2017年に事故を起こしている。いずれにせよ、日本では見慣れぬ光景に強烈な異国感を覚えた。

「フラッグ・キャリア」という言葉がある。

海軍用語で「国旗を掲げた運送者」であるが、「航空の自由化」が進んだ現在では多くの国で、当該用語自体が形骸化しつつあるかそもそも聞きなれない用語となった。前述のターキッシュエアラインズもフラッグ・キャリアである。政府保有のソブリンウェルスファンドが49.12%を保有し、0.01%が財務省、残りの50.88%が民間保有ということになる半国営企業だ。

一方、JALの主要株主。

さらに、ANAの株主構成

日本のフラッグ・キャリアは所有の観点からいえば、もはや「国旗を掲げた運送者」とはいえないかもしれない。2012年以来の国内外LCC(格安航空)の参入により、フラッグ・キャリアもまた資本の競争に巻き込まれている。2012年はJALが再上場した年でもある。

ところで、空の自由化と資本の自由化が同じ扱いを受けるかどうかは、また別の問題だ。

航空業等の国家のインフラを成す産業に対しては、外為法を通じて外資規制が課されている。ここでは「安全保障」や「国家主権」といった自由経済とは生まれ育った土壌を別にする概念が姿を見せる。

去る2019年10月18日にも対象業種への外国資本の投資について1%以上の保有から事前届出を要する改正案が閣議決定された。

同日の財務省報道発表にも”欧米各国が安全保障の観点から対応を強化している中、我が国としても、国の安全等を損なうおそれがある投資に適切に対応していく、ことを目的とし”と明言される。

米国においては、エクソン・フロリオ条項に基づき、”国家安全保障上懸念のある国内資本の買収案件を審査する外国投資委員会(CFIUS)を政権内に持ち、大統領の判断で、案件を拒否することも可能”とされる。

一方で、フィリピン航空とベトナム航空はそれぞれ9.5%(2019年)、8.8%(2016年)の出資をANAより受け入れていたり、2018年にブラジル政府は国内を運航する航空会社に関する外資出資比率規制を撤廃するという動きもある。とはいえ、フィリピン航空の大株主は個人(ルシオ・タン)であり、ベトナム航空の揺らぐことなき大株主はベトナム政府である、というように国により事情は多様だ。

ヨーロッパでは規制産業の資本構成を巡り、以下のような揉め事も生じた。フランスとオランダ両政府が共同で出資する航空持株会社エールフランス・KLMでは、株式の出資比率の不平等(エールフランス:14%、KLM:6%)是正に向かいオランダ政府が同社を14%まで買い増した(2019年2月)。ハブ空港をフランス側に移管するなど、オランダのスキポール空港が国際拠点としての機能を失うリスクのある意思決定などを回避する目的と見られる。完全に余談だが、私が2017年にオランダへ出張に行った際は、航空機の外観から完璧なオランダの航空会社だと思っていた。同社の資本構成については本稿で初めて知った。驚きである。資本とはやはり、目に見えないものである。

本稿、「フラッグ・キャリア」からどうもかなり遠いところまで来てしまった。なにはともあれ、私は飛行機に乗るのが好きだ。いつの日かまた、着陸の喧騒の中で見知らぬ「国家」の空気に私の胸は高鳴るだろう。


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