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「人は死ねない」

「人は死ねない」(奥真也 晶文社)

医師の著者による、医療の未来予想図と、そこに生じる問題点を提示した本。

「第1章:あらゆる病気は克服されていく」では感染症、がん、神経難病、人工臓器救急医療体制などにおける、近年の医療テクノロジーの進歩について具体的に説明し、人生120年が現実味を帯びてくることについて述べている。

「第2章:健康とお金の関係はこう変わる」では、寿命が延びて行っても、人間のほとんどの臓器の耐用年数は50年程度であり、小さな不調や病気とうまくつきあっていく「多病息災」が、未来の長寿の人類の自然な姿になるとしている。また老化を治療できても医療費はかかることから、現在の公的医療制度を今と同じ内容で維持し続けることは困難であり、致命的な疾病には保険が効くが、そうでない疾病は全額自己負担になる可能性について述べている。また経済力によって選べる治療手段が異なってきり、予後の生活など「長生きの質」が変わってくる可能性などについて述べている。何ともやり切れない話だが、おそらくそれが現実なのだろう。そして長寿によって、死をネガティブなものではなく、「幸せな区切り」としてデザインできるようになる未来について述べている。

「第3章:ゆらぐ死生観」では、シナリオどおりに生きられると「生のあり方」が変わるとして、「人間はいつ死ぬかわからないと思いながらも、「何歳になったらこの学校に行きたい」「何歳でこういう仕事を始めたい」「子どもが成人するまでは生きていたい」「孫が小学校に入学するまではがんばりたい」というような「人生の目標」を持っている人は多いと思います。このように「人生の目標」を持っていること自体が、シナリオどおりに生きられる時代になっていることを意味しているのです」(91ページ)と述べている。また典型的な死のプロセスとして、20世紀は(1)突然死型(2)恐怖型であるのに対し、未来は(1)老衰型(2)自己決定型 になると述べている。また、長生きに対する価値観は多様化しつつある一方で、医療の現場や法制度が追いついておらず、医師の権限が非常に強く規定されている、古い医師法にしばられていることや、個々人の死生観が十分に確立していない現状について述べている。

「第4章:誰が死のオーナーか」では、死をとりまく問題として自己決定権、安楽死、尊厳死、延命治療、意思表示、APCシート(自分の意向をまとめるもの)などにおける課題について述べている。日本の法律では「死」の定義がなく、一方で「脳死」の定義はあるという話には非常に驚いた。日本では安楽死が認められておらず、認められているスイスまで行って安楽死をする「デスツーリズム」の話も印象的だった。

「第5章:未来の死を考えるための20の視点」では、20個の正解のないシチュエーションを提示して、どう考えて行動すべきか、考えるきっかけを与えてくれている。SFチックなものもあるが、非常に重い内容のものが多く、読んでいてかなり疲れた。

視点1 肉体がなければ、衰えることもない
視点2 永遠の生:悪魔との取引
視点3 医師を呼ばない息子の妻への怒り
視点4 生涯独身の私は、独りで死んでいくのか
視点5 人生をともにするパートナーと同じ気持ちを共有しているか?
視点6 死の定義をあなたが決める立場ならどうする?
視点7 臓器提供が「推定同意」になる前夜の夫婦の会話
視点8 有限な貯金の使い道:高度な治療を取るか家族の団らんを取るか?
視点9 死の間際までハイテクを使えるなら、何を使う?
視点10 どんな医療制度を望むか
視点11 子どもが脳死になったらどうするか
視点12 早期定年の企業に息子が就職しようとしてら、親として反対するか
視点13 自分の死について、医師にどんな役割を担ってほしいか。またその医師は具体的に決まっているか?
視点14 死期を明確に早める新種の薬が開発された。不治の病に冒されているあなたはどうするか
視点15 治療や延命に関する意思表示の情報を更新していなかった。どうするか
視点16 そして誰もいなくなったら、自然に任せるか
視点17 サルコを買った彼
視点18 お迎えサービス
視点19 価値のある人生なんて決められる? 命の再配分は冒瀆?
視点20 何歳まで生きたいか

あまり考えたくはないが、考えなくてはいけないことが数多く議論されており、読んでいて疲れるが、いい本だと思った。

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