「蒸しタオル」(小道具掌編集)

 休日の昼下がり、持ち帰り仕事をしている同居人に遠慮しいしいの家事がひと段落した。手をしっかり洗ったあと、ふと感じる皮膚のつっぱりに彩香は目を瞬かせる。そういえば、と両手を頬に当てて。
 かさつく季節だけれど、スチーマーなどと上等なものはない。彩香は電子レンジで蒸しタオルを作った。手と手の間で投げ交わして、素肌に触れても平気な熱さまでなだめてから、上向けた顔に乗せる。呼吸しやすいように、鼻の部分は空けて。
 濡れたタオルが冷めたら、同じことをもう一巡。これで基礎化粧品の浸透しやすい肌になった、気がする。
「いいなあ。目に効きそうだ」
 突如聞こえた、感心したような低い声に驚いて、彩香は顔からタオルを外してそちらを見る。てっきり仕事中だと思ってた、とばつの悪い顔をする。
「誠司、見るな」
「好きなんだよなあ、あーやの身繕い見てるの」
「身繕いっていうな」
 誠司の眼鏡越しの視線が追うのをうっとうしく振り払い、洗面所に移動しての鏡の前に立つ。化粧水をたっぷり含ませたコットンを、まんべんなく顔全体にすべらせていると。「ねえ何ワット? 何分?」と早速真似するつもりの誠司の声がキッチンから飛んできた。水道を出している音がする。タオルを絞っているのだろう。
「500ワットで、一分以内! 火傷しないようにするんだよ」
 化粧水の乾かない内に。秋冬は保湿も「さっぱり」から「しっとり」の表示を選んで、乳液についでこっくりめのクリームを十分に塗りたくる。アイロンのように広げた手のひらを頬に当てて、気持ちを静めて瞼を閉じていると。あああ気持ちいい、と骨抜きになったような誠司の声が離れたところからして、彩香はやや脱力した。
 手入れを終えてキッチンに戻ると、タオルを外して眼鏡をかけ直していた誠司が感激したように言う。
「彩香、これ気持ちいいね。眼精疲労にとても効く気がする」
「仕事は?」
「んん、あともう一息」
「ああ、そう」
 ここで、がんばって、とけなげに言えないのが彩香の弱み(と、彩香自身は思っている)だった。
「……コーヒー入れようか?」
 代わりに、愛想のない調子で声をかけると、うん、と誠司がにこやかに応じた。
 胃を労れるよう、ミルクを足したコーヒーカップを誠司に渡したあと、彩香はもう一度、濡れタオルをくるんだビニールを電子レンジに放り込んだ。
「えっまだやるの」
「見るな」
 しげしげ眺める誠司の目から逃れて、ほかほかの蒸しタオルを持って和室に入って戸を閉め切った。追ってこないよな、としばし扉の向こうをにらんでから、畳の上に横になって、……そっとパーカーの前をくつろげる。
 カップ付きのタンクトップを少しだけずり下げ、あらわになったデコルテにあたたかいタオルを乗せる。来るなよ来るなよと念じながら、目を閉じてじんわりと熱を感じる数分を過ごした。

 眼鏡をかける視力の相手で、状況としては夜の暗がりで。自己満足だ、と彩香は自覚している。でもまあ女って結構そういうものじゃないか。普段は、女らしさなんて苦手にしているけれど。ベッドの上、優しくのしかかる体重をどぎまぎと受け止めながら、そんなことを思考する。
 服の前をくつろげられて、誠司の眼前にむきだしになる胸元。そこに口づけて、誠司がふと上目遣いで囁く。
「ここ、きれいにした?」
 ……何で気付くんだろう、と彩香は却って面白くないような気持ちになって、目をそらす。
「してない」
「したんだ」
 うれしそうな声を出すな、と彩香は歯噛みした。
「今度、やってるとこ見せて」
「見せない」
「あーやがきれいにしてるところ見るの、好きだ」
 それ、昼間も聞いた。照れ隠しで声がぶっきらぼうになる。今度からもう少しまめに面倒をみようかと思いつつ、彩香は普段の美容なんか最低限程度にしか気遣わない。だからたまに念入りにすると、こうして気付かれる。いたたまれなさが、鎖骨に軽く歯を立てられて霧散する。
 愛されるために身体に手をかけるなどという面映ゆさに、誠司はじゅうぶん報いてくれる男だった。もうおしゃべりはおしまいとただ抱きしめられると、彩香はやたらほっとした。

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