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「ユーチューバーが消滅する未来」

「ユーチューバーが消滅する未来」(岡田斗司夫 PHP新書)

「いつまでもデブと思うなよ」で有名な社会評論家の著者による、2018年時点での未来予測の本。出版から6年経っているが、古さを感じさせず、おもしろいことを言っているなと思う箇所があちこちにある。非常にお勧めの本である。

 これからの30年で、9割の人にとっての仕事はなくなる。今から10年後の2028年くらいにはその流れが誰の目にもはっきりと見えるようになります。
 ただし、すべての仕事がなくなるという現実はあまりにも辛い。運がいい人は、やらなくてもいい仕事を、必要な仕事であるかのようなフリをして続けようとはするでしょうけど。(15ページ)

 必要とされていた仕事が失われる代わりに、仕事じゃないと思われていたところから仕事が次々と生まれていく。それがこれからの仕事の姿です。

 「未来格差」を認識せよ

 言うまでもないことですが、格差はますます拡大していくことになります。
 その格差とは、所得や教育というより、未来に対する感度によって生じる「未来格差」です。
 未来がどうなるのかを常に意識し、自分の行動に反映できるかどうか。
 今安定しているからといって、何となく大企業に入って将来性のない仕事に就き、そこで20年、30年とキャリアを重ねてもしょうがない。そんな勝ちの薄い目に一点掛けするより、いくつもの多様な仕事に関わって、収入源を複数持っていた方が、よほどリスク分散になります。
 冒頭でオズボーン准教授の「雇用の未来」を取り上げましたが、あの中の「将来残る可能性の高い仕事リスト」から1つだけ仕事を選ぼうとしているような人は、これからかなり追い込まれていくことになるでしょう。
 これまで僕たちは、水の豊かなオアシスで気楽に暮らしていました。水が欲しければ、その辺から好きなだけ汲み上げて喉を潤すことができました。
 でも、これからはそうはいきません。水はすごい勢いで干上がっているんです。
 「どの水たまりが最後まで残りますか?」なんて、のんきなことを聞いている場合じゃない。そんなこと誰にもわかるわけがないんですから。足をできるだけたくさん生やし、1箇所だけじゃなく、何箇所もの水たまりに同時に足を浸けるようにしないといけません。そうしないと、1つの水たまりが消えただけで死んでしまいます。
 生き延びるため、僕たちは未来がどんな方向に向かっているのかを知らなければなりません。(18-19ページ)

 1980年代に出版された、アルビン・トフラーの「第三の波」や、堺屋太一の「知価革命」では、コンピュータやネットが普及した社会をかなり正確に描写しています。ですが、ネットによって安くてよいものを誰でも簡単に手に入れられる未来は確かに的中しましたが、「イイネ」をもらうためにスマホで写真を撮りまくる若者が登場してくるなんてことは、読み切れませんでした。従来型の経済成長の延長で考えると、どうしても未来予測には限界があります。
 じゃあ、どうすればもっと未来を確かに予測できるでしょうか?
 それは、社会の価値観の変化に着目することです。
 では、今、どんな変化が進行しているのでしょうか?

 未来を予測するための3大法則

 僕が見るところ、現在進行している、価値観の変化は、次の3つにまとめられます。
①「第一印象至上主義」
②「考えるより探す」
③「中間はいらない」

 これを押さえておくと、現在の出来事を理解し、未来を予測しやすくなります。(26-27ページ)

 自分の貴重な時間やお金を費やして、頑張って頑張って、結局「そこそこ」レベルの相手としか付き合えない。ネットを見れば、イケてるアイドルや芸能人に溢れているというのに。そんな「コスパが悪い」ことはしたくなくなりませんか?
 今はまだ、アイドルやアニメに入れあげる人は、「あの人はモテないから」と思われたりしています。でも、バーチャルのクオリティが向上してきたら、「バーチャルの方が中途半端なリアルよりもよっぽどいい」ということになっていくのではないでしょうか。
 僕らは、近所にある無名のラーメン屋の味なんてろくに知りません。それなのに、一蘭とか一風堂といった有名ラーメン屋の味は、コンビニのカップ麺で知っていたりする。同じように、身近にある本物のセックスとか恋愛とか友人関係を知らなくても、無料で手に入るバーチャルな人間関係の方がよくなっちゃうんじゃないかな。
 これは貧乏人だから、非モテだから、代用品で我慢するということではないと思うんです。お金に余裕があったらリアルの人間と付き合うかといえばそうではなく、より高品質のバーチャルを求めるようになるでしょう。あるアイドルが好きなら、ライブをもっと間近でバーチャル体験できるチケットだったり、楽屋に入れる権利だったり、そういうものを求めるのではないでしょうか。(32-33ページ)

 主要国のトップの顔ぶれが、みんな「濃いキャラ」になっているのは偶然ではないのです。
 人より目立って、他者に対してより強い影響力を行使しようとする。そんな戦いが、大は国家から、小はユーチューバーや、学校のクラス、職場まで、世界のあらゆる場所で起こっているんです。(36ページ)

 これらのスマートスピーカーって、昔のフィクションに登場した人工知能と、似ているようでだいぶ違うんです。「鉄腕アトム」が描かれた頃、僕らがイメージした人工知能は、人間のような自我や意識を持つ存在でした。だけど、現実には僕らの方が、機械に合わせて話し方を変える習慣がつき始めています。
 外国人に道を聞かれたら、すごくシンプルな日本語でわかりやすく説明しようとしますよね。同じように、僕たちはコンピュータが解釈しやすいよう、わかりやすい話し方を心がけるようになってきているんです。(43ページ)

 アメリカには「RealTrueNews」(本当に本当のニュース)というウソ記事ばかり載せているサイトがあります。日本にも「虚構新聞」というサイトがありますけど、こちらはちゃんと「虚構」を謳っている。だけど、「RealTrueNews」の方は一見すると、まともなニュースサイトに見えてしまうんですね。(47ページ)

 極論すれば、もうすでに「ニュースが真実かどうか判断する」ことはたいていの人にとって重要ではなくなっている。フェイクニュースを受け入れることが「文化」になりつつあるんです。
 僕は、「文化」は常に「真実」の上位に位置すると考えています。
 例えば、人間に関する「真実」とは次のようなことでしょう。
 「僕たち人間も動物であり、本能によって動いている。視覚情報への依存度が高く、脳の処理コストを抑えるために、他者を見た目で判断している。誰かを好きになるのも、外見の第一印象によるところが大きい」
 こんなところでしょうか。だけど、こんな身も蓋もない真実を聞かされたくないですよね。
 「僕はそんな人を見かけで判断するような人間じゃない!」
 「本当の愛を探しているから、まだ結婚しないんです!」
 そんな風に反論したくなるのが当然でしょう。
 じゃあ、そういう反論は「ウソ」なんでしょうか?「真実」を見たくないから、「ウソの建前」を信じ込もうとしているんでしょうか?
 そうではないと思います。
 僕たちは、「どの文化を信じるか」を選択している。自分の取り入れたい文化を選択する、そんな世界を生きているんです。(50-51ページ)

 この子が日常的にやっていた「盛る」というのが、デジタルネイティブの文化だと僕は思っています。デジタルネイティブ世代は、SNSなどのネット社会で生まれ育っており、自分を「盛る」ことが本能になっている。
 ちょっと小洒落たカフェに行くと、とても食べ切れないような、生クリーム山盛りのパンケーキだとか、そんなものを注文している人が必ずいるじゃないですか。ラーメン二郎でトッピングを「マシマシ」にして、タワーみたいなラーメンを頼んだりとか。
 こういう人は、注文した品を全部食べたいわけではありません。彼らにとってのクライマックスは、写真を撮ってSNSにアップして、「イイネ」をもらう時です。
 なぜ彼らはそんなことをするのか?
 彼らは、世界や自分の人生を「デコりたい」「盛りたい」んです。
 選挙に行ったところで、社会はそう簡単には変わりません。少々努力して勉強や仕事をしたところで、学校や職場での自分のポジションも変わらない。
 社会も自分のポジションも変わらないのなら、世界を変える唯一の方法は「盛る」ことだけです。(52-53ページ)

 だって、自分の目に映るすべての人間が美少女だけだとしたら、僕らはもっと他人に優しくしますよ。「ただしイケメンに限る」と言って、不細工な男には冷たい態度を取っている女の人だって、優しくなるはず。
 そうやって「現実補正」された社会で暮らす方が、多くの人間にとっては幸せです。
 「いやいや、それは幻だよ。そんな幻ではなくて、現実を見なければダメだ!」
 そう反論したくなるかもしれませんね。
 でも、デコられていない現実って何でしょう?
 外を出歩く時、僕たちは必ず服を着ています。きちんとしたスーツを着ていると、サラリーマンっぽく見える。汚いボロを着ていると、浮浪者だと思われる。濃い化粧をしてすごいミニスカを穿いている人は---などなど、僕らは人の身なりを見て、どういう人かを判断しているじゃないですか。
 その人の「本当」とは、素っ裸の状態でしょうか?(58-59ページ)

 これだけ格差が開いた世界において、みんなが納得できる解なんてない。それぞれの人が見たい「現実」を見て、楽しく生きた方がずっといい。彼氏/彼女がいなくて肩身の狭い思いをしているのなら、全ての人がイケメン、萌えキャラに見えるメガネをかけて生きた方がずっと幸せです。
(中略)
 そんな鬱屈を抱えて生きるより、自分の現実をそれぞれデコって生きる。
 「みんなが同じ現実に向き合う」のではなく、「それぞれが別々の現実を生きる」。
 これこそ、人類の悲願なのではないでしょうか?これから10年、20年、そうした消費者ニーズはもう止められないでしょう。(61ページ)

 ユーチューバーたちは、テレビタレントのようなポジションを目指して、それぞれが面白いと思ってもらえるよう配信を日々行っています。
 だけど10年後にどうなっているかというと、日本で活躍しているユーチューバーは誰一人生き残っていないかもしれません。もっとも、「生き残らない」というのは別に死ぬんじゃなくて、金銭的、知名度的に大成功する可能性が---ゼロとは言わないまでも---限りなく低いという意味ですけど。
 今人気のユーチューバーのほとんどは10年後には姿を消していて、新規参入しようとする人をちらほら見かける、というくらいでしょうか。(68-69ページ)

 さて、言語の壁が溶けていくと、ユーチューバーたちはどうなるか?
 日本のユーチューバーは、必然的に海外のユーチューバーとの競争に放り込まれることになります。
(中略)
 でも、10年後の世界では、「日本だけ」の、商品やコンテンツはどんどん少なくなっていくと思うんです。せいぜい1億人をターゲットにした商品、コンテンツなんて、中途半端すぎるんです。
 この先は、今よりもっと「グローバル」と「ローカル」に二極化していくでしょう。
(中略)
 ユーチューブで広告収入を得る仕組みが10年後にも残っているにせよ、そこはグローバルでの熾烈な競争が展開される競技場です。
 日本人のユーチューバーでも面白いアイデアをどんどん思い付いて動画として配信する人はいるでしょうけど、そのアイデアが面白ければ面白いほど、すぐにパクられます。(74-75ページ)

 一昔前だったら、おっさんが美少女を演じているというのがバレたら、ファンは引いたと思うんです。だけど、ライブ配信中の事故で、バーチャルユーチューバーの「中の人」が画面に出てしまったりしても、みんなそれを面白がるようになっています。現実を「盛る」ことにみんな慣れ始めているのです。
(中略)
 人間がユーチューバーである限り、配信の頻度にも限界があります。どんなに熱心であっても、人間が作れる動画なんてせいぜい1日4本くらいが限界でしょう。でも、人工知能なら疲れることもありませんから、1日24時間365日、配信し続けられます。
 その結果、どういうことが起こるでしょうか?
 「AIユーチューバーの住んでいる世界」そのものを提供する娯楽が誕生する、と僕は睨んでいます。いや、もうユーチューバーではないですね。配信プラットフォームとしてユーチューブを使う必要もありませんから。(78-79ページ)

 だけど、過去のアーカイブがたくさんあっても、それをみんなが見るかといったらそんなことはない。「こういう面白いコンテンツがあるよ」と、「今」のコンテンツとして紹介しないと見てもらえない。
(中略)
 目の前で見せられない限り、どんなに面白い作品であっても、僕たちはもうどうでもよくなっている。僕たちが関心を持っているのは、「最新」「今」だけなんです。
 「今しか見えない」
 その傾向はどんどん進んでおり、10年後はより顕著になっていることでしょう。(82-83ページ)

 今アイドルを応援している人たちは、もう書き換え可能なルールの上でゲームをプレイしているんです。「変わり続けるルールにどこまでついて行けるか? ハマれるか?」を楽しむゲームになっているんです。ファンは、「メンバーの結婚という事件を飲み込んで、さらにゲームについて行けるかどうか?」を試されています。(90ページ)

 資本力のあるコンビニチェーンなら、自社で電子書籍を展開することだってできるでしょう。
 例えばコンビニの店頭で、コンテンツの入った使い捨て電子書籍端末を売る。端末を返却すればいくらか返金してくれるとか、コンテンツに期限を付けて自動的に消えるようにしておいてもいいですね。そうすれば、コンテンツの違法コピーを防ぎつつ、家族や友達で回し読みできます。パソコンやスマホを使うのが苦手な高齢者とか、親が子供に買い与えるとか、けっこう需要があるんじゃないでしょうか。(110-111ページ)

 昔の呉服屋みたいな売り方もできますね。本好きの常連さんのところに、出たばかりの新刊だとか、お勧めの本を持って営業しに行くんです。最近は本のセレクトショップが少しずつ増えてきましたが、価格をショップ側が自由に決められるのであれば、商売の幅はもっと広がるはずです。(113ページ)

 僕は、「あらゆる文化は、リアルからの逃避であり、洒落化、相対化である」と考えています。
 例えば、「食事」です。食事には、ミシュランの三つ星レストランもあれば、カロリーメイトもあります。グルメ番組を見ながらうまい棒やポテチを食べていても、それは別に現実の食事から逃避しているわけじゃない。(126ページ)

 どの庭園も、大自然というリアルからの逃避であり、洒落化にほかなりません。自然が素晴らしいといっても、ほとんどの人は原生林の中でサバイバル生活がしたいわけじゃない。
 だから、「二次元に逃げるのは、恋愛不能者」なんて非難は的外れです。
 みんなあまり口にはしないけど、心の中では多かれ少なかれ、「付き合っている人が全然イケメン/美女じゃない」、「彼氏/彼女の相手をするのは面倒くさい」、「彼氏/彼女と付き合うと、時間やお金がかかる」と思っているんじゃないですか?
 これは煎じ詰めれば「リアルな恋愛は、ダサくて、不便で、不経済」ということ。こんなにダメな要素が揃っているのだから、必要性は低くなるというものです。冒頭、非モテ相談オフ会で「すごく魅力的な相手だったら本気で好きになれるけど、そうでなければ付き合いたくない」という人が多いことを紹介しましたが、彼らはとても合理的な判断を行っていると言えます。(128-129ページ)

 独身税が導入されるにせよされないにせよ、結婚・育児は二極化が進むことになるでしょう。
 1つは、「趣味」としての育児。もう1つは、「資産」としての育児です。(152ページ)

 膨大な情報に振り回され、ファクトチェックもできない僕たちは、どう行動するでしょうか。「誠実そう」とか「はっきりモノを言い、決断力がありそう」とか、結局キャラクターで政治家を選ぶことになるんです。(185ページ)

 じゃあここでは特別に、「残る仕事」ではなく、「生き残るための仕事の見つけ方」をお教えしましょう。
 その方法は、2つだけ。
 うまくやっている人の役に立つか、うまくやっている人の機嫌を取るか、どちらかです。
 「なんだそれは!」と思いましたか? でも、仕事を突き詰めていったらそうなるんです。(204ページ)

 乱世で大事なのは、とにかく生き抜くこと。
 「会社をクビになったけど、仕事が見つかった」
 「子供を高校に通わせることができた」
 そういう何とか乗り越えられるサイズの苦労、不幸を乗り越えた状態が、「幸福」なんです。
 抽象的な「なりたい自分」を実現するのが幸福なんていうのは、もう過去の話。イケてる会社に入って、人のうらやむキラキラした仕事をして...それを幸福だと思い込んでいると、ずっと不幸なままです。
 今日を生き抜くことができたらそれだけで幸福だし、目の前にいる人が自分を認めてくれるならもう最高じゃないですか。(208ページ)

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