戯曲ディスカッションツアー〜The Last Supper〜

2016-12-12 ブログ再録

1990年に実際に起きた新潟少女監禁事件を題材としたお話。
私は知らなかったのですが、かなり史実通りの設定のようです。
あらすじや手法を説明するのはかなり難しい...

これに関しては、こういう作品を書きたい、やりたい、観たいという感情を持たない(女性はこう思う人多いんじゃないかな?)私にとって、戦闘放棄って感じなんですけど(そして案の定メモがふわっとしている)
観たくないっていうのは、映画は好きだけどホラーは観ない、みたいなことで、こういう猟奇的な話はどうしても鳥肌がたってしまって><

戯曲ディスでは「作者自身の美学をこの事件を材料にして舞台に乗っけようとしている」という話になりました。
そして、それには成功しているのではないか、という。


公開審査では、まず川村さんの「別役実をよく勉強している」という不条理的側面に言及。
ただ、もともとが「男が9年間2ヶ月少女を2階に監禁し、1階では母が何も知らずに生活していた」という不条理な事件であり、そこにこの戯曲特有の会話の不整合さや状況設定の不条理感を重ねようとした結果、たまに整合性が取れてしまっている、ということ。

私は感情移入できるキャラがいて、それを起点に物語を読んでしまう癖があるので、不条理劇は誰一人感情移入できずに読み解けないことばかりで苦手なんですけど
何回か感情移入出来てしまった瞬間があって。
なるほど、私が感情移入できたってことは不条理に失敗して整合性が取れている瞬間なのか、と逆に納得してしまいました(笑)

また、最後の母の台詞の意味がわからない、という意見にはちらほらと同意の声もあがりました。

佃さんは、この作品を評価していて、「9年間」という得体の知れない意味の分からない期間を、迫ってくるブルドーザーと雨の音で勢いづけて描けていると。
ずっと雨の音が鳴っている、というト書きは確かに印象的でした。
事件は本当は雪みたいですけど。
また、1階には普通の時間を過ごしている母がいて、そこには正当な時間軸が流れている。
この構造が面白い。
また、骨がずっとささっているという質感にも惹かれた、とのこと。

鴻上さんは、別役実ほど不条理ではなく、山崎哲さんを思い出した。(川村さんも納得する分があったよう)
少女のモノローグが解せない、という意見もありました。
(あの部分は私が感情を理解できてしまったということは、なんか浮いて普通だったのでは…?笑)

逆手さんも、この事件に引っ張られてしまう。
カミと蒟蒻と違って、表現したいのはこの事件のことではないはずだから、史実に捕らわれてしまうくらいならオリジナルの事件を作ってもよかったのでは、とのこと。
カミと蒟蒻との対比はこういうところにあったんですね。


鴻上さんの「実際に演出する時に、表現不可能なト書きがある」ということで皆さんに意見を求めていたのが面白かったです。
例えば、2階の床に貼られた「この上しか歩いてはいけない」というテープ、2階建てにしたら、床に貼ってるものって客席から見えないよね?とか。
名前を崩さないようにオムライスを食べるシーンも、かなり映像的、俯瞰して観た構図であり、舞台上で名前がどうこうは表現できない。
もちろん、演出として「そういう体で」という指示だと受け取ることはできるけど、迷いを生じさせるト書きの書き方はどうなんだろう?と仰られていました。

もっと実現不可能なト書き観たことあるのですが、こういうこと皆さん考えられるんですね。ちょっと親近感。
(私演出家じゃないけど)

最終的には、川村さんは「他の作品にない突破力、挑戦心、射程距離の遠さがある」と相対評価ではあるものの推していて、
佃さんも、「わけのわからなさに期待したい」とコメント。
佃さんがプラヌラに移動したからこの作品は途中で落選してしまいましたが…
このわけわからない作品に対して、こうもしっかりコメントができる劇作家の語彙力に打ちのめされました。

他の作品にもかかってくるのですが、戯曲ディスチームによると今回は審査員が全員男性ということで、女性がいたら評価としてまた変わってくるのでは?と言っていて、
まー個人的に女の人はこういう作品に拒否反応あると思っているので、女の人の意見が聞きたいところでした。