【観劇】オイスターズ「日本語私辞典」

2015-03-18 ブログ再録

オイスターズ「日本語私辞典」を観てきました。@あじびホール
実は、オイスターズさんは、去年(2014)の夏に芸術創造館でインターンをしていたときにお世話になった劇団さんで、
久々にお会いできてすごくうれしかったです。
福岡に来てくださってありがとうございました!!
精力的にツアーをされているということで、どうにかこうにか追いかけたいと思います...

去年の夏に観た「どこをみている」は、のーーっみつな会話劇で、全然咬み合わない会話と会話が通じない登場人物にイライラしっぱなしでした(褒めてます)。
不安定な空気感っていうか、笑ってる人もたくさんいたけど、日本語の通じない同級生に苦しめられた経験のある私にはどうも笑えなくてデスネ...笑
「会話劇」とはこういうものなのかなって。

そして、そのときに照明のお手伝いもさせていただいたんですが、地明かりの作り方のお手本のような仕込みで、
いつも多次元でふわふわした機材でなんとか誤魔化している私には、もはや衝撃レベルでした。
影が!ない!笑
名古屋って裏方のレベルが高い、とか聞いたことあるんですけど(自信はないですが)、素敵な光でしたー。


ともあれ、今回は「日本語私辞典」ということで。
「だいぶ雰囲気が違う作品だよ」ということはおっしゃってましたが、
確かに確かに。テンポの良い会話が繰り広げられているのは同じなんですけど
演劇特有のルールだったり仕掛けだったりがたくさん盛り込まれていて
不思議な不思議なお話でした。


母、父と朝ご飯を食べ、学校に登校し、テストを受け、友達と夜に電話し…と、
平凡な毎日を送る中で、どこか怪しい男の人に毎日声をかけられる。
ひょっとしてストーカー!?
相談した友達に「ストーカー」という言葉を消してしまえばいい、と言われ、
この世界から「す」「と」「か」を消してしまった。
それでも日常なんて大きく変わらないんじゃない?


…なんか詩的なあらすじになってしまった(笑)
とにかく、どんどん日本語が消えていく中で、どうにかこうにか言葉をこねくり回しながら毎日を送っていく話でした。

イス→(「す」を消したから使えない)→腰掛け→(これもつかえない)→チェアー
父→(「ち」を消したから使えない)→パパ
みたいに、頑張って頑張って日本語をこねくり回している様子が面白くて面白くて。笑

最初に「す」を消してしまったもんだから、「です」「ます」が使えなくて、
バイト先の先輩に対する言葉が「〜でござる」とか武士みたいになっていったりして(笑)
それでも頑張って上下関係を保とうとする様子がなんともいえず面白かったです。
障子に書かれたあいうえお表から、実際に消えた言葉が切り取られていくので
全然使わない言葉(な行とかぱ行とか)はずっと残っている様子が目で見えたりして、改めて日本語の仕組みについてしっかり考えました。
「す」「と」「か」が消えても、なんとかなるもんですね。
なんとかなったのが問題なんですけど(笑)


世界一簡単な言語といえば英語ですけど、日本語は世界で2番目に英語から遠い言語だそうです。
父、パパ、父上、お父さん、親父…は全部「Father」で、
私、僕、ワシ、俺、わたくし、あちき、小姓…は全部「I」で。
あー、日本語って面白いなーっとしみじみ思いました。
日本人でよかったーと。

おじいちゃんおばあちゃんと話をしていると、いつもすごく綺麗な日本語を使うので
本当に日本語って大切にしていかなきゃいけないなと思うんですが、
最近、後輩でなんの感想でも「やばい」しか言わない奴がいて(笑)
「や」「ば」「い」の3文字消えたら、あいつ何にも話せなくなるんじゃないかな(笑)
せっかく日本語ってこんなに多様なんだから、綺麗な日本語をいっぱい使いたいものです。
源氏物語をまた読みたくなりました。

最近学生演劇を観ていたからか、やっぱり役者さんたちの第一声の発声にはっとさせられて、
女優さんたちのくるくる変わる表情とコミカルな動きと、男優さんたちの立ってるだけで出てる空気感で
ぐいぐい引きこまれてしまいました。
この人観たことあるなーって思ってたら、あゆみに出てらっしゃった女優さんでした。
うおーい、こんな近くでみちゃったよー。笑


私の好み的には、もっと話にテーマ性があったり、どこか共感できるところがあったり、オチにはっとさせられたり…っていう作品が好きなのですが、
おかずがいっぱいで大満足でした。

辞典の受け渡しというルールで役者さんがくるくる変わるのは、柴さんの「あゆみ」を思い出しました。
それぞれが演じる主人公のちょうど交わったところに、本当の主人公の姿が浮かび上がる、っていう感じなんですかね。
逆に男性陣はキャラが固定されていて…

それと、どんどん日本語が消えていくという前半の展開が面白かったので、後半のバタバタについていききれなかった、というか
やっぱり前半の印象が強いなぁという感想を持ちました。
混沌とした中にも、落とし所があればすっきりしたのかなぁ。
全ての日本語が消えた世界ってどうなるんだろう、と思って前半観ていたので
そこらへんは観てみたかったかもです。


障子を使うならば絶対あるよね!と思っていた影のシーンとか、
水色6灯(くらい)の障子当てとか、細々とした照明含めて楽しめました。
あじびホール、思っていたよりタッパが低くてびっくりです。

以下、アフタートークが面白かったので詳しくいきます。(with 飛ぶ劇場の泊さん)


柴さんの話で「1つのアイデアだけで乗りきれるのはせいぜい20分」というのがあって、そこから1時間を超える作品にするためにはアイデアを2転3転させなければならない、と聞いていたのですが
平塚さんは「1つのアイデアでどこまでいけるのか」に挑戦したとのこと。

「演劇のルールで遊んでみた」「お約束を壊していく」というところに挑戦したので
話にオチをつけるとか、そういうことは別に目的ではない、という感じなんですかね。
この辺りも柴さんに似ているところがあって面白かったです。
そういえば名古屋ですもんね。長久手とか、劇王とか…
どちらが先行かはわからないですけど、影響とか傾向とかやっぱりあったんでしょうか。
そういや最後もだいぶわが星っぽかったしな(笑)


この作品の元ネタ(?)は、筒井康隆の「残像に口紅を」というSF小説だそうです。
これは演劇でやったほうが面白いんじゃないか、と。
wikiを読んだ限り、おおもとのアイデアは全く一緒のようです。
文面から消えていくのか、言葉として実際に立ち上がるのか、ってかんじですかね。
あと、今回の演劇は小説と違い、「日常の中で出てきた言葉から消していった」とのことなので
な行とぱ行がいつまででも残ったりして大変だったとのこと。


結構行き当たりばったりで消していった、プロットを書くことは随分前にやめてしまった、稽古の途中で消したはずの言葉が出てきて手直ししたことも、とのこと。

飛ぶ劇場の泊さんは元SEGAでゲームを作ってた(そうなんや!)ということで、
フラグを立てたりプロットを書いたりっていうところは、ある程度大事にするとのことで
お二人の対比が面白かったです。


泊さんの「最初に日本語が消えるまでの30分間が全然退屈しなかった」という話を聞いて、確かに!と。
1時間半もあっという間だったんですけど、それは言葉の情報量の多さと展開的なところかなって思ってたんですけど
最初の30分間が退屈しなかったのはなんででしょう。
目の前で障子に書かれていくあいうえおのせいでしょうか。
達筆だなーーとか思ったりしてたら30分経ってたとは驚き(笑)


あと、唾のシーンで「うわ、これ声優さんがよくやるやつ!声優さんの技!」って勝手にテンション上がってたんですけど(←最近声優に詳しくなった)、
平塚さんは名古屋で声優専門学校の先生をしてらっしゃって、この作品も元々はその声優を目指す生徒たちのために作ったとのこと。
「声優さんや!」って思ったのがまさかの当たりで、1人めっちゃ納得してしました(笑)
あの音鳴らすの難しいし、確かに日本語をこねくり回したり、いろんな方言がでてきたり、早口言葉みたいなのばっかりだったり、で、
声優さんとかアナウンサーさんの訓練に使えそうだなと(笑)

私もあれくらい話して表情くるくる回す役やってみたいなーと思いました。
最近の役者したい欲が。まぁ言ってるだけですけど。笑


あと何故かメモに残っているのは
「札幌では派手な作品に票が集まりやすい」という言葉ですね。
地域色みたいなのはあるとは思ってましたけど、面白いなぁと。

大阪のときも思ったんですけど、平塚さんのアフタートークの空気感すごい好き。
「そうなんですねー、はい…」
って会話が終わっちゃう感じとか。笑


後輩にもオススメして、実際に行ってくれたようなので
またお話を聞いておきます。
ありがとうございましたヽ(=´▽`=)ノ