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加藤のファミリーヒストリー14 孫たちの作品集

加藤の兄弟新聞には、清の孫たちもたくさんの詩や作文を載せています。
当時、私はなかなか書くことに目覚めておらず、自分の小学校の頃の作文などかなりひどいもんで、不採用だったようですが、従姉妹たちはそれぞれ本当にのびのびとした感性で言葉を紡いでいたこと。
ここにいくつかご紹介します。


ちょっと一言 有紀6歳(登美子の次女)

「ママ ママは気をつけてちょうだい。
マキちゃんのパパのこと、時々アニキ アニキって言うけど
強盗の親分みたいでおかしいから、
お兄様かお兄さんって言ってちょうだい」
1968年9月


アドバルーン 陽子10歳(登美子の長女)

空にアドバルーンが浮かんでいたモコ(登美子の三女)ったら

「大きい方がモコちゃんのアドバルーンだ」

だってバカだなあ 
アドバルーンはどっちも同じ大きさなのに

1969年7月


左後ろ陽子 右 有紀 前 元子

ゆうびんやさん    真史7歳(尚文の長男)

ゆうびんやさんがやってくる

どっさりおとしておいていく

いつもパパのはいっぱいだ

あかいばいくでやってくる

ぼくにくるのはすくないが

ぱぴーぺんだんと やってきた

あじゃばばにんぎょう やってきた

げげげのきたろう やってきた

もっと こいこい ぼくのぶん

ゆうびんやさん ありがとう

1968年9月

バラのひとりごと   真紀10歳(尚文の長女)

私はピースという黄色いバラです。三年前からこの家の庭に

仲間入りしました。庭にはピンクや赤のバラもたくさんあり

みんなきれいに咲いているのに、私は毎年ツルが伸びるだけ

でしたが、やっと今年きれいな花を咲かせました

私は、白いアーチにからまっています。

ここの家の人たちが写真をとるときは、よく私のまえでうつ

します。奥さんはこのあいだ草むしりをしているときに、買

ったばかりのコンタクトレンズを片方おとしてしまい大さわ

ぎでした

だんなさんとぼっちゃんは駅弁のレッテルのコレクションを

していて、いつもレッテルの取りっこでけんかをします

童話作家希望のおじょうさんは、最近年中おなかをすかせて

いるので「バラの花って食べられるかしら」といって私をド

キッとさせました。

このバラのトンネルにはたくさんの小さなカエルが住んでい

て、いつでもいねむりをしています

あんがい よくさがすと おやゆび姫がいるかもしれません

1969年6月

真紀と真史(マフミ)

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