戯曲ディスカッションツアー〜触れただけ〜

2016-12-12 ブログ再録

私にはお手上げな感じの作品。
戯曲ディスチームでは「好みだけど…」という枕詞の後に続ける形容詞がなくて困りましたね。
そして私の形容詞も足りなくてメモがかなりふんわりしてます...


3場に分かれていて、それぞれは2人、3人芝居。
なんとなくの血縁関係で3つがつながってはいるのですが、それぞれが別のお話です。

私の最初の感想としては、
最終的に何がいいたいのか私には全然わからない。
ただ、車の騒音の使い方についてト書きに丁寧な指示があったり、何かしらの美学があるんだろうなあ…と思って、「乾いた蜃気楼タイプ」と勝手に分類分けしていました。
劇場で、役者たちと同じ空気に存在し、5感を使ってこの作品を観て聴いたら、何か肌で感じるかもしれない。
「Don’t think feel」な感じ(つまりお手上げ)。
思い返せば、乾いた蜃気楼も戯曲で読んだら面白くなかったかもしれないし。
(「蜃気楼みたい」って台詞はかなり印象的で、この触れただけはその印象的な台詞すらなかったように感じたのですが)

んーー、でも、なんか、音にして空気とともに感じたら何か…ある気もして…

戯曲ディスでも、皆さん説明する言葉を探している感じはしました。
「卵」については、よくある解釈としては子供の比喩だけど…と鈴木さん。
また、「身体性」という点に関しては、舞台に乗せた時に人物たちがあまりにも動かないのはどうか、ラジオドラマでもいいのでは、と思いました。
(私は肌でFeelしないと無理だと思ったのでラジオドラマならまず聞かない気が…とも。まぁ肌で感じてFeelするかもわからんけど。)


公開審査では、「男女の会話を書くのが上手い。会話はとてもおもしろい。3つの作品それぞれはとても面白い。しかし、3つの作品がつながっている気がしない、最後に輪が繋がる部分が欲しい。」
ということをずっと繰り返されていた気がします。

坂手さんの「最後の輪がない、でも、「それすらも狙いなのでは?」と思わせる。この世界を描こうとしている覚悟がみえるので、つながりを見せないというのも確信犯なのでは」という言葉を聴いて、
宇多田ヒカルさんのある曲を分析した方が「普通こんなに不協和音ぶつけないんだけど、何か意味があるのかも?と思わせるアーティスト力がある」と話していたのを思い出してました。ピカソの絵は落書きではない。
途中で書いた南出さんの経歴やこれまでの作品についても話がでてきて「それ言い出したらもう全部疑うしかないやん」と思ってしまいましたが、うーーーん。


戯曲ディスでも、
「車の音やマンション、アパートの使い方で、これらの3部作が最終的に像を結ぶならすごい作品なんだろうけど、はたして像が結ぶのかがわからない」という戸惑いの声がありました。
でもこの審査員の方々も判断に迷う所だったんですね、実際どう思って書いたのか聞いてみたい。

戯曲ディスでも疑問にあがった「触れただけ」というふわっとしたタイトルからも、作者が書きたいことを込めたのかあえて避けたのかわからない...という話になってました。
私はそのふわっとしたタイトルに惹かれたので最初に読んだんですけど。
1場はちょっとタイトルにかけた話だったのかもしれないですけど、他なかったですしね。

この「最後に繋がる輪」って、致命的な部分だと私は思ったのですが、それでも受賞してしまいました。
難しい〜〜
戯曲ディスチームもこの結論に「意外!」という反応でした。

「貧困とまではいかないけど、中の下くらいの収入世帯を扱っていて、格差問題が射程に入っていそう」
と戯曲ディスでもあがってましたが、公開審査でも結構社会的な作品なのではないか、という話もあって。
こんなに深読みさせるだけの力があるってことは、実力ある作品なのかなぁ。

その他細かな指摘としては、
佃さんの「卵を買いに出てそのまま家に帰らないという選択肢を取った、その決断力がある大西が2場であれだけ煮え切らないキャラとして描かれているのが解せない」という指摘、
女性が3人とも似ていて描き分け出来ていないのではという指摘、
川村さんのプラヌラでもありましたが「1つのムードから出ないことが物足りない」という指摘がありました。


ただ、マキノさんの「都会的ファンタジー」という表現が結構しっくりきたのもあって、婉曲話法がかなり上手いのでは、と皆さんの結論に至ったのだと思います。
語彙力に打ちのめされていた戯曲ディスチームでした。笑