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政治はそう簡単には動かない

都知事選が終わり、予想通りというべきか、ゼロ打ちで小池さんの3選が決まった。私は蓮舫さんに投票したので、たった1票ではあるけれど、実らなかった方の立場である。終わってみれば、蓮舫さん陣営の準備不足は大きく影響したと思うし、この結果に致し方なし、という気持ちも感じている。悔しい気持ちはあるが、既存勢力の流れを変えるのは、そう簡単ではないのだ。

選挙結果のニュースを聞いてから時間が経ち、気持ちが落ち着いてくると、今回の都知事選の結果は、そう悪いものではなかったのかもしれないと思えてきた。その理由は、まず、小池さんの当選は、完勝とは言い難いと思う。彼女の勝利は、都知事に据え置いた方が利益が守れると考えた層が支えたわけで、それが組織票というものではあるけれど、彼女自身の都知事としての実績が評価されたか、と考えれば、疑問が残る。単に彼女を取り巻く利権を得たい人々の便利な存在に成り下がっただけなのでは?という気がしてならない。つまり、知事としての存在がこれまでより軽くなったと感じるのだ。

今後は彼女が得意としてきた、キャッチコピーを駆使しての広告的なイメージ戦略は通じにくくなっていくだろう。誰が裏で絵を描くのか、という問題は残るのだけど、彼女の言葉は、利益を享受する企業や団体には通じても、一般都民には今までよりも信頼されなくなっていくのではないか、という気はする。

もう一つは、各候補者の支持層が求めるものが可視化された選挙だったと思う。これまで混沌とし、モヤっと見えにくかった、いくつかの流れが具体的な言葉で表面化した気がしている。圧倒的に数が多い無党派層が水面下で抱えていた、政治なり、世の中に求める「その人が考える生きやすさ」がどういうものなのか、が見えやすくなったと思うのだ。個人レベルにまで視線を下げれば、それぞれの考えに差異はあるだろうが、都知事選を通して、ある程度の塊として言語化されやすくなったのが、今回の選挙だったかなと感じている。

蓮舫さんの支持層で言えば、一人街宣という応援の仕方が自然発生的に起こり、投票日が近づくにつれて、その動きが大きくなっていった。まだ数は少なく、大きなうねりになるほどではなかったけれど、新しい政治参加のスタイルが都知事選でも行われたことは、これまでにない変化だった。彼ら彼女たちが支持する理由は幅広かったし、一人の人間としての存在を示しながら、政治の世界に関わる姿を見せたことで、何を求めているのかが周囲に明確に伝わりやすくなったと思う。

石丸さんの場合は、正直に言えば、私は彼のロジックには一貫性がなく、ときに社会不安を招くような言動も気になるため、共感できないけれど、獲得した票数から、支持の理由を考える糸口が見つけられたと思っている。

石丸さんを支持した層は、これまで最もその考え方が表面化しにくい層だったのではないだろうか。そう思い当たったのは、「ポリタスTV」の石丸支持層の分析を聞いていて、「あれか」と私の周囲にいる人たちが頭に浮かんだからだ。私の推測が当たっているとすれば、ごく「普通の人」たちである。数で言えば、彼ら彼女らの方がマジョリティなのではないか、と思う。

彼ら彼女らは、「普通」ゆえに、発言がメディアに取り上げられるような立場になく、むしろ、「あなたたちは問題ないですよね」とばかりに、スルーされてきた存在だ。景気がよく、正社員として採用され、会社員を続けることで生活が安定していた時代であれば、自民党の支持者だったかもしれない。しかし、景気が悪化し、生活への不満が大きくなってくると、「普通」の彼らも「発言に注目して欲しい」「もっと何らかの形で政治に意見を反映して欲しい」と願うようになる。その気持ちは、当然の変化だ。

ところが、既存の政治家やメディアで働く人たち、メディアによく登場する論者たちからは、彼らの姿は見えない。学歴や職歴、生活圏での接点がないからだ。とくに政治家は、自分たちの言葉を自分たちのロジックで話せば、彼らは理解できると思っている。しかし、じつはそこにコミュニケーションは成り立っていない。そしてさらに、既存の政治家はミスを重ねる。対話を続け、相互理解を深めれば、味方になる可能性のある存在なのに、生活環境のギャップに気づかない政治家は、対話の必要性はないと判断してしまう。あるいは、景気が良かった時代での成功を盲信し、所属する組織を手中に収めれば、彼らもおとなしく従うと思い込んでいる。

そこに、石丸さんが現れ、彼らの理解しやすい言葉で端的に訴えたので、「自分たちの代弁者だ」と支持したのではないだろうか。と考えれば、石丸さんは、トランプ元大統領に近い存在なのかもしれない。ボトムアップで考えなければ、石丸さんが2番目に多い投票数を獲得したことは、理解できないかもしれないなぁ、と、私は考えてしまった。

そうした変化が今後、どのように転がるのかはわからないけれど、今回の都知事選は、既存勢力がこれまでのようには動けなくなるだろうという、一つのターニングポイントにはなる気がしている。つまり、小池さんは勝ったけれど、それをステルス支持し、長年、世の中を自分たちの利益享受になる方向へ動かしてきた層は、これまで通りのやり方で人々を抑え込むことが難しくなる、ということだ。都知事選に勝利したことで安堵しているかもしれないが、彼女を支持しなかった層では、ある種の「寝た子を起こした」状態になったと思うし、今までと同じようにはすんなりとコトは進まないのではないだろうか。

そんなことを感じながら、今の私ができることは、これまで通り、「諦めないこと」だと思っている。世の中にも自分にも、という意味で。一時的には叩き潰されることも多々あるだろうが、諦めなければ、希望の道筋を照らす光は必ず見つかる。選挙の結果だけ見れば、勝った負けた、という事象にはなるのだが、勝ち負けではなく、多種多様な異なる意見や考え方を抱える社会のバランスをどう安定させ、「生きやすい」と感じる人が増える方向へ持っていくのかが、政治の大切な役割だ。

今の世の中は、さまざまな場での力関係が、とてもとてもアンバランスな状態にある。しかし、諦めず、こだわり続けていれば、多種多様な生き方を内包しながら、バランスの取れた社会を目指す方向に向かうのではないだろうか。そう私が信じたいと思えるのは、歴史や文学が、完璧とは言えない状態であっても、時間はかかっても、その道が確かにある、と教えてくれているからだ。

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。