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浮ついた明るさとは裏腹な新年〜虐殺、そして貧困の2024年を迎えるにあたり〜(3)

このシリーズ最後は、イスラエルの卑劣なパレスチナ軍事攻撃、民族浄化について、キリスト教の信者として明確な立場を表明したいと思っています。私は、イスラエルは即時に攻撃をやめ、この惨状に対する賠償をし、撤退するべきということを聖書の読み直しから主張します。

イザヤ書61章では厳しい状況に追い込まれた人々が解放される日が来ることが告げられます。その日には他国の人や異教の人が畑で働き、あなたは神殿に仕える者になるとあります。その前提は、現状は自分が他国の人の畑で働く側で、その畑の持ち主は神殿に使える人になっているということです。解放は今自分たちを支配している側がいわば奴隷になり、今の奴隷が支配者になる、というそういうものとして語られています。これまでひどい目にあった人が、ひどい目に合わせた人と逆転して苦しんだ分だけ楽しめる日を目指し、待っていようこれを勝利と受け止めてきた結果が、2023年にも酷さを増す戦いであり、その酷いことに対して個々人がどれほど嘆いてもどうすることもできないほどその力が肥大化しているということです。

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