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幸せは一瞬で深く、不幸は長く浅い

 今日の昼間、ジェーン・スーさんがラジオ番組で「自粛生活中にできたこと、できなかったこと」をテーマに話していた。「確かにこの2カ月を総括するのもいいなぁ」と思ったので、振り返ってみる。

家の中と外の安心ギャップに戸惑う

 私が新型コロナウイルス感染症に不安を感じ始めたのは、1月下旬からだ。東京だけでなく、クイーン+アダム・ランバートのコンサートを見に名古屋に行ったとき、あれほど闊歩していた中国人観光客が激減し、街が閑散としていたからだ。それから外出するたびに、注意深く街や人の様子を見るようになった。とはいえ、3月中旬までは、冗談のように軽い調子で話題にしていたと思う。

 忘れられないのが3月下旬の連休、春分の日の直前に京都に出張で行ったときだ。感染を気にする中高年の姿はすでに街からかなり消えていた。一方で、10代後半から20代前半の人たちが目立った。一斉休校になったことや若い世代の感染者がこの頃はほぼゼロだったことから、早めの春休みを満喫していたのだ。「少子化と言われるけれど、世の中にはまだこんなに若い世代がいるんじゃない」と思うくらいの賑わいだった。

 事態が深刻化したのは、連休以降、感染者が急増してからだ。緊急事態宣言の発令が今日か明日かという状態になると、仕事も感染を避けるため、スタッフ全員が神経を尖らせるようになった。取材もSkypeやzoomを使ったリモートでの対面になり、撮影はカメラマンがライターとは別に動き、短時間で済ませるスタイルに変わっていった。そして、4月中旬からは、ほぼ完全な自粛生活へ。私の場合、冬から動いていた仕事が落ち着く時期だったこともあり、コロナによる自粛なのか、単なる無職なのか分からないような日々になった。

 緊急事態宣言が出され、周囲にいる会社勤めをしている人たちもリモートワークで家にこもる生活になってからは、緊張感や高揚感がまぜこぜの精神状態になり、先への不安が大きくなった。この頃がもっともストレスが強かった時期だ。テレビが伝える医療情報も生活支援策も混乱し、確かな情報を見分けるのに神経を使った。一番、妙に感じたのは、家の外では感染者が日に日に増えているのに、家にこもってさえいれば、リスクがほぼゼロだったことだ。東日本大震災でも生活は揺らいだが、あのときは家の中も外も安心できなかった。今回のようなドア1枚隔てて、外には見えない危険があふれているのに、家の中は安全というのは、遭遇したことがない。慣れるまで時間がかかった。

他人からの評価がゼロの幸福感

 ゴールデンウィークに入ってからは、天候に恵まれたこともあって、気持ちのいい日が続いた。外食がままならないため、強制的に料理の時間が増えたが、すっかり遠ざかっていたメニューを思い出して作ってみたり、ちょうどいいレシピの棚卸しになった。掃除や洗濯の回数も増えた。テレビから流れてくる過剰な割には内容が薄く、精査もしきれていない情報量にだんだん耐えきれなくなり、ゆったりと時間が流れ、情報も濃いラジオ中心の生活に変わった。なによりも、仕事のアポや締切に追われることなく、24時間すべてを自分のペースで過ごしたのは、初めての経験だった。

 大学時代もかなりマイペースで過ごしたが、それでも授業と試験はあった。社会人になってからは、1週間の休暇をとったのは1回だけ。会社員時代もフリーになってからも、仕事が最優先で毎日、何かしら「やるべきこと」があった。それが、この1カ月半ほどの間、なにもかもからすっこーんと解放されたのである。そして、思った。「あれ? けっこう楽しくない? 幸せじゃない? アタシ」と。

 ライターは天職だと思っているが、取材は緊張するし、原稿も「ここまでは」という自分のなかの水準まで推敲するには時間がかかる。編集部に原稿を提出して一息つくものの、それ以降は評価が怖い。「書き直しがあるかも」「事実関係で間違いはないだろうか」「読んでくれる読者はいるだろうか」「読者の反応は?」と編集作業中から発売日以降も気が抜けない。それが、この1カ月半、締切がまったくなかったことで、原稿にまつわる緊張感から解放されたのである。

 仕事以外にも開放感はあった。買い物のときに人にぶつからずに歩けたり、交通量を心配せずに自転車で走れるのは快適だった。とくに政府が観光立国を積極的に進めて以来、中国語を筆頭に外国語に取り囲まれ、自国にいるのに海外にいるような気分になることがきれいさっぱり解消されたのにもほっとした。海外からの観光客が日本を楽しんでくれることには協力したいと思うが、ここ数年は度が過ぎた。日本人がゆっくりと過ごせる場がどんどん狭まっていると感じるのはつらかった。

 私が経験した自粛生活は、数ヶ月後の入金がほぼゼロになる先々を考えれば喜ばしい状況ではないのだが、仕事をめぐるやりとりがほとんどなかったこと、外出のために洋服を選んだり、化粧をする必要がなかったことは、一つの発見をもたらしてくれた。「他人からどう思われるか、どう見られるかを考えなくてもいいって、なんて楽なんだろう」と気づいたのだ。ここで言う「他人」とは、自分の心のなかにある「他人からの評価」だ。自分が他人から見て、こうでありたいと願う姿。その思い込みからから解放されることは、これほど気持ちを楽にしてくれるものだったのか。

 自粛期間に呼び覚まされた私の幸せ感覚は、おいしいものを食べて心躍るときの感覚にとてもよく似ていた。自分の感覚とぴたっと合うおいしさを感じるのは、舌で味わっている間の、ほんの一瞬だ。食事に限らず、何かうれしい出会いがあったり、努力が報われたりして喜びを感じるときも、幸福感のピークはとても短い。しかし、時間は短くても、深く心に残る。おそらく人が生きていけるのは、胸に深く刻み込まれた、この一瞬の幸福感を折に触れ思い出すことができるからだ。

 一方で、つらかったり、悲しかったりする「不幸せ」は、幸福感よりも浅いところで、どんよりと長く続くことが多いように思う。そして、時間の経過とともに、いつの間にか澱みが薄まり、楽になったり、忘れていくものなのかもしれない。

究極のダメ人間で過ごした1カ月半

 仕事に復帰する状況が見えてきた今になると、自粛生活が始まった頃に何をして過ごすか、計画を立てればよかったとは思う。予想より読んだ本は少なかったし、ふだん、後回しにしてきた事務処理も中途半端なままだ。しかし、後悔はしていない。働き続けてきて、とことん疲れていたのだ。とくにこの10年ほどは、仕事の量が増えてスピードが加速し、日々、めまぐるしく、こなすので精いっぱいだった。世の中の価値観がより拝金主義に傾き、殺伐とした空気を感じて息苦しかったことも重なり、へとへとだった。それだけに、自粛期間中は仕事っぽいことを一切したくなかった。「食う」ためのお金を稼ぐことだけに時間を消費するのではなく、それ以外のために、人生のほんの一時期を過ごしてみたかった。緊急事態宣言以降も以前と変わらず働いていた人や仕事を失ってしまった人、医療、物流など社会の基盤を守るために働いていた人には申し訳ない話ではあるが。

 強制的な仕事のリセットになったことで、自分がどういう状態にあるときに幸せを感じるかという感覚を取り戻せたような気がする。このまま仕事もせずに、毎日、遊んで暮らせればいいなぁと思うけれど、さすがにそうはいかない。貧乏性なので、また走り出してしまうだろう。けれど、その方向は今までと違うところに向かう気がしている。

清々しく美しかった東京の空

 世の中はどうだろうか。以前と同じく日々の忙しさに追われ、人と人の気持ちが触れ合うゆとりを失い、効率だけを重視する生活に戻るのだろうか。あるいは、不況が深刻化し、より他人との関わりが殺伐としたものになり、争いが激しくなるのだろうか。どう変化するかは、まだつかみ切れていないが、一つ、間違いなくあるとすれば、表面的には元通りに見えても、生活の質は変わるだろう、ということだ。私のように、他人の評価から解放される心地よさを肌感覚で感じた人は多いと思うからだ。

 この1カ月半の東京は美しかった。空気が澄み、空は清々しく青かった。自転車で走ると、いつも排気ガスにさらされ、くすんだ色をしていた道路脇のツツジの色が鮮やかだった。東京湾から吹く風は、去年よりずっと強かった。高層マンションが湾岸と内陸を阻む壁のように建ち並ぶようになってから、風を感じることはほとんどなくなっていたのだが、この春は洗濯物が飛んでしまうのではないかと思うくらい強かった。東京の気温と湿度を例年より低めに感じたのは、そのせいだったのではないかと思ったりもしている。新型コロナウイルスが地球を癒しているという話があったが、その説にうなづきたくなるような、東京の変化だったと思う。

 私が東京を愛してきたのは、江戸時代から続く成熟した文化があり、多様な価値観を持つ人たちと出会える機会が多かったからだ。地域ごとに特色が違い、個人経営の商店がひしめく街並みが残っているところも好きだった。人々の暮らしが豊かに息づいていた。しかし、それらの多くはバブルとリーマンショックを経て激減し、東京オリンピックを目指しての乱開発でかなりの部分が失われてしまった。そして、コロナの自粛生活で演劇やコンサートなど、同じ場を共有する文化のあり方も変わろうとしている。社会のあらゆる部分がリセットを強いられるという誰も経験したことのない期間を経た今、元のどんよりとした空気の東京に私は耐えられるだろうか。どうもその点には自信がなくなっているのが正直なところだ。

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。