因数分解しない『二元論思考』ではなく、グラデーションのある世界を考えたい
現在世の中は、8月2日、東京都では新型コロナウイルスの感染者が新たに292人確認された。全国では、1,539人と、2020年5月25日の緊急事態解除宣言後の約3週間後の6月22日を底に反発し、右肩上がりに感染者が増加している。
これを見ると、感染者が増えているので、
・自分が感染しないように「行動自粛」をする
・各々の人の尺度で、自粛水準を他人にも求める
ように変化している、と感じている。
ここでいつも置き去りになるのは、コロナ感染者が増えてる要素は何なのかの議論としっかりとしたエビデンスである。要素を因数分解せずに、自粛まで振り切る判断を多くの人がしていることが経済にネガティブなインパクトを与えている(と思っている)
この議論は、ウイルス感染対策を正しく理解し、実践するという帰結だ。
※その話は、別のnoteを参照いただきたい。
ここで起きていることは、
『脊髄反射的な思考』のグラデーションのない二元論的世界
「グラデーションのない二元論的世界」は、最近のテーマだ。
・自粛 vs 経済
・ティール vs レッド
・出勤 vs テレワーク
・ゆるい vs 厳しい
・ハードワークで働く vs 残業なしで働く
など僕たちの世界は、二元論がつきまとう。
「自粛がいいの?経済回すために仕事したらいいの?」という会話はよく見られ、脊髄反射的に選択にせまられ、結論はでない。
僕たちは、ウイルス感染対策をしながら、経済を回すことをどうにかつくっていく方向に向かっている。それが実行できる状態にするために、様々な考え方を取り入れながら取捨選択していくのだと思う。そして、外部環境に合わせて変化・進化させていく。
と考えると、抽象的な事象と思われるものを解像度高く観察し、解いていくしかない。
僕たちは、すぐに選ぶことを求められている訳ではなく、適する状態を探っているのだ。
社会人になったころからだろうか。
僕は『選択することは、「いずれかの意思決定である」と求められているように』感じていた。(思考停止していたんだけど)
正解は、区別した2つのいずれかではない。
すべての人の考えや生き方は、二元論的に考えて一択することはできるほど、単一的でひとくくりにできないからだ。
「2つに区別し選ぶことでメリットがある」考え方はあると思うが、
それは僕は気持ちが悪いし、共感はできない。思考停止にもなる。
2択は、思考のピボットを作るためのプロセスの議論ではあっても、結論ではない。
「どちらがよいか」から「どうなっていたらよいか」を問うにシフトする
「どちらがよいか」と聞かれたら、「どうなっていたらよいか」を自分に問いかけることから始めている。
『突破口はグラデーションの中にある』と考えて、1つの視点にとらわれず、高い解像度で物事を捉えることで、相反する2つの要素がせめぎ合っている存在に気付けるからだ。
グラデーションのある多様な世界
グラデーションに見える、多様な考え方のある世界は、非常にわかりにくいし、すぐにわかりにくい。
だが、それぞれの人の考え方や生き方が承認され、僕たちが生きる世界の幸せの総和が最大になる可能性がありそうなので、僕はそうやって生きていきたいと思っている。
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宮崎ひびさんの考え方は「まさに!」と僕が言葉で表せないことを表してくれているnote なので、ぜひ読んでもらいたい。
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