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便利と不便の間2

2006/3/8 昭和の家

長いこと一緒に仕事をしてきた友人Yさんは生まれた時から東京の真ん中、品川に住んでいます。先日久しぶりに会いました。Yさん「今年引っ越すことになったの」私「え!何で?」なんでもお寺から借りていた土地の借地権が切れるので一家で引き払うことになったとか、、Yさんの家といえば築70年くらい、今時にめずらしく文明を追わない生活スタイルで、いまだに黒電話、ファックスもないというのは良く聞いていました。彼女自身も日本の昔ながらの生活を楽しむかのように都内のお祭りなど季節行事にはまめに足を運び、機会があれば日常的に着物を着たりする。日本の情緒を忘れずに生活している女性です。補修はしたものの建てられた当時の面影を残す彼女の家は今となっては文化財ではなかろうか?

「ねえ!じゃ引っ越す前に写真撮りに行ってもいい?」

日々淘汰されて行く古き良き日本の姿をどうしても撮っておきたい!そう思った私は梅の花が咲いたら彼女の家に写真を撮りに行く約束をしました。
ちょうど梅が見ごろになったという知らせをきいたお天気の朝、私は品川のYさんの家へ行きました。品川駅は改装してからすっかり近代的になり、西口にでれば6車線もある第一京浜道路に車がガンガン走っています。見渡せばホテルに高層マンションのジャングル!こんな町のどこに昭和の情緒ある家があるのでしょう?そう思いながら第一京浜を歩くこと5分、ガソリンスタンドを左に曲がるとその突き当たりにしっとりと落ち着いた土壁が見えました。それに向かってほんの数十メートル歩いただけなのに、車の音はどんどん背後に遠ざかって行きます。そして突き当たると古い屋根のついた格子戸が、、表札が出ています。
(ここか!)柔らかな木のぬくもりのある引き戸を開けると裏についていた鈴がリリリリリンとかわいらしい音を立てます。その戸をくぐると頭上に腕を伸ばした満開の白梅の枝が出迎えてくれました。石段を上がると右手に庭へ通じる木戸、その向こうになつかしいたたずまいの木造家屋が見えてきました。「いらっしゃい!」二階からYさんが声をかけて迎えてくれました。
玄関も木枠にすりガラスの引き戸、その上には鋳物細工が施されたレトロなランプが据えられています。いよいよ中に入ってみると、昔のままの電灯以外は射し込んでくる自然光だけ。庭に面した廊下のガラス戸のガラスも昭和の初期のものらしく平らではありません。わずかにゆがんだガラスから入る光は柔らかく頬をなでます。居間と廊下の間は障子になっていてその真ん中の部分はガラスがはめられ、開け閉めできるので、半分だけ障子を上げて外の明かりを入れられるようになっています。障子ごしにゆがんだガラス戸を通して庭が見えます。これこそ日本の光と影のコンビネーションです。居間の隅にはもう使われていない鎌倉彫りの鏡台、その前に旅で買い揃えたようなこけしが並んでいます。
畳、障子、木戸、縁側、廊下、全てが懐かしい。
そういえば、先日読んだ本に「人間の記憶というのは、どこか自分の生きている、あるいは生きていた時代や環境に合わせて実際に経験していなくてもつくられる部分があるのかもしれない」という文がありました。この家に来たのは初めてなのにずっと昔に同じ感覚を経験した記憶がよみがえります。Yさんが「向田邦子の世界だよ」と言ったけど、確かにかつて向田作品の中に一般家庭の人々が皆自分の家庭を重ね合わせてみたような懐かしさがこみ上げてきました。
「どうして文明の利器を取り入れないの?ポリシー?」と彼女にたずねると「必要がないから、、じゃない?」という答えが返って来ました。彼女の家とは対照的に新しいものにすぐ飛びついてきた私の家は必要か必要じゃないか?ということより「もっと便利になるから」と言う理由で生活用品を買い換えてきました。でも生活スタイルは道具によって変わるわけで、人間側の生活スタイルが変わらなければ道具を変える必要などないのかもしれません。またしても遭遇した便利と不便の間。結局私は便利を選ぶ生き方だけれど、大都会の真ん中でひっそりと行き続けてきた昭和の家、しばらくの間小さい頃の自分にタイムスリップして遠ざかって行く昭和の時代との別れを惜しみました。

演出家久世光彦さんの訃報のあった数日後のこと、、、


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