見出し画像

悩める授乳のはなし

お産を挟んで、長く続く妊娠生活がぱたっと終わり、育児生活が突然に押し寄せることを、産前考えたことがなかった訳ではなかったが、心の準備が万端であったかと言われると・・・否だ。

想像以上に難しいおっぱいをあげるという行為

午前2時に出産した私にとって、初めての授乳は翌朝10時。場所はどこか無機質な(照明のせいだろう)新生児室。コットに入った小さな小さな命が、人形のように整列していた。

授乳なんて、おっぱいを含ませたらいいんでしょう。母乳が足りなければミルクをあげたらいいんでしょう、ぐらいに思っていたが、それが驚くほど難しいのだと知ることになる。

まずは乳首の形状が赤ちゃんにとって吸いやすいかどうか。確かに、赤ちゃんは吸啜反射という生きるための能力を携えて生まれては来るが、乳首を乳首と視覚的に認識して我が胸に一心に飛び込んで来てくれるわけではない。おっぱいを欲しがって、不安定な頭を四方八方に揺り動かす赤ちゃんの小さな口と乳首を引き合わせようと、私自身を含め多くのお母さんたちが四苦八苦していた。

3時間おきに我が子が待つ新生児室へ

助産師さん達は、授乳クッション、乳頭保護器なる乳頭に被せるシリコン性の道具、搾乳など色々な道具や技術を駆使して試行錯誤をしてくれる。ただ、赤ちゃんに自分のおっぱいから上手く吸ってもらえなかったり、飲めた量が少なくミルクを追加であげたりするたび、恋い焦がれる相手に振られたような切なさが湧き上がる。特に哺乳瓶からゴクゴクとミルクを飲む我が子の顔を眺めていると心が締め付けられるような思いがした。乳首の大きさやおっぱいの量の欠陥=私の身体が至らない ― 赤ちゃんが上手くおっぱいを飲めないことを、自分の身体を否定されているように感じてしまい落ち込んだ。何度も、疲れ切ったように乳首を含む我が子に「ごめんね」と心で呟きながら授乳時間を過ごした。授乳を始めてほんの1日2日、上手くいかなくて当たり前じゃないかと今冷静になると思うが、授乳中も、授乳と授乳間の時間も授乳のことで頭がいっぱいだった。3時間おき、一回が1時間超になることもあるこの授乳(施行)タイムによって、産後数日間、一日一日がひどく長く感じた。

ルール、ハウツーという呪縛

そんな授乳スケジュールで一日が回る日々にも慣れ始めた入院生活が5日目に終わり、イースター・サンデーに私と我が子は晴れて退院した。コロナの影響で立会も面会も無かったため、父親となった主人にとっては待ち遠しいなんてものじゃなかっただろう初めての対面。気持ちの良い晴れの日、久しぶりの日差しがいつも以上に眩しく、主人が買ってきてくれたカフェラテも相まって、私自身気持ちが高ぶっているのを感じた。

退院時与えられた指針は、「泣いたら母乳をあげる」「片方5分ずつあげて足りなそうであればミルク40ml足してあげるか、搾乳した母乳をあげて」の2つ。明るさ充分で機能的な新生児室での、見やすい時計、頼れる赤ちゃんスケールと助産師さんが揃った授乳時間は、授乳という営みに確立されたセオリーやルールが存在していると私を錯覚させた。乳首を咥えておっぱいを飲んでもらうところまでは随分スムーズにいくようになってきていたし、アドバイスどおりに従えばいずれは軌道に乗るはずだと。しかし、現実はもっと複雑で、流動的で、手探りなのだと退院後すぐに学ぶことになった。

母乳をあげても欲しがり続けるとき、母乳が足りないのか、この子の1回に飲める量がまだ少ないのか判断がつかない。母乳を増やすなら授乳後に搾乳がセオリーだが、飲めないのであれば母乳量だけ増えても胸が張って辛いだけかも・・・。飲ませる時間も、5分ずつで左右を変えると最初の方は母乳が出ていないのか足りなそうにぐずる気もするし、10分飲ませると飲めていないのに咥え続けているだけなのかも・・・と不安になる。我が子は授乳中に寝てしまい、寝せたらすぐにまたせがまれるというパターンが多く、結果的に授乳時間がダラダラと続いてしまい自分自身がしんどかったため、やはり疲れて寝てしまう前に左右チェンジしたほうがいいのか・・・などとも思った。

今や生活に関する多くのことがそうであるように、不安をまず打ち明ける先はグーグル先生。だが、やはりそこに並んでいるのはセオリーやルール、ハウツー。調べては試してみる、すると余計にわからなくなってしまう、を繰り返した。

反省と、辿り着いた暫定スタイル

病院やネットに教わったやり方を一生懸命実践しようとしていた、つまり機械的、一方方向的な姿勢だった私は、ある日、自分の下着が授乳中の赤ちゃんの喉を圧迫して苦しそうにしている呼吸音に気がついてハッとした。何が上手くいっていないかはこの子に聞かないと分からない。我が子自身との対話が決定的に欠けていた。もっというと、自分自身との対話も欠けていたように思う。万人に共通する正解なんてない、自分の身体とこの子の身体のことを知っていきながら、お互いがカンファタブルなスタイルを探っていこうと思った。

ここ数日間でそんな私の考え方の変化と共に、なんとなくの授乳スタイルが出来上がってきた。まずは横抱きから縦抱きに変えた。乳管が下のほうが開いている気がして試してみたところ、赤ちゃんも楽そう、量もより飲めていそうな気がするし、何より私が楽。1日に10回以上、特に夜間授乳をすることを考えると、私の気力体力が消耗しないことも大事だと考えた。時間はあくまで目安5分、でもお腹いっぱいでリラックスした様子になるまでは無理に左右を変えないことにした。これもお互いに疲れないというのが一番大きいが、片方で満足してそのまま寝ることもあれば、「もっと」を主張してくることもあるから、どのくらいあげたらいいかがわかりやすく、いちいち不安にならなくて済む。おっぱいには幸せホルモンが含まれているらしく、確かにだんだんと気持ちよさそうな、なんとも緩んだ顔をする。おしっこやうんちをしていそうだったら寝ているうちに変えてあげて様子をみる。ここでホルモン効果が切れ、また欲しがれば反対のおっぱいをあげる、という具合。

辛い夜間授乳はちょっとした“儀式”を足している。日中は授乳中も家族と話したり、授乳間に何か他のことができたりと、比較的授乳の負担を感じないが、夜間は寝て起きたら授乳の繰り返しだから、とにかく立て続けに授乳している感覚になるし、一回一回の授乳も長く感じる。私自身の気持ちが持つようにしなくては、と試したのが、起きたら授乳前にヘアクリップで髪をまとめることと、ブルートゥーススピーカーで小さく好きな音楽をかけること(なんなら歌が好きな私は口ずさむ。主人がどんな環境でも寝続けられるタイプで助かった)。この2つだけだが、眠くてもやる気スイッチが入るのと、ストレス軽減になっている。

夜間授乳のお供

産後、数人の知人/友人ママたちがSNS等で労い、励ましの声をかけてくれてとても嬉しかったのだが、きっとそれは多くのママたちが、産後のこの時期にこういった試行錯誤やそれに伴うストレスを味わってきたからなのかもしれないと想像した。自分も知っている人が妊娠したら、お産を乗り越えたあとこそ、気がけて声をかけたいなと思う。その日のためにもここに自分の経験を記録しておきたい。

最後に

私にとって、そして見ている限りはこの子にとっても、ワークするスタイルには落ち着いてきたものの、栄養学的?にベストかも分からない。発育?知育?の観点からももっとやりようはあるのかもしれない。私達にとっての授乳の“正解”に辿り着いたとは到底言えないし、未だ検索履歴は赤ちゃんに関することばかりだ。ただ、私と主人がハッピーペアレンツでいられて、我が子に愛情と優しさを名一杯注げられたら、それが私達にとってのベストを尽くすことかなと思う。この子の成長と共に悩みも刻々と変わっていくのだろうが、頼る先がルールではなくプリンシプルになった今は、変えてゆけばいいじゃないかとおおらかに捉えられている。

自分の苦労話ばかり書いたが、我が子も両唇に吸いだこを作って一生懸命に生きよう、大きくなろうとしてくれている。私はそれに真摯に、愛を持って応えていきたいと思う。

新生児はほとんどの時間を寝て過ごす。起きたら泣いて、わけもわけらず乳首をふくむ。母乳は反射で飲む。赤ん坊は、私のことを親だと捉えていないのはもちろん、人間とさえ思っていない。(中略)新生児にとって私は親ではなくて、世界だ。世界を信用してもらえるように、できるだけ優しくしようと思った。

母ではなくて、親になる (7章 新生児) | 山崎ナオコーラ

(どの雑誌、ウェブページ、YouTubeビデオよりも、出産を控える私にとって役立ったのは、ここに引用した山崎ナオコーラさんのエッセイ集だった。書店でふと手にとったこの本の話についてはまた別途書きたいと思う。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?