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共苦の中で〜3人の友だち

願いはいつかは叶うもの〜そんなふうに思って「目標」にすることが世のありようなのかもしれませんが、キリスト教の特徴は願いは願ったその日が実現の日である、そんなふうに思っています。願いを抱くことそのものが、信頼によって成り立つことなので、願いを持つことそのものが「救い」です。
わたしはコロナの症状が相当強く出て、熱も高かったし、トイレに行くのも這っていくような日が2日間。地域のコロナ119番に電話してもうだうだと話されるだけで、かえってしんどく息も絶え絶えに「つまりまだ大丈夫だから水を飲んで寝てください、ということですよね」とこちらから話を切り上げたことも。
「終わるから」と言ってくれる人がいてもなかなかひどい症状の中では「治りたい」というより「責任を果たせていないこと」への引け目、良かれと思ってかけられる言葉の数々にチクチクした想いにもなりました。

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願いは「無化しないで」だったのかな

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