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伝書鳩

いつも、彼は話を端折りすぎる。癖なのか、当て付けなのか、彼の配慮のなさに、胸の片隅に違和感を覚える。会話がプツリと途切れることに、苛立ちを覚える。彼はなぜにそこまで僕に構うのか、わからない。人間に興味がないんじゃないのかと彼は言う。そうかもしれないなと僕は秋の日差し溢れる部屋で1人、冷めたインスタントコーヒーを啜るのだ。体調が良くなってきて、もう11月だと言うのに、昼間であればTシャツで外に出かけれる。彼も昼間からメッセンジャーを多用しているが、実は暇なのではないかと勘繰るが、時折返信の速度が遅くなる。妻帯者で小さい子供2人いるという生活は今の僕にはどんなものか想像できないし、考えることも億劫だ。朝はフルーツとコーヒーと決めていて、彼の勧めに従って風呂に入ることにした。ゆっくりと湯船に浸かるのはいつぶりだろうか、朝は忙しくシャワーで済ませて、帰宅後も時間がもったいないとサッと汗を流す程度だ。風呂に入れと言った時に、僕はシャワー顔だと彼は言い放った。その言葉に笑いを誘われた。冷静に考えると、そんな風呂とシャワーの違いなど、顔に現れる物なのかと鏡を見直しても、そもそも、今の僕には気づくこともできないか。そこで、毎朝バスソルトを入れた湯船に数時間浸かるようになった。面と向かって、肌艶がいいねと言われるようになってきた。心なしか、爽快感、ゆったりと余裕のある心持ちで朝を過ごせるようになったのだ。会社の同僚に、顔の話をすると爆笑されてしまった。他人から見ればそこまで明確にわかるものなのか。

心の余裕のなさを指摘されてしまう。確かにレジ待ちをしている時に前の客がもたついていると、多少イラついてしまう。そんなことは誰しもそうだと今まで疑問にも思わなかったが、それは違うと彼に指摘される。彼は前の人の財布がきれいかどうかを見ているらしい。相変わらずおかしな事ばかりしている奴だな、と思う。

長く浸かっていると、不思議と体の先の方から、満たされていくのを実感するようになった。例え、勘違いだとしても、今はこの行為が日課になってきた。こうして羽休みをして、ゆっくりと、無駄に時間を過ごすことが今までも自分には必要がないと思っていた。効率良く、全てを把握して、無駄なく楽しむ。楽しむこと自体、無駄なことなんだろうと思うようになった。

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