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今私にできることは....??

私の父は現在54歳。父子家庭で育った私は父の存在がなかったら今こうして幸せな家庭築くことがなかったかもしれない。

それほど私にとっての“父親”は母親以上に大好きで娘ながら偉大な父だと勝手に思ってる。
そんな父が見せた心底疲れ切ってる表情は十数何ぶりに見た気がする。

父の背中をずっと見てきた幼少期

私が3歳頃に両親が離婚して私と姉は父の方についていった。今でも何が理由で別れたのか...なんてことはわからないが父が男手1つで私と姉を必死で育ててくれたくれたことには変わりない。
離婚後は父のお母さんである私の祖母の家で生活することになり父と祖母、私たち姉妹で生活するようになった。
祖母はいつも厳しくて言葉使いや礼儀、箸の使い方など色々な事を父がいない間には教えてくれた。そんな父は当時働いていた山一証券で朝から晩まで働きずめ。
遅い時には明け方に帰ってくる時もあるくらい忙しくて私たち子どものために身を削って四六時中働いていた。その当時は今みたいにちゃんと休みなさい!とか“パワハラ”みたいなものほなかったから父は本当に休みの日でも働いていた覚えがある。だから短い時でも2.3時間の睡眠時間でまた仕事に....
そんな当たり前すぎるくらいの生活リズムを当時は送っていた。父の痩せた顔と疲れ切った顔。でも私たちの前では笑顔でそれでもいつも頑張ってくれた父親

パパも頑張ってるから私も笑顔でいよう

そうやって父の頑張って働く姿を幼い時からずっと背中を見続けてきた。

私が中学生の頃に脱サラ...⁉︎

私がたしか小学3年生の頃に父は新しい女性と再婚し、当時システムエンジニアとして働いていた父は休みの時になると私もよく覚えてるが父が好きなラーメン屋を食べ歩いて回った記憶がある
醤油、とんこつ、つけ麺.....
長い時には30分以上も並んで待ったこともあったくらい。父の食べっぷりは気持ちがいいくらいで私も父と一緒に過ごす時間は結構楽しいものだった

そんな父が私が中学2年生の頃急に父親が

“ラーメン屋開くわ!!”

.......え????(みんな揃って)
突然のことでとにかくびっくりした。
仕事は?こらからどうするの?私が中学生でここから高校、大学と受験やら入学金やらこれからお金がかかるって時に!?って正直父親のことよりも自分たちはどうなるの....?
当時勤めていた山一証券はそれと同時くらいに倒産をすることになったので時期的には同時期くらい....
当時の私は会社が倒産したことなんて全く知りもしなかったけど、もしかしたら父は父さんの事を知っていたのかな?なんて思う

これから不安すぎて正直頭がいっぱいだったあの頃。
父はこうと決まったらとりあえず1年間ラーメン屋の修行に行ってくるわ!とシステムエンジニアから一転してラーメン屋に修行に行くことになった。
システムエンジニアからいきなり今までやったことのないラーメンって....
って突然のことすぎてびっくりした
家に帰ってきたら暇なのかパソコンでゲームをすることも多々あったし内心私はそんな父を見て呆れていた。

修行が終わるにつれて父もいよいよか。と家にいない時も多くなり物件探しや資金繰り。お店をオープンする準備を同時に着々と進めていってバタバタと家で作業してる事も多かった
私はその頃中学3年の夏過ぎだちょうど部活も引退する頃だったので父のその姿を家で見ることも多々あった。

ラーメン屋なんてどうせ続かないんだろうな〜
父には言えなかったが内心これが私の本音だった。そしてついにお店がオープン!
一店舗目は銀座一丁目からすぐの裏路地にある京橋にお店を構えた。

表紙とも言えるお店の名前は....

ど・みそ】DOMISO♬

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オープンしたのはちょうど私が中学校を卒業した年の3月15日。父のお店のオープン日は今でも忘れない

こうして一店舗となるお店を本当にオープンした父の姿を見てやっぱすごいな〜
と思う反面お客さんなんてこんな場所にくるのかな?って思う気持ちの方が強かった。だって人通りからは外れて少し路地に行かないと見つからないから

私は学校も部活もなかったので父親の手伝いとして床をクイックルワイパーなどで磨いたり、店内の掃除をお手伝いとして手伝ったり。私なりにも父のために何かできないかな....?と考えて積極的に手伝いにも入っていた。

最初作る父のラーメンの味は......
正直あまり美味しいと言えるものではなかった。味噌の味はするけどいまいち何か物足りない
そんな事を試食をするたびに父に伝える。そしてお客さんの反応とどれだけ残すのかを見ながら味の研究も同時に始まった。

どうすれば美味しい味が出るんだろう?
どうすればもっとお客さんも来るんだろう?

そう考えながら父は元々システムエンジニアをしていたので正直頭は結構切れるくらいよかったのでその当時美味しい味噌ラーメン屋がなかったって言うのとブログなどを活用して宣伝などをするお店も少なかったのでそれを最大限活かすような集客のツールを活用しながらお店をどんどん宣伝して言っていた。

すると人もオープンしてからガラガラだった人もポツポツ。とくるようになり、父が一人で最初の方は回すことが勿論だったのでお客さんの表情やブログのコメントなどの反応。そういったことを同時にしながら瞬く間に人が増えていった。
ラーメン雑誌やテレビなどにも取り上げられてオープン2年で軌道に乗り父のラーメン屋も一躍有名に!

父の姿をいつも見てきた学生時代


私が高校生の時にはお店も拡大して一店舗だったのが2.3店舗とどんどん広がってきて私が最初にバイトを始めた所も父のお店だった。

京橋本店はカウンターが8席しかないので父を横に私も
“いらっしゃいませ〜”と部活終わりや休みの日にはバイトをしに働いていた。父とまさか一緒に働くことになるとは....
となんだか新鮮な気持ちさえした。仕事中の父の汗をかきながら一生懸命作る姿を見ていつしか
私も父のようになる!!
ってよく言ってた気がするな〜(笑)

部活終わりのバイト前に食べるこのラーメンを食べるのが毎日どれだけ楽しみで幸せな時間だったか!
当時学生時代バスケ部でガードをしていた私は女バスの中でも都内では強い学校に行っていたのいたので練習も勿論へとへとになるほどハードなメニュー。

そんな疲れた身体に染み渡る背脂のくどくないこってり具合と中太麺のみそラーメンを食べるのは私の大好きな時間だった。それもカウンター越しで目の前で父が作るもんだから余計に美味しい!!

濃厚こってり特みそらーめん❤️
この背脂が重たすぎずまぁ〜美味しいんだ!

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そんな父のお店がオープンする時から1店舗目の京橋の時代からお手伝いにもお店に行ってた私はおそらく一番愛着があったと思う
父は仕事をしてる時は昔のサラリーマン時代よりも生き生きとした表情で仕事をしていたから余計に父に対してもお店に対してもとても思い出深い学生時代を送っていた

勿論、最初の方は試行錯誤しながらお店を必死で回していたから忙しくしてたけどそれでも父の姿は私にとってはとても輝いて見えた

あと何と言っても父がこうして何もない所からゼロからスタートしたお店が軌道に乗ったおかげで私も高校も大学も全く困ることなく過ごしてこれたのも父のおかげだからだ。

多分、父が昔と同じようにサラリーマンだったらおそらく今の私の暮らしもなかったと思う。

コロナショックによる打撃....

そんな父のお店もつい2ヶ月前までは店舗数も10店舗以上出店しておりラーメンショーなどのイベントやテレビ番組。カップラーメンなどの販売なども行っていてラーメン業界では名の知れたラーメン屋になっていた父のお店

私も1月半ばに東京に子どもを連れて帰った時、楽しみにしていた父のラーメン屋!実家から一番近くにあるららぽーと豊洲のお店に行った時なんかはあまりにも混みすぎて私の楽しみだったみそラーメンを食べれなかったのを今でも心残り....

そこから2月に入り中国で流行り始めた
“新型 コロナウィルス”
中国で変なウィルスが出てきたな〜と完全に他人事だったがそこから半月が経ち3月に入り状況はより悪化してきた。中国に留まらずアメリカ、ヨーロッパ、イタリア.....

どんどん流行り始めて感染者も続々と増える中でついには日本までバラバラ.....と感染者が出始めて4月になるとあっという間に広がりマスクがどこのお店にも在庫がなくなる事態になりよくわからないペーパーショックまで起こるようになった。

いよいよ日本もか.....
と思った4月には安倍総理から“緊急事態宣言”
の話しまで出るようになり最初は何それ..?
と思っていたが調べてみたら結構日本もこれから大変なことになるな。ということがじわじわと浸透し始めてきた

そしてついに4月7日
【緊急事態宣言】対象箇所は7都道府県
東京、埼玉、千葉、神奈川、福岡、大阪、兵庫

私の住む兵庫県まで出されることになるとは....
その日仕事に出勤だった私は建物の方から休業要請の紙が店長に届きこれからどうなるんだろう...?
そう思ったのも束の間。会社とやりとりをしていた店長は一言
“明日から終了日まで休業になるらしい”

と宣言され私も次の日から急すぎるくらい早い休業宣言。

飲食店が特にダメージが大きいな...
じゃあ父のお店は今どんな状況なんだろう??

そう思った私はSNSを開いて見ると父のFacebookでの投稿で何店舗か休業、時間の短縮をする。との投稿があった。
特に東京にお店が多い父はコロナによる打撃は半端なく各お店の従業員や固定費。全てが回らない状況になっていた。

ああ、父が汗水流して築き上げてきたお店が...
直接父からではなくSNSを通じてお店のことを知った私はこのコロナがなければ....
となんとも言えないくらい悲しい気持ちになった。

ただ社長として取締りとして会社をやはり経営する立場の父はこの後の対策も考えていて

4月中旬からは
*ウーバーイーツ
*宅配サービス
なんかのサービスも開始するとのことだった。

父の疲れた表情を久しぶりに見て今私にできることは....?

そんな父と今日久しぶりにテレビ電話をしながら子どもの元気な表情を見せながら話していて、
やっぱり毎日大変みたいで事務所で寝泊りして作業をしたり今後の動きについて考えたり、対策を練っていったり。昨日も寝たのも遅かったみたいでいつもは起きるのが早い父が目を擦りながら動画越しでも分かるくらい疲れた表情をしていた。

そんな父の姿を見て
直接私が何かできることは少ないかもしれないけど今在宅勤務になって家にいる人が多いこの時期だからこそ皆さんに協力して貰えることはあるなって感じた。

それは父がこれから取り組みとして行っていく
【ウーバーイーツ】【宅配サービス
】を
もっと多くの人たちに知って貰うこと!!
1人でも多くの人たちが今できることはなにか?と考えながら....
勿論父のお店に限らず飲食店の中にはおそらくこのコロナショックによって閉店、倒産するお店が数多く出ることになると思う。
ただ!娘ながらゼロの状態から父が築き上げてきたお店はこのコロナショックには負けないでほしいし、私の大好きの父の笑顔が早く戻ってるといいな

もしこの記事を読んで下さった方には少しでもお力をお借りして頂けたら嬉しいです!

〜【ど・みそ】今後の取り組み〜

【ど・みその宅麺サービス】

ここまで読んで下さりありがとうございました


沢山の人にもっとエッセイを届けていきたい。そんな想いで書いています^_^ サポート下さった方ありがとうございます❣️