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ルノアールの風

 色々あって、やっと退社の午後8時。

 天気予報なんて見ないから、予測のしようもない結構な雨が降っていて、傘ないな…と落ち込みながらも玄関を出る。

 玄関からしばらくは屋根のあるところを歩くから、歩きながらも考える。

(フード付きの上着だし、走って帰るしかないか。)

 家が近いのをいいことに、横着な自分。

 ふと前を見る。約10m先、見覚えのある男性が一人。

 部署や職種は違うが、同期入社の彼だ。残念ながらマスクを外したところは見たことがないが、目元は利発そうで、密かに憧れている人。ちょっとだけ、お話してみたいなと思う。うちで働く前は、違うところで働いていたと自己紹介で話していたから、きっといくつか年上なんだろうな。

 彼は、歩きながら折りたたみ傘を開く準備をしていた。

 あの人は傘を持っているのに。天気予報も見ない、傘も持っていない自分の人としてのだらしなさに恥ずかしくなった。

 もし私が傘を持っていないことに気がついたら、傘を譲ってくれたり、送ってくれたり、なんて優しくしてもらえるのかな。とか。恥ずかしい妄想をを一人でする。でも、このまま後ろの私に気が付かないで帰っちゃうんだろうな。

 彼のほうが前を歩いているのだから、屋根が途切れるのも彼のほうが早い。

 傘を構えて、雨の下に出た彼は、けれど自転車置き場を気にする仕草をした。

 以前、徒歩で通勤してるのを見たことがあるけれど……。

(今日は自転車だったのかな。)

 気になりつつ、意識しているのがバレると恥ずかしいので、目線をまっすぐ前に向け、素通りしようとした。

「あの、」

 通り過ぎようとして、聞いたことのある声がかかった。

「濡れますよ」

 どきり、と思わず一瞬立ち止まって、私は、思い切って振り向いた。

「傘、忘れました。」

 ハハ。何とも言えない乾いた笑いが転がった。

 声かけてくれて嬉しい。でも、だらしねえなって思われそうで恥ずかしい。

 ずるい私は『誰かに貸した』『壊れて捨てた』とか、色々な嘘を考えていたけれど、考える暇もなく口をついたのは本当のことで。

「最近、雨多いですもんね。準備、するべきでした。」

 緊張すると口数が多くなるけど、頭は働いていないから変な敬語が飛び出す。まるで言い訳とか、反省会みたいだ。

「別に、悪くないスよ。」

 コレも、たまたまカバンに入ってただけなんで。
 彼はふふ、とつい出てきたみたいな笑い方で笑って、そういった。

「同期のひとですよね。自転車で来てるの、たまに見かけます。」

「はい……。山田と、言います。」

「そっか、山田さんか。俺、関谷です。傘、これ使いますか?」

 そう言って、開いた折りたたみ傘を差し出す関谷さん。こんなことって、ある? なんて返したらいいんだろ。遠慮しないで受け取るべき?

「大丈夫! 私、家、徒歩5分でついちゃうんで、走ったら多分2分くらいで着いちゃうので! フードも付いてるし。ありがとうございます!」

 結局、あたりさわりなく、シンプルに遠慮して「じゃあ、さよなら」と告げようとした。

「俺も近いし、いいよ。それでもやだっていうなら、一緒に帰る?」





 …なんて、そんなことはなく。

 私は声をかけられる前に走ったし、彼は私に声をかける素振りもなく、結局びしょ濡れの帰宅となったのだ。




せきしろさんリスペクト。
「去年ルノアールで」おすすめです。

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