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かしましかしましまし Vol.8(藤居) ~Eclecticされた言葉たち~

今までこの連載ではFilmlandの楽曲、「Full Swing」にぼくが載せた歌詞についてのんびりと書き連ねてきたんですが、とうとう前回のVol.7にてそれも最終回を迎えてしまいました。

これを始めてこのかた自分の歌詞の解説しかやってこなかったので、いざ他人の歌詞について私見を述べるとなると、すごくおっかなびっくりと言いますか恐縮な気持ちになります。でもまあ「かしましかしましまし」なので。歌詞について、というテーマ性は維持しようと思いました。

普段は英詩を聴くことが多いのですが、流石に英語圏に住んだこともないぼくの英語力やGoogle翻訳なんかにかけた歌詞に対してあっさい見解を述べていくというのはヤバい気がしたので、おとなしく日本語詞にしようと、ここまでは早かったのです。

じゃあ曲決めだ、となったはいいものの、近年のストリーミング的な聴き方が祟ったせいかこの歌詞について語りたい!ってものがパッと思い浮かばず。
そんな中、コーヒーつくりながら(フレンチプレスという方式を採用しております。油分が残る製法で、すごく喉越しがマイルドになり美味しいです。)Spotifyでランダムに曲をかけているとこの曲が流れてきたのです...。

サイコー!ってなったと同時にハッとしました。

この小沢健二による2002年に発表されたアルバム「Eclectic」は、当時いろんな理由でファンの間でも好き嫌いの分かれる作品だったみたいです。以前まで「Life」「球体の奏でる音楽」とキャッチーな作品群が並んでいた中、5年くらいのブランクを経て出たのが、まさかの超ブラックかつアダルトな性愛の内容だったというのでひえ〜!とびっくりしてそのままあまり好かれなかったという感じなのでしょうかね。実際BOOK OFFでもしょっちゅう見かけます、結構安くで...。

話が脱線しましたが、なぜこれが流れてきてハッとなったのかについて。
ぼくは思い返すと、このアルバムに関しては「ビート」だったりトラックのテーマ性について言及されているのをよく目にした記憶はあったんですが、歌詞についてはあんまり触れられてなかったような気がしたんです。

そうしてハッと気がついたあと改めてじっくり歌詞に耳をかたむけると...

めちゃくちゃ好きな感じでした!!!

そして加えていうと曲単位でなく、アルバムを通して聴いた方が歌詞に関しては解像度が上がるイメージでした。なんで今回は勢いに身を任せて「小沢健二」の「Eclectic」について、アルバム単位で私見を綴っていこうかなと思います。

そもそもタイトルのEclecticって単語、見たことない人も多いのではないでしょうか?これは辞書曰く、「取捨選択する」、「折衷的な」って意味らしいです。

「折衷」って言葉はまさにこのアルバムをうまく言い表しているのです。
というか逆にこの言葉に合わせた曲作りしてたのか?と思ってしまうくらい...
編曲に関しては、オザケン自身が打ち込んだシンプル目なリズムマシーンにウワモノが基本コードをループしながら乗っかってる、本当に今まで出てた作品とかに比べたら地味目なもんだと思います。

ただアメリカのプロミュージシャンを起用してアメリカで作り上げた作品だけに、アメリカ人が日本語でするコーラスに、グルーブ感の進化に気づく一方で、言葉の意味の薄まりも感じ、これも一つの取捨選択やな、とか思ったり、すごくネオソウルっぽい感じ (やっぱイメージはアメリカ) の雰囲気を音作りや演奏で感じさせつつ、彼の90年台当時の代表曲の一つである「今夜はブギーバック」の新アレンジが入っていたりとこれまたやはり当時彼が住んでいたアメリカの空気と、日本語や過去の日本での活動が上手く「折衷」されているのかなと思えるのです。

ただ忘れてはならないのが、一応この連載は歌詞について、というテーマがあるのです!なのでそろそろ歌詞見ていきましょうか...。

もちろん、「折衷」は歌詞にも見られます。まずはこの「Eclectic」がサブスク解禁された時の小沢健二のコメントを見てみましょう。

エクレクティックについて 「Eclectic」は「ビート」という技術を試してみたアルバムです。「ビート」という言葉を、僕は2000年頃のNYシティで聞くようになりました。「あのビートはアツい」「今ビート作ってる」。その「ビート」は、日本語で「トラック」とも言うと思います。8小節位のループで、ドラムがあって、その上で音が入ったり消えたりする、例のあれです。 街じゅうで鳴っていたあの音楽様式への関心から、「Eclectic」は生まれました。だから何よりも音楽技術的で、それ以前の「LIFE」とか最近の「流動体について」とかとは、出自が違います。「Eclectic」の頃、歌詞についても気がつくことがありました。それは、ブラックミュージック、特にソウル・R&Bの場合、歌詞を意図的に軽く、薄くしていることが多い、ということです。 これは社会的にも、音楽的にも、よく考えたら当たり前のことなのに、盲点だったりします。ともあれ「Eclectic」の歌詞は、僕の他の歌詞に比べると意図的に薄くて、軽くて、ぼんやりしていて、シンプルなリフレインが多いと思います。 だから、最近の「フクロウの声が聞こえる」とか「アルペジオ」みたいな音楽とは対極にあるのかもしれませんが、でも、やっぱり「Eclectic」への探求がなかったら、僕の最近のやつはないのです。 静かな夜に、聴いてみてください。

 (musicman.2018,https://www.musicman.co.jp/artist/183769)

まさにここに書いてある通りの感覚です。2016年ごろから精力的に音楽活動を再開し出して以降の小沢健二の曲の歌詞は、どれもメッセージ性だけじゃなく言葉そのものがパンパンに詰まっています。

メロディの嵐...とにかく具体性のある言葉と高揚感のある曲調でゴリ推してるイメージですね。

これと比べると本当に「Eclectic」の曲群は対照的です。どの曲も幻想的でぼんやりしていて、何より言葉が少ないです。そして正直どの曲もなんとなく情景が似てます。ただやっぱり、まさにこの言葉のシンプル化はブラックでネオソウル的な「日本的」でない曲調に日本語詞を組み込むための必要な「折衷」案だったのだと勝手に思っとります。

じゃあ実際歌詞の内容は良くないのかってなると思うのですが、そこはオザケン、しっかり中身も良いです。

この麝香(じゃこう)という曲、めちゃめちゃキャッチーで多分アルバムの中でも1、2を争う人気曲だと思います。歌詞に関して個人的に特筆すべきはこのサビの歌詞です。


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まず、このアルバムは「夜」、「幻」、「魔法」、「心」、「愛」、「炎」などの単語が頻出します。(結構普段からある気もしますが今回は本当に多いです。)
今回はほとんどの曲が、ある程度こんなふうにテーマ性を絞ってからメロディーにはめるように並べていくという感じだと思います。

そして重要なのがこのアルバム全体にわたり、歌詞の概ねは文の主体と「あなた」を中心に構成されています。仮に主体を「わたし」とすると、「わたし」と「あなた」の間に流れる蜜のような時間(「夜」に燃える「愛」と「炎」の関係)と「あなた」が「わたし」に施す「魔法(超自然的な経験)」の美しさや艶かしさについて歌われているのです。

いよいよって時なのですが、内容が膨らんできたので一旦ここまでを持って次回に持ち越しとさせていただきます。「序章」的な感じでちょうど必要最低限の前置きは話せたかと思います。

できればこの記事を読んでいただける際は「Eclectic」を聴きながらがおすすめです!雰囲気やぼくの言ってることは間違いなくそっちの方が伝わると思うので...。

そんで持って何より曲がめちゃくちゃかっこいいです!ぼくの1番のお気に入りは、∞って曲なのでぜひ!

それでは、今週もがんばりましょう!





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