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「エレガント・シンプリシティ「簡素」に美しく生きる」

「エレガント・シンプリシティ「簡素」に美しく生きる」(サティシュ・クマール 辻信一 NHK出版)

思想家、エコロジスト、平和運動活動家の著者による、簡素に生きることを説く本。著者はインドに生まれ、9歳の時にジャイナ教の遊行僧となるために家を出て、18歳のときに隠れて読んだマハトマ・ガンディーの本によって、世界を捨てるのではなく、世界のために働くことによって、スピリチュアリティを磨くことができるということを知り、僧団を離れ、四つの核所有国の首都であるモスクワ、パリ、ロンドン、ワシントンDCを歩いて平和巡礼の旅をしたり、スモール・スクールやシューマッハー・カレッジという学校を作ったりした。

語られている壮大なビジョンは、あまりに理想主義的に思える部分もあるが、著者は「そのとおり、私は理想主義者だ。ただ、あなたに尋ねたい。「では現実主義者たちは何を実現しただろう。戦争、貧困、気候変動?」」(113ページ)と問い返している。

(本の内容とは全く関係ないが、この本のアマゾンのページのレビュー欄に、明らかに(この本についてではなく)段ボールか何かについてのコメントが並んでいて、不思議である。)

 物質的にシンプルであることは、貧乏を意味しない。モノが余計にない、簡素でスッキリとした生きかたをすることは、快適な生活をあきらめることではない。「美」は、所有するものを最小化し、同時に心地よさを最大化することのなかに内在している。過剰は混乱を、簡素は清澄を生む。シンプリシティとは物事の限度を受けいれること。(38-39ページ)

 シェークスピアのハムレットは「生きるべきか、死ぬべきか?」と自問した。以来、探し求めてきた答えは見つかったのだろうか?私の答えは、「自分自身であれ」だ。私が私で、あなたがあなたであれば、それでいい。自分自身を見いだすこの旅は、シンプリシティに向かう旅であり、"源"へとたどる旅だ。(43ページ)

 私たちの人生では、「あたりまえ」に生きることこそが、じつは「あたりまえ」ではない、すごいことなのだ。「あたりまえ」というのは、自尊心や人からほめられたいという欲から自由に、人がどう思うかを気にしないでいる状態のことだから。だれかがあなたについてあれこれ思ったり、批判したりするのは、その人の勝手だ。たとえば、家や車が小さいからといって、あなたのことを見くびったとしても、それはその人の問題であって、あなたの問題ではない。大事なことはただ、あなたがシンプルに楽しく暮らすこと。自分がここちよいと思えれば、それで充分だ。(45ページ)

 簡素な生きかたを実践するには、自発性や即興性が要求される。たとえば、だれかが私の家を訪ねてきたとしよう。もし私が予定表のしもべであれば、「今忙しいんです。予約がなければ会えません」とでも言うだろう。私の母ならばこういうことは決して言わない。インドの伝統では、「客」を表す言葉「アティティ」は、もともと「突然の訪問者」を意味する。どんな状況にあっても、予定外の、予期せぬできごとを受けいれ、即興で行動できるだけの柔軟さと自発性が必要なのである。(48ページ)

 計画をたてる代わりに、ビジョンをもとうではないか。ビジョンとは、夢のようなもの。ビジョンさえあれば、計画は自然に、ゆっくりと立ちあがってくる。未来もまたおのずから、あらわれでる。著名な神話学者ジョセフ・キャンベルもこう言っている。
 「計画された人生を手放さなければならない。そうすれば、私たちを待ってくれている人生を迎えいれることができる」(50ページ)

 自然、それは神の詩であり、アートである。神は庭師がつくりだす庭を通して、みずからを表現する。同じように、太陽光エネルギーを生産したり、経済活動を組織したり、学校を運営したりするのも、やはり、アートだといえる。アートというのは、こころのありかただ。(58ページ)

 ギータは行動に参加し、取りくむことを私たちにうながす。その結果を心配することなく。賞賛や成果に恋いこがれることがなければ、行為そのものに集中することができる。そうすれば、その行為はおのずから、最良、最上のものになるはずだ。もし、行為の果実を求めなければ、私たちは傲りから、我欲から、解きはなたれるだろう。ギータはこう教えている。
 「行いを捨てるな。その行いの果実への欲求を捨てよ。けっして世界を捨てるな。世界への執着を捨てよ」(72ページ)

 私は学生たちに、よくこんなことを言う。
 「胸を張って世界に出ていきなさい。職を探すのではなく、自分で仕事を、自分の生きかたをつくるんです。アーティストのように、カルマ・ヨガの行者のように、生きてください」
職業をもつことと生活することは違う。職にはお金のために就く。そうしたいかどうかに関わらず。でも、生活するとは、ほんとうにしたいと思う活動をして、そこに生きがいを感じること。お金はその活動の副産物にすぎない。もちろん、お金は必要だが、私たちが働くのはお金のためではないはずだ。(90-91ページ)

 「最初にあやまるのがもっとも勇敢な人
  最初にゆるすのがもっとも強い人
  最初に忘れるのがもっともしあわせな人」(148ページ)

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