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「調理場という戦場 -- 「コート・ドール」斉須政雄の仕事論」

「調理場という戦場 -- 「コート・ドール」斉須政雄の仕事論」(斉須政雄 幻冬舎文庫)

料理人の著者が日本を出てフランスで修行をして東京で自分のお店を持つまでを綴った自伝の本。
若い人や、これから何かに挑戦しようという人にお勧めの本である。
本のあちこちに、心に響く言葉が散りばめられている。

 ひとつひとつの工程を丁寧にクリアしていなければ、大切な料理を当たり前に作ることができない。大きなことだけをやろうとしていても、ひとつずつの行動が伴わないといけない。
 裾野が広がっていない山は高くない。
 そんな単純な原則が、料理においても、とても大切なことなんです。
 料理人という仕事をしていると、日常生活の積み重ねがいかに重要なことかがよくわかります。(17ページ)

 フランスに渡ってすぐに、「生き抜くための激しさの下地が、日本とはぜんぜん違うなぁ」と感じはじめました。狩猟民族の、略奪でも何でもやってきたような野蛮でたくましい下地を感じざるをえなかった。
 フランスに行く前にぼくがいた日本の調理場には「みんなと仲良く、波風を立てない」という雰囲気が充満していたのですが、フランスに渡って「『みんな仲良く』なんて、ありえない」と気づきました。
 自分の常識を通すためには、さまざまな軋轢を打破して、時には争いごとだって経験しないと、やりたいことをやれないじゃないですか。
 ただただ仲良くしたいなんて思っているヤツは、みんなに体よく利用されて終わってしまいます。
 相手に不快感を与えることを怖がったり、職場でのつきあいがうまくいくことだけを願って人との友好関係を壊せないような人は、結局何にも踏み込めない無能な人です。(22-23ページ)

 日本を発つ時、「もう、二〇代は捨てた」と考えていました。乞食ほどの貧しい生活ではないけれど、薄給の中で長い下積みの期間をフランスで過ごすということは明らかでした。「いいとか悪いとかいうことではない。『そういうこと』なんだ」と思っていました。
 自分がそれまでにいかにも何もできない情けない資質の人間だったかを把握していたから、「三五歳になっても独立していることはないだろうなぁ」と考えていました。
 でも、今までの自分に甘んじるわけにはいかない。前に進みたいのならば、効率は悪いかもしれないけれど、自分の足で歩く以外に方法はない。自分の目と手を使って探っていくしかない。(35-36ページ)

 自分の習慣を変えずに流れるままに過ごしていたら、きっと一〇年後も人をうらやんでいるに違いない。モテる人がうらやましいし、仕事のできる人がうらやましい。生き方を変えなければ、異性のことも仕事のこともどっちつかずで、満たされないままの一〇年後を迎えるに違いない。
 だったら、ぼくは仕事以外のものは捨てよう。
 ぼくには資質がないのだから、やりすぎぐらいが当たり前のはずだ。「やりすぎを自分の常識にしなけりゃ、人と同じ水準は保てまい」というぼくの仕事への基本方針は、この時からはじまったように思います。
 やりすぎるとはいっても、何も悲しいことはないはずです。料理をやり続けることは、ただ単に自分のためなのですから。(36-37ページ)

 続けていれば、居眠りしながらでも今の仕事はできるようになるのです。毎日の習慣は恐ろしいものがありますよ。
 そして「毎日やっている習慣を、他人はその人の人格として認めてくれる」という法則のようなものを、ぼくは、ずっとあとになって知ることになりました。
 二三歳から続けた習慣に、ぼくの場合は報酬と立場がついてきた。毎日やっていることを大事にすればおのずと階段が見えてくるものなのですね。(37ページ)

 「日本人であるぼくの場合は、日本語の意味をしっかりと体得することが、フランス語でコミュニケーションする上でも重要になるのではないか?」
 そう思ったのです。自分の意志を明確に伝えたいともどかしく思うなら、まずは自分の意志を、自分で明確に迅速に把握しておく必要がある。(46ページ)

 頭ではいろいろとわかっていても「こいつは単なるお人好しだ」と思われたら、もうそのお店にいる間は終わりなんです。
 そうなっては、得たいものも得られない。
 「こいつは牙をむくかもしれないな」という部分を相手にきちんと認知させないと、こちらがグロッキーになるまでやられてしまいます。
 最初からあまりに優秀だと、出だしにチームメイトから叩かれてしまう。またあまりに愚鈍だと使い走り一辺倒で終わる......TPOに応じて馬鹿と利口を使い分けていくというか。そういう感覚はフランスに行かないとわからなかった。(56-57ページ)

 調理場の中で、見習いというのはいちばん周囲を見渡すことができるのです。はじめて触れる社会の組織は、こういうものなのか。料理長はこんなことをやって、こんなことを目指している。お店は毎日このように回転している。少し先輩の人は、入って何年目でああいう仕事に就いている......。
 そうやって、見習いのうちにまわりを見据えながら、自分の夢を少しずつ具体的な目標に定めていく期間は、あったほうがいいと思います。
 できるならば、若い人には、ある程度の時期までは無傷で行ってほしい。傷はいつかは必ず受けるものです。三五歳ぐらいまでは、天真爛漫なまま、能力や人格や器を大きく育てていったほうが、いいのではないでしょうか。無傷で行かないと、大舞台に立った時に腰が引けてしまう。いじましい思いが先にでてしまう。(62-63ページ)

 序の口で見習い程度の料理人にお店を任せてしまうオーナーもオーナーだけれど、でも、その人を悪人だと言うことはできないはずです。誘惑から身を守るころができるのは、誰でもない、本人だけでしょう。食いものにされずに生き残ることだって、サービス業に携わる人間としては、大切な判断力のひとつだと思う。
 「我が身を任すことのできるところはどこだろう?」
 そう言うと芸者さんのようですが、そういう問いかけは、常にしていかなければならない。いいオーナーか?いい料理長か?自分の場所は自分で選んで、思いやりのある人の下で働ないと、料理人はほんとうに危ないですよ。毎日の習慣が手にすり込まれていく職業なのだから。(64-65ページ)

 いい人なだけではないということを身体から発するためには、勤勉なだけではだめだった。のべつまくなしに働く甘さではなく、必要な時に必要な力を出せることが大切なのだと痛感していました。バネが必要でした。
 愚鈍なだけだと、徹頭徹尾、使い走りで終わらされてしまう。だから、愚鈍と利発のあいだを行く術というか、そういったものがぼくには必要だった。
 そのあいだのバランスを取るのがうまい人を、フランスでは何人も見かけました。(69ページ)

 例えば、仔牛のフォン(ダシ汁)を作ることと人生とは、とても似ていると思いました。
 ソースを作る料理人の思いが、子を持つ親の優しさに重なるように感じた。仔牛の骨と野菜と水は、素材の時点では何の価値もありません。どう生まれ変わるのか、見当がつかない。そして、赤ん坊がこの世に生を享けた時も、その子が将来どのぐらいの器の人間になるのかについては誰にもわからない。
 料理人は、骨や野菜に熱を加えます。沸点に達したあとは丁寧にアクを掬い取る。これは子どもに対する親の姿に似ているなぁと感じました。よいところが湧き出るようにじっと待つ。悪いところは丁寧に取り除いてあげる。
 こちら側から辛抱強く思いやりを注いでいれば、フォンや子どもは、自分のほうから素直なすばらしさを発露してくれるのです。また、フォンはそれを作る料理人を育ててくれる機会を提供しますし、子どもは、育てる親の人格を育てることになります。(71-72ページ)

 一生懸命に仕事をやっている人には、一生懸命な人の言葉しか通じないのです。当人も毎日必死にやっているのだから、具体的にきちんと考えている人の提案しか採用するはずがない。中途半端な「言うだけなら、誰だってできる」という程度の意見ならば、自分で考えたことを押し通すほうが結果がよくなるのですから。(77ページ)

 小競り合いというのは日常茶飯事であっていいものだと思う。みんないい子になっていて、「それは違うよ!」とも言えないような職場では、淀んだ空気が温存されてしまう。隣にいる人が何を考えているかもわからない。(79ページ)

 料理人にパートタイマー的な意識がなかったら、あちこちのお店で修業する理由を、いつしか見出せなくなるでしょうね。あそこで何か月、ここで何年と、希望や経験が寸断されますから。それぞれのお店の方針が違うことを逆手に取って、利用してしまえばいいと思うのです。自分の得たいことを、お店の状態に応じて、少しずつ取っていくという連続仕事なわけでしょう?しかも料理の場合、一箇所ではいいところを学びきれないと思うのです。パズルのような断片的な経験を数多く積んで、それを組み合わせてつなぎ合わせて自分のものにして、次の場所に向かうくりかえしですから。(84ページ)

 レストランで何よりも重要なのは「清潔度」だということや、お客さんに対する家庭的な態度......ぼくは大切なことの大半を彼から教わったような気がします。仕事場のありようや空気は、そっくりそのまま仕事に映し出されると知りました。(91ページ)

 今のお店でも、ぼくは掃除を第一にしていますね。掃除ができない人は、何もできないと思います。
 掃除や雑用について、視点を変えて見てみると、人が手を染めたがらない作業の中に、多くのヒントがありますね。ぼくにとっては、掃除や雑用を通じて感じ、考え、整理された多くの体験が、あとで料理人として自立する上で大きな原動力になっていきました。(95ページ)

 基本的な前提として「実力の七~八割ぐらいの、これは必ず超えておくべきラインをいつも保って生活してみる」ということを試したら、うまくいったのです。背伸びしながらの毎日で、いつの間にか背が伸びてしまったという感じですね。
 調子の悪い時でも、実力の七割八割から下まわらないよう、流されないように身を任せてゆくと、また九割が出る時も来るし、まったく新しいアイデアが生まれる時もやってくる。(109ページ)

 アスパラガスは、アスパラガスの性質とは相反するような異物を入れることによって、アスパラガスになる。「愛が最も気高く最も神聖な行為であるのは、愛がその中に愛でないものまでも包み込んでいるからだ」という言葉がありますが、それは料理においても、その通りだなぁと思います。(114-115ページ)

 「資本がないから事業が思わしくないという声をよく聞くが、それは資本がないからではなく、アイデアがないからである。よいアイデアには国境がなく、よい製品には国境がない。どの時代にも残るのは、独自の技術と製品だけだ。そして、うまくいっていない会社には、何よりも新規の開発や開拓がない」
 これは本田宗一郎さんが著書に書かれていたことの中で、ぼくなりに覚えている言葉です。ほんとうにその通りだなぁと思います。(120ページ)

 危機感を持っていないと、ぼくは料理長ではいられないから。
 自分の役目が終わるまでは、無心な気持ちで「おいしいね」と料理を食べることはできないでしょう。何の考えもなく日々を過ごすことはないはずです。
 これこそ、見習いの頃にやりたいことでした。ぼくは、大変だけどすばらしかったと言える人生を送りたい。
 個人的にいい気分を味わうことよりも、お客さんのいる舞台がにぎやかになることを欲していた。舞台を盛りあげて維持できるような人になりたかった。
 それが夢だったのです。
 無から有を作り出し、メニューに載せる仕事は不安と背中合わせですが、だからこそやりがいがあります。(124-125ページ)

 コーヒーを媒体にして、別のことを考えている。そういう人がクリエイターなのだと思います。他人と何の変わりのないものを食べて、他人と同じように暮らしていても、頭の中だけはまったく別。思考回路が別なわけですから。(127ページ)

 人は外見で判断すべきではないかもしれません。
 しかし、どういうところに住んでいるか。身なりはどうか。
 それを、まわりの人は「それがマサオの生き方なんだ」という目で見ているのです。そして、クチでは何を言っていたとしても、その人の住居や身なりには、生活の現実が浮き出てくるものでしょう。
 だから、稼ぎがいいとか悪いとかいうよりも、生き方をきちんとしたいと思っていました。富んでいるか貧乏かというよりも、住んでいるところを大切にする姿勢を持ちたかった。洗濯をこまめにする人間でありたかった。(136ページ)

 ただ、昔は絶えずリングの上にいるような気持ちでいましたが、今は「開戦」と言われる昼の一二時から目覚めて、とは寝たふりをして過ごすという感じになっています。
 「昼の一二時からだけ、自分になればいいんだ」と思って、あとは適当に力を抜いています。そういう緩急がわかってきました。(175ページ)

 木沢さんはこの言葉を、料理の方法論として書いてくださっています。ただ、彼はこの文章を通して、生き方までも教えてくれているのではないのでしょうか。
 つまり、人生に近道はないということです。
 まわり道をした人ほど多くのものを得て、滋養を含んだ人間性にたどりつく。これは、ぼくにとっての結論でもあります。技術者としても人間としても、そう思う。
 若い時は早くゴールしたいと感じているでしょう。
 それも、じれったいほどに。
 ぼくもかつてはそうでした。でも、早くゴールしないほうがいいんです。
 ゴールについては、いい悪いがあるから。
 成功を手にしたいというのが人間として当然あり、しかし人は成功を手に入れたとたんに厄介なものを抱えることも確かです。ただ、成功を目指して奮闘している時の自分はすばらしいわけで......。
 ゴールとスタートの表裏を持つ生き方を学べるといいなぁと思っています。ゴールに至ったら最高だけど、至ったあとにもスタートした時の気持ちを持っていてほしい。(199ページ)

 あのう......正直に言うと、料理の世界は、朝から晩まで立ち仕事ですし、やることはすごく多くて報いは「ほんの少し」です。でも、その報いこそが値千金でして。
 その報いで満足できる人じゃないとやれないというか。もうそこは生き方の問題ですね。まじめに話せば、きっと自然に、仕事の問題は生き方の問題になるでしょうけれども。
 なんで生き方の問題が仕事の問題かと言うと、ぼくが見てきた範囲で言いますと、若い時の才能とか技量には、あんまり差はないからなのです。
 結局、才能をどれだけ振りかざしてみても、あまり意味がないと思う。才能はそれを操縦する生き方があってのものですし、生きる姿勢が多くのものを生むからです。点を線にしていくような生き方といいますか。
 才能というもののいちばんのサポーターは、時間と生き方だと思う。才能だけではだめだと思うのは、「時間や生き方ないsでは、やりたいことの最後までたどりつかない」とぼくが感じているからなのです。仕事に合った生き方を持続できるかできないかが、才能の開花を決めるように思います。
 生き方は才能が発芽するためのバリアのようなものでしょう。どういう意識で道のりをたどってきたか、それによって与えられるごほうびが、成就する夢なのだろうと思います。(205ページ)

 才能だけを振りかざして無残にやられてしまう人たちを見てきました。今も、いっぱいいることでしょう。
 ある程度の実力がつくまでは無傷でいないと、思いきり才能を開花させるところに行き着かないものです。そうやって、ほとんどの人間は、芽を摘まれていく。生き方を伴った才能の操縦ができないあまり、上から押さえつけられてやられてしまう人が多いような気がします。手仕事の分野では、特にそういう面があると思う。
 だから、いいものを持っているなという人に会うと、才能だけを先に出して急ぐことはないんだよ、と言ってやりたいような気持ちになります。それよりも、生き残っていてほしい。毎日研磨しないと技術は育たないし、リングから去ってしまえば、もうこちらには戻ってこれないのだから。(206-207ページ)

 料理ではなくても、そういうことが言えますよね?例えば、「テーブルの上を拭いてね」といっても、バーッと拭くだけで拭きあとが残っていても「ハイ、拭きました」となる人と、どこが拭いてあるのかわからないけれども、結果として美しくなっている人がいるでしょう。ひとつのことをやってもこれほど違う。(215ページ)

 いつもプレイヤーでありたいと願っていました。
 強くもなく、弱くもなく、料理以外には逸脱していない。そんな人になりたかった。
(中略)
 フランスのオーナーシェフというのは、みんなそうでした。行動も気持ちも、八割ぐらいはプレイヤーであり続ける。そこがすてきだった。(231ページ)

 「一、至誠に悖るなかりしか。
  一、言行に恥ずるなかりしか。
  一、気力に欠くるなかりしか。
  一、努力に憾みなかりしか。
  一、不精に亘るなかりしか。」
 これは、調理場にかけてある言葉です。
 誠実か。言動に恥じることはないか。気力は満ちているか。努力は怠らなかったか。不精になってしまっていないか。(243ページ)

 採用するかしないかを決める基準は、ふたつだけです。
 気立てと健康。
 そのふたつには、余計な作為が入ってないからいいのです。どこを切っても裏表なく人に接する人はすばらしい。(258ページ)

 「ミシュランから三つ星をもらった時、『これは今日のあなたにあげるのではありません。情熱と努力で、いつかそこまで駆けあがってくるであろう未来のあなたに出すのです。これを糧に本当の意味の三つ星になってほしい』と言われた。だからぼくは、これから先はより一層、料理に邁進するのだと決心した。ミシュランに報いたいと思った」
 この言葉を思い出すと、いつも勇気がでてきます。いいものを育てるための大きな包容力や長い時間が感じられるからです。自分も時間をかけていいものに至りたい。いいものを育んでゆきたい。そう思います。(261-262ページ)

 「愛しているものがあったら、自由にしてあげなさい。もし帰ってくればあなたのもの。帰ってこなければ、はじめからあなたのものではなかったのだ」
 こんな言葉を聞いたことがあります。その通りだなぁと感じました。(267-268ページ)

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