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求めに応じること

当たり前ですが、依頼があって仕事が成り立っているのですが、少し自分で独立してから、県内を高速道路使って行ったりきたりすることに疲れてしまった。
昨日久しぶりに髪を切った。その店は自分がやった物件ですが、三年前に作った。当時の話になって、その時、私がいろんな現場を掛け持ちしていて、忙しそうで死にそうな顔をしていると言われた。今も基本的には変わらないけれど、移動がなくなったから、顔色はいいようだ。今は早寝早起きで、昔は遅寝早起きだった。
依頼があることはありがたいことなんだけど、自分の力量が足りないことが顕著になってきた。力をつけるためのことを怠っていたなと実感している。
施工まで担当しているので、細かい収まりなど、本来なら図面に表記しないといけないことでも、どうしても現場指示になってしまう。職人さん達に聞くと、そんな指示もなく、簡単にやり直してくれとよく言われることもあるとか。白井晟一氏なんかの図面見ると精細に書き込まれている。日本はものづくりの国と言われるけれど、だいぶ後退している感じがする、もちろん自分がそうだからでもある。躯体を金物でギシギシに固定している。閉めすぎても、剛性ばかり強くなって、粘りがなくなって、結局は破断の要因になる。過ぎたるは猶及ばざるが如し。いい加減がいい加減でない。なぜかといえばお金が問題で、いいお金の使い方から考えないといい家、ものは作れないのかもしれない。
採算度外しはよくないが、ちょっと利益少ないなくらいまで、手間かけないとできない。やりすぎて自分の首を絞めても仕方ない。

昔、日本にあった「用水」という言葉と技術を今一度使ってみたい。このまちで言えば三廻部用水。丹沢山系から滲み出る水を、引く、活用する。権利関係で苦労しそうだけれど、今なら管理者不在で何か突破口があるかもしれない。

今年は少し立ち止まって、自分が立っている位置、どこを向いているか。

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