ノーウェイホーム : あの判断は傲慢か
スパイダーマン・ノーウェイホームについて思うことを書いていきたいと思います。
感想や考察はこちらで書いているのでよかったらどうぞ。
ノーウェイホームのネタバレを含みますのでご注意ください。
今作品はあの辛口評価で有名なロッテントマトで批評家:93%、観客:98%の
超フレッシュ作品です。
あのサプライズもあり、ピーターのホーム三部作を通した成長が描かれ、最高の作品だったと思います。
私も大好きな作品であり、先ほどのリンク先にある感想・考察を読んでいただければどれほど楽しんで、どれほど感動したかが伝わってくれると思います。
しかし、見過ごせない問題点もあります。
設定上の問題や矛盾ではなく、倫理的な観点からこれはどうなのか?とされている問題があります。
それは最終決戦において、ヴィランの能力を無理やり奪い、元の世界で死なないようにするというのはスパイダーマン達の傲慢ではないか、というのが今作で議論されている「治療問題」となります。「無理やり能力を奪う」の解釈が問題の根幹になります。
この問題について扱っていきたいと思います。
結論から申しますと、私は問題でないと考えることができると思います。
原作や元の設定は把握できていないのでその点はご容赦ください。
この問題を扱うにあたってサンドマンは以下の二つの理由で除外します。
一つ目は決戦に参加した動機です。彼は早く自分の世界に帰りたかったので箱を破壊することが目的ではなく、混乱に乗じて箱を奪おうとしていた思われます。他のヴィランとは動機が異なります。
二つ目は専門家でないことです。彼以外のヴィランはその道の専門家であり、自分の専門に関連した能力を持っています。しかし、彼は専門家でなく、強盗であり、全く関係のないアクシデントに見舞われサンドマンとなりました。
それでは他の四人のヴィランについて扱っていきます。
まずはグリーンゴブリン、ドックオクが一番わかりやすいと思います。ノーマンとオットーは悪人ではありません。しかしGiftとして知性を持っています。その知性を悪用しようとグリーンゴブリンやアームが彼らを乗っ取ります。これが彼らのヴィランのオリジンです。
グリーンゴブリン、アームというのは悪用しようとする者や悪用しようとする心の象徴になります。スパイダーマン達はこれらの悪を克服することを治療と言っているのではないでしょうか。ライミ版のスパイダーマン2でGiftとされてるのは知性です。彼らのGiftを奪った訳ではなく、悪の象徴のみを倒した。だからオットーが自らの知性で生み出した、制御できるアームは生き残っています。
リザード、エレクトロは人格を乗っ取られているという直接的な説明はありませんが、人格を乗っ取られていると考えることができる要素はあります。どちらもアメスパシリーズにおいてですが、リザードは変身して地下に逃げたのち、研究データとして録画をしていますが、薬を投与するとそのビデオカメラを破壊してしまいます。さっきまで研究していたのに破壊するといったように、人格が一気に変わっています。またエレクトロにおいては”My Enemy”の歌詞にあるように自分でない何者かが囁いているように思われます。その囁きは、マックスを暴力的なエレクトロにしてしまうのでした。電気うなぎの水槽に落ちる前のシーンでは電気ウナギがマックスについていくようなそぶりを見せたので、この声は電気うなぎ由来のものなのかもしれません。
このように彼らも人格が乗っ取られた者としてみると、ヴィラン達の超能力はGiftをPrivilege(特権)だとする悪の象徴であると考えることができます。特にエレクトロに説明しながら専門家に説明するなんて‥というピーターから分かるように超能力は自分の専門を悪用してしまっているのです。
となると、スパイダーマンも悪の象徴になりかねないか?という問題が発生します。しかし、私が思うにスパイダーマンは人格が乗っ取られているわけではありません。これがヴィランとスパイダーマンの違いです。
従って私の中では今作でのヴィランとの戦いは勧善懲悪の戦いです。敵はグリーンゴブリン、アーム、トカゲ、電気(うなぎ)の人格・超能力であり、それらに乗っ取られたノーマン、マックス達を取り戻す。
この考えでは、新たな問題も出てきます。自分がやったわけではないのだから、罪を犯した償いをすることがなくなってしまうという問題です。
ただ、「治療する問題」についての一つの可能性として書かせていただきました。
最後に、ここまで読んでくださりありがとうございます。
センシティブな問題だとは思いますが、大好きな作品だからこそ、目を逸らすことはしたくないと思いました。
親愛なる隣人、スパイダーマンについて考えるきっかけになってくれたら嬉しいと思います。