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かしましかしましまし Vol.20(藤居)〜波を聞いてくれ〜 IV

ついに僕らが無い頭を振り絞って書いてきたこのnoteも、今回で20回目の連載となります。20回というと週1のペースでそれぞれ更新するので、単純に20週やってきたことになります。おおよそ5ヶ月とかですね。

数字で見ると大したことないかもですが、僕らが何か一つのことをここまで続けてこられたのは初めてだと思います。なので結構感慨深いんです。褒めて欲しいです。

それぞれ何かしらのテーマを持って、それだけはブレることなく書いてこれたのではと思います。僕なら歌詞、水谷は楽器に繋ぐエフェクター、岡村はベース、そして菅澤はボーカリストから見た筋肉... (菅澤に関しては色々物議を醸す内容もありましたが...)

しかしながら僕はテーマよりもみんなが書く導入の雑談が面白くて好きです。よくこういうふうに書けるなあと思います。読んでくれてる方の感想としても導入に関するものがしばしばあります。こういう小話ができるかできないかって結構人間味の深さにも関係するような気がすると言ったら極端でしょうか。

閑話休題。そういえばnoteから記事にアクセスしてくれた方は知らないかもですが、この記事の投稿はTwitterと連動させてまして、それぞれの担当の曜日の午後8時になった時、ツイートと共に内容が読めるというふうになっております。

ただこれは結構緩いルールで、投稿者が予定があったりとかして8時きっかりに投稿できないパターンもあります。そういう場合はあらかじめnoteを投稿しておいてtwitterは予約ツイートで、みたいな感じにしていますね。

こうやってある程度早まる分には構わないのです。逆に遅れる場合に関してはもう正当な理由がありません。

投稿するのを忘れてた、とかならまだマシです。noteを書くことすら忘れてたとかになると焦って仕上げるものですから、確実に内容に出ます。文量がやたら少なかったり誤字祭りだったりと。

さあというわけでこれを読んだみなさんは、是非弊バンドFilmlandのTwitterに飛んで、僕らのnoteツイートの更新時間をながめてみてください。そして上記のように投稿時間に遅刻しているツイートの記事を読んでみてください。

↓(こちらがFilmlandのTwitterになります。ついでにFollowもよろしくお願いします!!)


先程の前提を踏まえるとモノによってはかなり奥行きが生まれます。(笑いの)

ではこのあたりでそろそろ歌詞解説に移っていこうかと思います!
改めて、いつも僕らのnoteを読んでくれて、応援してくださる方、ありがとうございます!!
これからも多分、続いていくと思うのでよろしくお願いしますね。

Waves歌詞解説!こちらも始まって4回目になるコーナーですね。内容もだいぶ佳境に差し掛かってきました。

前回は、「淡色のコート」、「積まれた石ころ」という印象的なワードがあくまでアナロジー、言い換え表現であると勝手に断定した上で、その奥に隠れる本当の意味合いを探っていきました。

それはLGBTによる社会活動のイメージスタッフである「レインボーフラッグ」から、山頂などに人の手によって積み上げられた「ケルン」まで、正直ほとんど荒唐無稽な想像力で突き進んできましたね。ですが本気です。UFO学者がUFOの存在を頑なに信じ続けるように、僕も僕の考察を信じ続けます。というかすり替えてこれが事実であるかのようにしていきます。

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「積まれた石ころ」を、先程のべた積み石のことをさす「ケルン」であると仮定しました。そしてこれも前回述べたように、このケルンはいくつか意味合いを持つのですが、歌詞の文脈と照らし合わせることで「埋葬場所の特定や慰霊」というのが有力となります。

すると、浮かび上がるのが、その積み石に潰された「彼ら」の存在です。なぜ死者が眠る「慰霊碑」は「彼ら」を潰したのか。

実はこれは簡単なのです。この解説を読んでくださる方はお気づきかもしれませんが、vol.17で取り上げたA1の歌詞、

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この部分ととても親和性が高い内容なのです。

(詳しくはこちらから!)

この記事にもあるように、「縫い目」、つまり「繋がり」を求めた「彼ら」はそれらを象徴する「墓地」に縋ります。「墓地」には今まで数多に説かれてきた「救い」の数々が眠ります。決して「今」を知ることのない「故人」の教えや言葉に、ただ救われたいと、盲目的になる生者たち。まさにそれらを指すと思える、「操り人形」というワードもありましたね。

話を戻しましょう。次に進みます。

「寄りかかる街」、「光の群衆」。またこのあたりも難解です。

まず街は何に「寄りかかっている」のか。これは「街」を「社会」と捉え直すとわかります。繋がりによる安息を求めるばかりで、挙げ句死者にすら捨てられた「操り人形」たちが蔓延る「社会」。そう、「街」が寄りかかっているのはもうこの世を去った事物たち。「死者」なのです。

「光の群衆」は星をイメージさせますね。星は星座や恒星などに基づいた様々な神話があったりスピリチュアルな意味合いがありますね。

中でも思い起こすのは、「六星占術」です。

六星占術という占いを知っていますか? 六星占術は、占い師の細木数子先生が易学や算命学、万象学などをもとに提唱したとされるオリジナル占術。六星占術では、生年月日から割り出した運命数をもとに、土星、金星、火星、天王星、木星、水星の6つの運命星に分けて占います。毎年六星占術による占い本も出版されているので、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

(https://uraland.excite.co.jp/blog/fortune/10110, 六星占術ってどんな占い?運命星の計算方法から星人別2021年の運勢まで) より引用。

なつかしの細木数子

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この六星占術の説明にもあるとおり、生年月日から算出された「運命数」という数字はその対象者そのものの数字です。そしてその数字はそれぞれの運命星になぞらえることによって運命が占われます。逆にいうと星を読むことによって「彼ら」の運命を知る。つまり「光の群衆(星々)」が照らし出すのは、「死者」に寄りかかった「街」が辿る運命そのものなのです。

盛り上がってきましたが、今日はここら辺にしておこうと思います。

それではまた次週。

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