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【連載】大山峻護のポジティブ対談 第5回 大野均さん

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大山峻護のポジティブ対談
~コロナ禍を乗り越える為のメッセージ〜
第5回 大野均さん

『自分のやるべきことを
100%やりきることがチームワーク』


この対談は『ビジネスエリートがやっているファイトネス』の著者・大山峻護が各界で元気に輝きを放ち活躍しているこれはと思う人達をゲストに迎え、コロナ禍の今だからこそ必要なポジティブメソッドをみなさんにお届けするもの。第5回はラグビー元日本代表で、3度のW杯出場を果たし、昨年42歳で19年の現役生活に幕を下ろした大野均さんです。ただただひたすらに、そしてシンプルに。自分に求められていること、やるべきことをやりきった先に未来がある……。そんなお話です。


■自分がやれることで勝利に貢献できることは何か?

大山峻護(以下、大山) コロナ禍の今、アスリートのメンタルがすごい必要とされていると思っています。そんな中で、今回大野(均)さんの「灰になってもまだ燃える」という不屈の精神はどこからくるのかを皆さんに感じてもらいたくて、ご登場いただきました。早速ですが、大野さんはこのコロナ禍をどのように過ごされましたか?

大野均(以下、大野) 最初は海外の遠い話だと思っていました。ただ、日本でも次第にコロナウイルスの感染が拡大し、トップリーグが中止となってしまって、その辺りから自分ごとに感じるようになったのが実際のところです。その時、世界中がこういう状況になっている中で自分にできることは限られると割り切って、それこそ自粛をしよう、周りの人やチームに迷惑をかけないようにしようというふうな考えになりました。

大山 やるべきことは何なのかということにフォーカスしたという感じですか?

大野 チームでも、クラブハウスに出入りしてはいけないとか、練習も個人でできることに絞ろうというなどいろいろとルールが決まったので、まずはそれをやり切ろうと考えを変えました。

大山 僕は大野さんはすごくシンプルにエネルギーを集中できる人だと思っているんですね。高校まで野球部で、大学からラグビーを始めて、人よりパスもキックもうまくない。なら走ろうとシンプルに考えやり続ける。まっすぐなメンタリティがいつも素晴らしいなと感心させられるのですが……。

大野 ロックという自分のポジションが、またそのような役割だからというのはあるかもしません。やることはシンプルで、自分がやれることでチームの勝利に貢献できるのは何かを考え、前線で体を張り、愚直にハードワークを続けるしかないんですね。

大山 「ハードワークしかない」と、きついことを愚直に続けるメンタリティがすごい。

大野 やはり自分はラグビーを大学から始めて、周りよりもスキルレベルが低いというのはいつも実感していたので、だったらそれを補うためにも、自分の持ち味である、体の大きさ、強さを生かしてチームに貢献できることをやりきろうとずっと思ってきました。

大山 そういうマインドは小さなかころからなんですか?

大野 実家が農家で、毎日きつい農作業の手伝いをしなければいけないということが小さなころからあったので、そんなところで鍛えられたのかもしれないですね。あと、新聞配達も中学、高校と6年間やっていました。

大山 部活もやりながらの新聞配達ですよね。朝練もある中で大変だと思うのですが、自分から進んで始めたのですか?

大野 新聞配達を始めたのは、近所の新聞配達所で欠員が出て困っているところに、母親が「ならばうちの息子を使ってください」と名乗り出たのがきっかけでした。ただ、6年間続けられたのは、その仕事を任されたことが、自分の中で次第に責任感に変わっていったことが大きかったのかなと思います。いまだに新聞配達を忘れる夢を見て、はっと起きることもあるぐらいです(笑) 

■人に求められる場所を選択する

大山 その中学、高校での部活はラグビーではなく、野球をやっていたんですよね。

大野 はい。その前の小学校からずっとです。

大山 それで大学でラグビーに転向するわけですが、なぜ野球ではなくラグビーだったのしょうか?

大野 大学でも野球をやろうと思っていたのですが、ラグビー部の先輩が体の大きな自分を熱心に誘ってくれるので1回ぐらい見学に行かないといけないと思って練習を見にいったら、部の雰囲気がすごく良かったんです。
先輩後輩の上下関係がないというか、フランクな雰囲気も良かったですし、自分と同じ工学部の先輩が、実習や研究で遅くなってもグラウンドわきですぐにジャージに着替えてバシバシタックルに行く姿が単純にかっこいいなと思いました。

大山 へー、そうなんですね。これは元オリンピック選手の為末大さんが仰っていたことなんですが、「日本のスポーツ界には選択の自由がない」というんですね。「野球をやっていれば野球一筋。ダメだったら終わり。みたいに一つのことをやり続けることが美化され続けて、ほかの才能をつぶしてしまう」と。
大野さんは野球をずっとやり続けて、でもラグビーという選択肢を選んだ。僕はもっと、大野さんのように一生懸命にやったあとに違う選択をするという考えが、日本に広がってほしいな、なんて思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか?

大野 その点で言うと、自分が野球からラグビーに転向したのは、ラグビー部の先輩方に必要とされたというのが一番大きかったと思います。
また、その後社会人でラグビーを続けたのもそのようなところがあります。大学時代は部員数が17人の弱小ラグビー部でやっていた自分が、社会人のトップチームである東芝に誘ってもらえるなんて光栄でした。しかし、自分が社会人のトップレベルで通用するなんて思ってもいなかったので、お話をいただい当初は正直断ろうかと思っていたんです。
その時に背中をしてくれたのが、福島県のラグビー協会の人や、大学のみんなが「東芝に行ってほしい」と言ってくれたことだったんです。
そう考えると、大学でも社会人でも周りに必要とされる(求められる)ことが自分の背中を押してくれたのだと思います。

大山 なるほど、必要としてくれている人がいて、それに答えるという姿勢なんですね。

大野 ラグビーも大学から始めて、素人は自分だけだったのですが、それでもやっぱりチームの役に立ちたくて自分のやれることをひたすらにやりました。
その延長線上に強豪チームの東芝に誘われたというのがあるので、大山さんの本にもあるように、プロセスにまずフォーカスするというのが自分のやってきた道なのかなと思います。

大山 大野さんはその繰り返しですよね。ただただ、ひたすらに。アスリートには2種類の人がいる。まずは、オリンピックに行きたい、チャンピオンになりたいという目標を完全に描いて、そこに対して突き進む人。僕はどちらかというとこのタイプなんですが、大野さんはとにかくプロセスなんですよね。今できること、やれることにフォーカスしていった結果、未来が開けていったというね。

大野 そうかもしれないですね。大学時代も、シーズンオフでも練習が終わってもグラウンドに出て走ったり、ウエイトをしたりと年間を通してやっていました。もちろん東芝に入ってからも、自分はレベルが一番低いというのは自他ともに認めるところであったので、その差を縮めるには人より多く汗をかくしかないと思っていました。
東芝に入った当初は不安しかなかったですし、それを払しょくするには少しでも多く体を動かすしかないといった感じでしょうか。

大山 プロセスに注目してやるべきことに集中することが不安を払しょくしてくれるものでもあったんですね。ただ、それが代表にまでつながるんですから、やっぱり大野さんはすごいなー。

大野 大学時代に入ったころはまさか代表に呼ばれるなんて思いもよらなかったですね。本当に……。

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©︎Photo by Yuka Shiga

■いつか終わるのなら、その時間を無駄にしない

大山 代表といえば、2015年の南アフリカに歴史的な勝利を収めたあのW杯に向けての練習が半端なくきつかったということですよね。

大野 そうですね。自分は南アフリカを倒した2015年W杯の前に2回W杯に出場しているんですが、2012年から代表監督になったエディ(ジョーンズ)さんの練習は過酷でしたね。

大山 きついではなく過酷なんですね。例えばそれまでの代表の練習が1とすると、エディジャパンの練習は何倍ぐらいなのでしょうか?

大野 そうすね3倍から4倍を毎日ですかね。拘束時間も長かったですし、筋トレなども、普通は筋トレをやったら2日ぐらい休めることが必要といわれていますが、エディジャパンの時は1日に2回やる。それでも筋肉が大きくなっていったので、きちんと考えられていたメニューだとは思いますが、しかし過酷でしたね。

大山 その過酷な練習をどうやって乗り切ったのですか?

大野 自分はエディジャパンの時はベテランのほうだったので、きついことをやりながらもどこかで「いつかは終わるだろう」という気持ちは持っていました。ただ、自分の場合は、「いつかは終わるのであれば、この時間を無駄にしないようにしよう」と思って練習に臨んでいたところがあります。

大山 きつかったら早く終わってほしいと思うのが大半の人だと思うのですが、それを終わるからこそ無駄にしないようにしようと思うのは素晴らしいとらえ方ですね。

大野 ありがとうございます。ただ、エディさんが2012年にヘッドコーチに就任してメンバー選考についてメディアに聞かれたとき「大野は今の代表には必要ですけど2015年にはいないでしょう」とコメントしたんですね。
その時自分も30歳を過ぎていたので、「仕方がないな」「いつか外されるんだろうな」と思ったのですが、それでも、「外されるんだったら1日でもその日を遅らせてやろう」「そしてエディさんの思惑を少しでも変えてやろう」というマインドになったんです。それも大きかったと思います。

大山 いやー、大野さんの話を聞いているとその状況をどうとらえるか? 本当に心の選択だなと思わされますね。僕が大野さんだったら、エディさんのコメントを聞いて、ただただ落ち込むだけだったと思うんですよね。それにしても、過酷な練習に実際に心が折れそうになった選手とかもいたんじゃないでしょうか?

大野 そうかもしれないですね。でも、自分の場合はそれまで2回W杯を経験してきて、その2回とも自分たちの中ではしっかりと準備をして臨んだつもりでしたが、1勝もできなかった。
あれだけやっても勝てなかったのならそれ以上のことをやるしかないと思っていました。そこにエディさんがヘッドコーチとして就任して、今までやってきたこと以上の練習を自分たちに課してきたので、自分は「これをやり切ったら何かあるんじゃないか?」「これを乗り越えなければ日本は世界で勝てない」とシンプルに思えました。

大山 そうなんですね。そうして迎えた南アフリカ戦はどんなメンタルだったんでしょうか? 

大野 あの試合は自分もスターティングメンバーに入っていて、1週間前とかは、これだけ過酷で、世界一といわれる練習をしてきて、それでも南アフリカに70点、80点取られて負けたら、日本ラグビーはもう世界で勝てる日が来ないんじゃないかとか、そんなみっともない試合をしたら誰も日本の試合を見てくれないんじゃないかとか、そういった漠然とした不安を感じていました。
しかし、試合当日になるとどこか吹っ切れた気持ちになったというか、試合会場について、ウォーミングアップをして、ジャージに着替えてグラウンドに立った時には、「これで負けたらしょうがない」というメンタルに変わり、試合に集中できたというのを覚えていますね。

大山 実際に南アフリカの選手たちと対峙してみてどうでしたか?

大野 確かに強いし、早かったですが、自分たちの想像を上回るものではなくて、「南アフリカだったらこれぐらいはやってくるだろうな」というものでした。なので、後は今までやってきたことをこの試合で出し切るだけ。グラウンドに立っている15人全員がそんなメンタルだったと思いますね。

■人を思い準備とチームワークを大切にする

大山 準備ってスポーツに限らずどんなことにも大事だとは思いますが、大野さんにとっての準備とはどのようなものなのでしょうか?

大野 準備とは「これをしなかったから負けた」というような言い訳を一つ一つ潰していく作業だと思っています。だからこそ、南アフリカ戦の時は過酷な練習を乗り越えてきて「これをしなかったから負けた」というようなものがなくなっていたので、「あとはやってきたことを出すだけ」という気持ちになれたのだと思います。

大山 やり切ってきたからこその心境ですよね。とは言っても実際にW杯ともなると相手はめちゃくちゃデカいですよね。恐怖っていうものはないんですか?

大野 そうですね(笑) 自分も192㎝で日本人では大きなほうですが、同じポジションで見てみると相手は204~205㎝が普通で、自分が出ていない代表の試合を観ていると「よくあんな大男に突っ込んでいけるな」なんて思います。ただ、いざ自分がグラウンドに立ったときは恐怖というのはないですね。逆に、自分がその大男にひるんで、止められなかったときにチームにかける迷惑のほうが怖いかなと思います。

大山 まさにフォアザチームですね。

大野 チームワークというのは、「自分が与えられた仕事、自分がやるべきことを100%やりきること」だと思っています。
自分の仕事を100%やり切ることで、チームメイトが自分の仕事に100%集中できるわけで、自分がミスしてしまうと、チームメイトはそれをカバーするために自分の仕事に100%集中できないですよね。
だからこそ、自分の仕事、やるべきことを100%やりきることがチームワークであって、それを高いレベルでやりきれるチームがいいチームなんだと思っています。

大山 今のコロナの状況を乗り切るためにもその精神は大事かもしれないですね。

大野 そうですね。自粛にしても何にしても、一番は周りに迷惑をかけないようにするのが大事なことかと思っています。
自分もラグビーとか、野球とかチームスポーツをやってきて、一人の行動がチームにダメージを与えるということをたくさん経験してきたので、そうならないようにしたいなというのが自分の根底にはあるのかなと思います。言ってみれば、「人のことをおもんぱかり、人のために我慢する」というのが今の時期は大事なことなのかもしれません。

大山 大野さんは昨年トップリーグが中止の中で引退されましたが、次の夢とかやりたいことといったものはどうなのでしょう?

大野 やっぱり自分に求められていること、やるべきことをやりきった先に何か(未来)があるのかなと思っていますので、今までと一緒で、今やるべきことに集中して、やり続けていきたいですね。

大山 一つ一つを一生懸命にやることで未来が開ける。そのことを自分の人生で体現している大野さんのメッセージ、みなさんにぜひ届いてほしいですね。大野さんの言葉は深くて強いです。今日はアスリートの言葉の力を本当に感じました。最後に、これを読んでくれている皆さんに一言メッセージをお願いします。

大野 今は本当に困難な状況だと思います。でも、それは「自分だけではありません」。
人は、自分のために我慢するとどこかで切れてしまいますが、「人をおもんぱかる」気持ちを大切にし、自分じゃない周りの人、身近な人のために我慢するということを強い気持ちをもって続けて欲しいかなと思います。
そうすれば、この状況もきっと明ける日が来るので、それを信じて一緒に頑張っていきましょう。

大山 ありがとうございます!


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プロフィール
大野均(おおのひとし)
日本代表キャップを「98」で歴代最多キャップの所持者。酪農業の家庭で労働しながら育った屈強な肉体で動き回り、熱く、激しくプレーする。日本屈指のLOながら、その経歴は異彩を放つ。新聞配達をしながら通った高校までは野球に熱中。日本大学工学部の機械工学科に入学後、ラグビー部の先輩に勧誘されて練習を見学。楽しそうな雰囲気に触れ、「あの仲間に入りたい」と入部を決めた。ラグビーを続ける一方、大学の研究室では「石炭液化油のディーゼルエンジンへの適用に関する研究」に明け暮れた。国体を目指す福島選抜に入ったことから縁がつながり、東芝の練習に参加。肩を亜脱臼するも最後まで練習を続け、当時の薫田真広監督の目に留まって本格的に日本代表への道が開けた。2007年のラグビーワールドカップのウェールズ代表戦では相手からボールを奪って突進し、大会のベストトライにも選ばれた遠藤幸佑のトライの起点となった。2020年5月に現役を引退。現在は東芝ブレイブルーパスの普及担当として活動する。著書に『ラグビーに生きる』(ベースボール・マガジン社刊※書籍のamazonリンク入れる)がある。

東芝ブレイブルーパス公式HP
https://www.toshiba.co.jp/sports/rugby/

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