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泣けてくる、イエス

キリスト教で救い主として信じられているイエス。キリストという言葉は救い主という意味だそうです。救い主イエスが「泣き虫」だったら…。キリストイエスが「助けてくれぇ」と最弱キャラだったら…。そんなことを考えてると知れれば「不敬ぃぃぃぃ!」と罰がきそうです。ちょっとキリスト教も怖いところがあるのです。だけど救い主は泣きながら「しゃあないなあ」(しかたないなあ)とゆるしてくれる、そうならいいなあ。
2023年3月19日に向けて記したプログラムに載せる「巻頭言」のタイトルは「これ以上命を奪わせない祈りの中で」でした。さすがに「イエス、泣けてくる」を掲げるには勇気がない「チキン野郎」な私ではありますが、内容を大幅変更してご主人様に受け入れられたいとは思わないのです。

「さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。 戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った (15後半〜16節) 。

ルカによる福音書20章15−16節(新共同訳聖書)

たとえ話の最後にイエスは聴衆にこのように尋ねました。私にも同じことが問われていると思い応答を考えています。聞いていた人たちは「そんなことがあってはならない」と応じました。その言葉に私は「アーメン」(その通り、真実だ)と言いたいです。皆さんはどうですか。

だってそんなことがあってはならないでしょ。ツッコミどころ満載すぎですよね、このお話は。ぶどう園を任せて長旅へ行ってしまった主人、ちょっと勝手すぎないかと思うのです。だって、自分の畑の収穫を期待しているなら、時々は見回りにきて労って、ちょっとぐらいお手伝いしてくださいって思うのです。それに、そもそもこの話って家の仕事を全部ほっぽらかして

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