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伝書鳩 2

いつの頃か前頭葉の辺りからこめかみにかけて、圧迫感のある痛みが続いている。時に断続的に圧迫されて、睡眠を阻害されてしまうのだ。睡眠薬やそのほかに何種類もの薬を飲んでやっと数時間寝れるようになった。痛み以外に、思考が止まらない。その思考が止まらないことが、頭の内側から痛みになって止めどなく流れてくるようだ。血流そのものが痛みのようで、不快で、全てが止まってそもそも軽やかに楽にならないか。最近はこの入浴することでそれが、軽やかになって外出することもできるようになった。

体調が戻ってきたので、カメラをまた持って歩くことにした。フイルムの方だ。今の時代は誰でもスマホで簡単に写真を撮ってSNSに投稿できるようになった。今から10年前に比べると、フィルム代と現像代合わせて何倍にもなった。もう時代遅れなのか。「写るんです」が、今若い人たちに人気と聞いた。写真を撮ってから、出来上がるまでのタイムラグがあるのが面白くて新鮮なんだとか。まさに、それで、入れっぱなしの何年か前の写真と最近の写真が同時に現像されて出てくる。時間も場所もバラバラになっているが、そこに自分が確かにそこにいて、ファインダーを覗いてみて、シャッターをきってきた。その行為にまだ自分にしか表現できない何かが残る気がして。

その写真をまとめてサイトを作ったこともあったが、今の会社に入って働くうちに、いつしか写真も、文章を書くことも、なくなっていった。ただ旅行だけは続けていて、その写真や文章を続けるためか、ゲストハウスなどを渡り歩いて、各地に拠点ができたり、どこかで会った人が、次の場所に行くと共通の知り合いなどができて、色々な人のことを伝え渡るようなことをするようになった。

「あそこの誰それは今こんなことしているよ」

「ああ、彼女はカフェを開いて、この間結婚したんだよ」

と、そのような感じで旅行をしていた。段々常宿ができて、そこで働いていた人が独立したと聞けばそこを訪ねていくのだ。大抵自分よりも若く、気力も気配りもできて尊敬できる人たちだ。それもここ数年はより一層の無力感というか持て余した感じがしていた。ふわりふわりと漂っているだけで、その意味を見出せなくなっていた。目的もなく時間を過ごせなくなったいた。移動に使う交通機関や、旅先での飲食をすることで経済を回すことになるし、自分が働くことで、会社や社会に貢献しているという実感があったのだ。写真や文章にしても、この世の中に対する自分の表現を通して、果たし得る役割だと思っている。

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