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フライパンとしゃもじで磁性粉を作成!? 国産初 『テープレコーダー』 開発の第一歩 〜 音の出る紙 『ソニ・テープ (Soni-Tape)』

ソニー技術の秘密にまつわる話 (5)

どうすれば磁石の粉が作れるのか?

GHQの将校が東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) に持ち込んだ未知の機械「テープレコーダー」の音や操作性に感銘を受けたソニー創業者・井深大と盛田昭夫は「テープレコーダー」の開発を決意。入社2年目となった木原信敏にその開発が託されることになります。

「テープレコーダー」開発決断のお話はこちら↓

1950 (昭和25) 年に入ると、東通工で生産される「テープレコーダー」に使用する「磁気テープ」に必要な磁性粉は電気炉で焼くようになり、「ディップコーディング」 (ニスに似た液体と磁性粉を混ぜた中に、紙テープをさっと浸けて磁性粉を塗る) と呼ばれる方法で塗り方も進歩し、蓚酸鉄からテープ用磁性粉 (マグネタイト) の量産が可能な製造工程の確立にも成功するのですが、

1949 (昭和24) 年6月の時点では、「磁気テープ」の生産方法どころか、どうすれば磁石の粉が作れるのかもわからないという、本当にまだ何もない状態でした。

炊事場のフライパンで磁石の粉を作る

おそらく磁性粉 (磁石の粉)が紙テープに塗られているのだろうと、井深大より「テープレコーダー」の話を聞いたときに考えていた木原は、当時東通工社内に資料として置かれていたKS鋼、新KS鋼の発明者で鉄鋼の世界的権威者であった 本多光太郎  (ほんだ こうたろう、1870 - 1954) によって書かれた『磁石』という著書の中から、

「蓚酸第二鉄の黄色い粉末を乾溜して、水と炭酸ガスを取り去った茶色い粉が『ガンマ・ヘマタイト(Fe2O3)』であり、ガラス菅に詰めて突き固めると、棒磁石が作れる」

との記述を見つけ、これが「磁気テープ」開発の最初のヒントとなります。

早速、当時まだ終戦後で焼け跡の残る東京・神田の薬品問屋街を、盛田昭夫 と二人で探し回り、奇跡的に「蓚酸 (しゅうさん) 第二鉄」の試薬ビン2本を手に入れ、これを会社の炊事場から拝借したフライパンでしゃもじで煎って加熱、色の頃合いを見計らって水分と炭酸ガスを飛ばし「ガンマ・ヘマタイト (y-Fe2O3) 」と呼ばれる磁性粉を作り出したのです。

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いま蓚酸第二鉄の入った小ビンを手にして、「この薬を見つけだしなさいよ」と言わんばかりに本棚に置いてあった本のこと、すぐに神田に買いに走った盛田さんの機敏な反応などは、たんに「ついていた」と言ってかたづけられる問題でなく、当時の皆の仕事に対するひたむきな姿勢と努力が、当然な結果を生み出したのだと思い至り、新たな感慨に浸っています。
ソニー技術の秘密』第1章より

磁性粉をテープに塗る方法

こうしてできた磁性粉でしたが、これをテープに塗る方法にも苦労することに。

ご飯粒をすりつぶしたノリで紙テープに塗ってみる。パリパリに乾いて失敗。狸の胸毛で作られた刷毛 (ハケ) が細かく綺麗に塗れると聞き塗ってみるが、まだしっくりこない。

最終的には、木原が東通工入社直後に組み立てを担当した『ヘルシュライバー (鍵盤模写電信機)』に使用されていた8㍉幅の紙テープにスプレーガンで塗布し、スプーンの裏側で擦り塗布面を平らに整え、最初の録音用紙テープが試作されます。

木原が東通工入社直後に組み立てを担当した『ヘルシュライバー (鍵盤模写電信機)』のお話はこちら↓

工場の床まで磁性粉で黒く塗装

なんとか最初の録音用紙テープ試作が出来上がったものの、ここで問題が発生します。

当時東通工が (坪3万の大金を投じて) 購入した土地に、新築の工場、通称『山の上工場』が建てられたばかりで、その中で作業をしていた塗装屋から木原はスプレーガンを借りその場で紙テープに塗布していました。

なんせ東通工の将来を左右する重要な開発テーマであり、木原は一時を惜しんでの紙テープ開発に没頭し、そして生まれて初めて使ったスプレーガン。

8㍉幅の紙テープに綺麗に磁性粉を塗ることができたものの、気がつけば下に新聞紙を敷くことも忘れ、新品ピカピカの工場の床まで黒く塗装してしまっていたのです。

当時、新築工場の工事を担当していた、工場長の樋口晃 (後のソニー副社長) が出社一番、真っ黒になった床を見て、

新工場の床を真っ黒に汚したのは誰だ!

木原はこっぴどく叱られ恐縮しましたが、井深大からは、

その程度のことで「テープレコーダー」が出来るんなら大したことはない

とフォローされ、その後はお咎めもなくいつの間にか床は塗装屋さんの手で、綺麗になっていたようです。
このエピソードは後のインタビューなどでも何度か披露され、当事者たちの「磁気テープ」開発の笑い話として語られていました。

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開発は、完璧に作ることを目標にしなくてもよいのです。最初に決めた夢の目標に、できるだけ早く到達して、その夢の実現が可能であることを示すことが必要なのです。

ソニー技術の秘密』第1章より

「磁気テープ」商品化へ

木原の作成した「磁気テープ」は、レコードプレーヤのターンテーブルを使用し、木原手製のマイクや録音再生ヘッドを取り付けた「簡易試作テープレコーダー」により録音再生テストが行われました。

「本日は晴天なり」

日本で最初のテープレコーダによる録音再生は無事に成功。

創業時より「大衆向けの新しく独特な商品」を模索していた東通工にとって「テープレコーダー」開発の最初の夢、

「音の出るテープを作る」

ことが数日で実現可能と証明できたことで、

磁性粉ができたなら、それを塗布する丈夫な紙が必要だ」、それに
塗布する機械を作らねば」、さらに
磁性粉を研究する技術者を雇用しなければ」、
資金も調達せねば

と、急ピッチで東通工は大変身を遂げることになります。

その後、社内には後に「リチウムイオン電池」の開発で知られる戸沢奎三郎 (とざわ けいざぶろう・後のソニー エナジー テック社長) 率いる『テープ開発室』が開設 (主任: 戸沢奎三郎、磁粉の研究: 天谷昭夫・徳本真一、機械設計: 太刀川卓爾、塗布: 島沢晴雄) 。

磁性粉を塗布した紙製の「磁気テープ」商品化に向けて生産体制の研究が本格化します。

そして、1950 (昭和25) 年8月、多くの研究者と技術者たちの努力により、日本初の「磁気テープ」が東通工の製品として完成。

東通工初の登録商標を取得した『ソニ・テープ (Soni-Tape)』の名前を付け、国産初となるテープレコーダー『G型』と共に販売されることになるのです。

「磁気テープ」のテストを行った木原自作の「簡易試作テープレコーダー」についてはこちら↓
国産初となるテープレコーダー『G型』開発のお話はこちら↓

文:黒川 (FieldArchive)


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