【観劇】世界は一人

2019-03-05 ブログ再録

ハイバイ岩井さんの作・演出ということで、東京芸術劇場へ。
知った時にはもう残りわずかで、泣く泣く立ち見席…
最近立ち見の耐性ついたからいけるかなぁと思ったけど、やっぱり座ってみるに越したことないですなぁ。。

ということで、あらすじ的なものをば。

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とある海辺のある街で共に育った、吾郎、美子、良平の3人。

父と母に溺愛されて育った吾郎と、裕福だが母からの愛情を知らずに育った美子。

そして、幼い頃は高圧的な態度をとっていたが、とある出来事から引きこもりになってしまった良平。

徐々に別々の道を歩んでいく3人が、遠く離れた東京で再び出会う。

そして、吾郎、美子の間に娘・藍が生まれる。

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松尾スズキさん、松たか子さん、瑛太さんという3名に続いて、

ハイバイ常連の役者さんからオーディションで選ばれた若手女優さんまで、

多種多様な方が7名揃っての舞台。

松尾スズキさんが役者に完全に振り切っている姿って、舞台だと初めてみたかもしれないです。

ドラマとかではあるけど。

鉄パイプでできた、回転するオブジェのようなものが舞台上にあり、

回転しながらも区切られた3つのエリアの中で物語は進んでいきます。

そして、今回は音楽劇ということで、生演奏つき。

といっても、ただの生演奏者というより、演者さんのような佇まいで舞台上にいるバンドの皆さん。

特に、音楽担当の前野健太さんは、序盤のナレーションやセリフの掛け合いも行いながら

歌と演奏をリードされてました。

雰囲気がありすぎて、ナレーションもよくて、完全に俳優さんだと思ってた…

シンガーソングライターとのことですが、ざらざらした歌声も、立ち姿も、全てがかっこよくて、物語にどっぷり浸っている演者さんでした。

音楽劇なので、そりゃやっぱりたまに歌うんですが、

語りというか、叫びというか、歌として何かを伝えるというより、想いが先行してそれに伴奏がついたような曲なのが印象的でした。

松たか子さんとか、やはり声がかなり綺麗で通ってめっちゃ上手いんですけど、

おしゃれには聞こえないのがすごかったです。

「言葉に音がつくと、破壊力が増す」というような話をパンフレットでされているんですけど

なんか本当にそういうことがあるんだなと、最近よく考えます。

だから応援ソングで人は励まされるんだなとか。笑

そして、「音がついた時に破壊力が増す言葉」を生み出す岩井さんもすごい。

音に負ける言葉ってあるもん。

聞いててイライラする歌詞とか、あるもん。笑

「世界は一人」という言葉も、言葉だけで聞いたらただそれだけど、音楽がついたらいろいろな意味が考えられる。

逆に音楽で操作できることもあると思うんですが。

ミュージカルは相変わらずあんまり観るの得意じゃないですけど、楽しさがわかってきました。

岩井さんの作演は「おとこたち」からかなり久々だったんですけど、

今回も相変わらず誰も幸せにならないというか、一ミリも幸福ではないお話で、

後半になればなるほどシビアになっていくところが容赦なくて、辛かった~~

パンフレットには「成功や願いが成就している物語は何かが済んでしまっていると感じ、失われたり、届かなかったものが表現されたほうが美しいと感じる」と書いてありました。

そして、その「失われたり、届かなかったもの」を表現として体の外に出したくなる、ということだそうで。

表現者として、かなり率直で素敵な意見だなとは思いました。

ま、見てる方は辛いんですけども。

辛いくらいの記憶の方が、のちのち美しく響くのかな。確かに今回のお話も、寂しくて辛い人生ばかり描いていたけど、

どこか美しかった気がします。

愛情を感じずに育ち、どう愛情を向ければいいのかもわからず、

自分を認めるために他人を利用したり、自分の立場を確立させるために誰かを見下したり、

誰かを救っていると思っていたら誰かをボコボコに殴ってたり、

でも、吾郎が生まれたときの父も母(松さん)も、吾郎と美子(松さん)が娘を産んだときも、

子供が生まれた時は周りみんなが笑顔だったんだよ、ということが

何度も描かれていて、しかも役名は違ってもどちらも松さんがお母さんを演じていて、

覚えてないんですよね、人って、自分が生まれた時は。

なんか一番良くないシステムな気がするな。

自分が生まれた時の記憶があれば、決して愛されてなかったわけじゃないと知ることができる人が

もう少し増える気がするのに。

「世界は一人」というタイトルの意味を、あんまり深く考えきれてないんですけど…

「人はどこまでも孤独で、世界に一人ぼっちだよ」ということだけじゃないんだと思うんですよね。

うーーん。

いや、そういうことなんだけど、そんな端的で救いのない表現ではなくて…

小学生のときから、娘が生まれるまでの人生を順に描いていく中でいろんな問題が起きていきます。

でも、誰も解決しようとしない感じがどうもイライラしてて(←解決できることはする、できないことは諦めろと言われて育った)

「いや言えよ」とか「その仕事やめろ」とかついつい突っ込みながら観てしまったんですが、

今までは無責任に「私なら頑張れば解決できる」と判断できていたことが、

ちょっとずつ狭まっているというか、現実的な判断をするようになったというか、

「そうよな、解決できんくても仕方ないよな」と思ってしまうことが増えたなと、自分自身にちょっと切なくなったり。笑

瑛太さんの役所がとても繊細で、表現できる人は確かに瑛太さんだけかもしれないと思うくらいの説得力でした。

高圧的で横暴で、昔はグループを支配していたリーダーとして、いつキレてもおかしくない危うさから、

引きこもりになって、人とうまく話せなくなって、穴だらけの危うさになって、

最後は吾郎への恨みも募らせていたのに、吾郎と美子の上手くいっていない様子を見て

「幸せになってたと思ってたから、幸せをぶち壊しに来たのに」と言って何もせず去っていく姿からは優しさと寂しさが感じられて、

物語の中心に外側からアクセスする人なのに、あの荒い存在感と人間味はなんなんでしょう。

いや他の役者さんもびっくりするくらいよかったんですけど。

単純に、小劇場的な演劇で、改めてどうやって演技が固まっていくのかが全く想像がつかないなと思いました。

そめごころとかの稽古場にいると、何となくできてたりするから、多分あーゆーことなんだと思うんですが。笑

こういう公演に、満員のお客さんが入っているというのがとても不思議でした。

いつもエンタメの界隈で、楽しくないとお客さんはこないと思ってたのに、

一ミリも楽しくないのに満員のお客さんで、見渡す限り私が一番年下で、男女比も1:1くらい。

どこにいるんだこのお客さんたちは~~って思いながら観てました。

ツイッターでちょっと観てみたりしましたけど、皆さんいい感想ばかりで、いつものわーきゃー言ってる感じのツイートが見つからない!笑

どこにいるんだ~~~と思いつつ、折り込みチラシを見てまたいきたい舞台がたくさん。

東京は商業舞台と小劇場舞台が入り組む街なんだなと、チラシ見ながら思ったり。

なんてことない(失礼)小劇場演劇に、事務所所属のタレントさんが出てたりしますもんね。

いや福岡でもあるけどさ。

福岡といえば、この海辺の街のモデルは、松尾スズキさん出身の北九州市とのことです。

東京では引かれるけど、地方では笑ってくれるような、地方の包容力のお話は「おとこたち」あたりでも読んだ気がするんですけど

前野さんは北九州で夜一人で歩かれた時に「影の部分がどーんとしていて、でも明るくて堂々としている」と評していて

街によってそんな空気感の違いを感じることあるんだと感心しました。

神戸、福岡、東京ときてしまって、もうあんまり違う土地にいること自体に慣れちゃってるのかなぁ。

あと北九州は夜一人で歩くなって言われたのもあるけど笑

3人がもう一度出会うのは東京で、やっぱり東京って変な街だよなぁと改めて思いながら観ていました。

だって地元の友達も、大学の友達も、なぜか東京には何人かいるんだもん。

みんな他人に無関心だからどう過ごしていても気にならないけど、逆に寂しい人も多いよねぇ。

いろんなことを考えながら観劇しました。

でも私は、もう少し、幸せな人生を歩みたいなと思います。

舞台の題材にはならないぞ~