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Netflix『パワー・オブ・ザ・ドッグ』

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
監督 ジェーン・カンピオン
出演 ベネディクト・カンバーバッチ、キルスティン・ダンスト、ジェシー・プレモンス、コディ・スミット=マクフィーなど


ジェーン・カンピオン監督最新作、『ピアノレッスン』以来の衝撃作です。
なんとも言っても主演のベネディクト・カンバーバッチ演じるフィル、圧巻の一言につきます!

西部の広大な山並み、荒野を背景に巧みに削ぎ落とされた説明セリフやナレーション、繊細かつ圧倒的な俳優陣の演技。フィル以外の登場人物、コディ・スミット=マクフィー演じるピーター、ジェシー・プレモンス演じるジョージ、実生活でも妻であるキルスティン・ダンスト演じるローズらも素晴らしいです。
今回はフィルを中心に彼ら登場人物たちついて思うところをご紹介します!

❶去勢されたカウボーイ


フィルは弟のジョージとともに牛追いのため若い衆と生活をしています。カウボーイの男性的な荒々しさ、無骨さに反しフィルはイェール大を卒業、ラテン語、クラッシック音楽の教養(ラデツキー行進曲のバンジョーアレンジ!)のあるインテリである事が次第にわかります。
フィルは厭世的、脱俗的である意味、超人として描かれるも、牛の去勢シーンで表現されるように当時のアメリカ西部のキリスト教的、保守的価値観の中で彼は完全に性的に去勢された存在としても描かれます。ブロンコ・ヘンリーの使用した鞍やBHの刺繍入のハンカチーフ、これらの物でしか自らの性的アイデンティティを確かめる事が出来ない存在なのです。性的マイノリティであるが故の孤独、焦燥感、怒り、虚無をベネディクト・カンバーバッチが見事に表現しています。

❷世俗としてのジョージ、ローズ


ジョージとローズは世俗そのものです。フィルの足音に怯え、受動的で依存、逃避を選択するローズ。ローズの抱くフィルへの恐怖心に気付けないジョージ。二人の脆く壊れやすい関係性、信頼感の欠如、これらは州知事の前でのピアノ演奏で露呈するわけですが、フィルは彼らのような関係性や本質的でないものを嫌い、変わりゆくものを拒絶しているかのようです。これは狂想の20年代に表現されるように、当時は新しい価値観が台頭し伝統の破壊が起こった時代です。忍びよる近代化や参政権獲得により自由を謳歌する女性達が現れ、フィルはこうした時代の隆盛に取り残されていたのかも知れません。去勢された変わる事の出来ない自分への苛立ちを抱えながら、若い衆の中にいても彼だけはブロンコ・ヘンリーの生きていた遠い過去に思いを馳せているのです。

❸ブロンコ・ヘンリー

ブロンコ・ヘンリーとピーターは遠くの山の中に吠える犬を見出す事の出来る特別な存在です。ブロンコ・ヘンリーは劇中では多く語られませんが、彼はフィルの性的対象でもありました。彼の名前が刻まれた男性ヌード写真のある隠れ家や川、あの場所はフィル以外知ることのない、凡人には辿り着くことすら出来ない、唯一フィルが身体を清められる神聖な場所、言わばフィルの聖域なのです。ブロンコ・ヘンリーがゲイであったかははっきりとは明かされませんが、あの聖域は世俗から隔絶されたふたりだけの秘密の場所だったと思えてなりません。

❹ピーター

ピーターはフィルと共にこの映画の核です。
聖域をピーターに発見された事により、フィルは激怒するもピーターを意識し、ピーターが山並みの犬の存在に気付いた事で、彼に対する嫌悪はある種の希望へと変わります。ピーターをブロンコ・ヘンリーの鞍に乗せる行為やピーターのため作成したロープは、彼を束縛したい、彼と結ばれたいというフィルの性衝動の投影でもあり、特にロープはフィルが殺されるきっかけになる象徴的な重要なアイテムです。
ロープとともに象徴的なアイテムとしてピーターの櫛があります。カリカリと音を立てて嫌な緊張感が走りますよね。これは彼が緊張したり、動揺したりする時に使用されますが、これは死に取り憑かれていたピーターの死への衝動を表現していると感じました。
最後にピーターはフィルがゲイである事に気づき、それを巧みに利用して炭疽菌でフィルを殺す事に成功します。結局フィルが抱いた束の間の希望は、ピーターに逆に利用され悲しい結末を迎えるのです。

最後に

原作はトーマス・サヴェージによる「The Power of the Dog」です。原作ではローズの死んだ前夫ジョニーや先住民親子の描写が詳しく、映画とは若干異なる描写もあります。
映画は原作同様に広大な自然体を背景に、登場人物たちの心の変化を繊細に表現していて、それは油断していると見落としてしまう程の描写であったりします。恐らくまだ見落としている所がたくさんあると思います。こういう映画こそ、何度でも見返してみたいですね。
それでは、また。




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