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トランジスタ開発の要、 技術者の執念を見せたソニー半導体技術の記念碑 〜 『岩間レポート』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (30)

東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) での『トランジスタ』研究開発の発展に大きく貢献したのが、後に

「ソニー半導体技術の記念碑」

と呼ばれる、岩間和夫 (いわま かずお、後の第4代ソニー社長) がトランジスタ技術視察のために渡米した際に書かれた報告書、通称『岩間レポート』でした。

ウエスタン・エレクトリック (Western Electric)社(以下WE社) での工場視察、ベル電話研究所などでのトランジスタ製造や、研究の一部を見学した岩間和夫によるこの報告書は、写真撮影、録音はおろか、ノートを録ることも許可されなかったWE社での技術説明を、すべて暗記し、記憶を頼りにノートにまとめられ、1954 (昭和29) 年1月23日より3ヶ月にわたり、絶え間なく東通工で待つトランジスタ研究開発チームメンバーに送り続けられました。

総枚数で256枚にも及ぶその内容はもちろんのこと、技術者としての岩間和夫の執念を感じさせる素晴らしいもので、研究開発チームのメンバーは、この「岩間レポート」を頼りに設計図を書き上げ、試作にまで漕ぎ着け、東通工のトランジスタ開発に大きく貢献するものだったのです。

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" 工場内は写真撮影が厳禁なだけでなく、メモも禁止されていた。それでも、せっせと製造工場の様子を見て回っては、案内人というより見学者の見張り番と表現した方が正確な付き添い役に、慣れない英語を使ってしつこく聞く。
その中で岩間は見るもの聞くものすべてを、自分の目と頭に焼き付けるように観察してくる。そして一目散にホテルに戻り、記憶してきた内容を報告書にたたきつけるように記していった。
実際、今レポートを読むとかなりの誤字や脱字、さらには文脈としても変なところが結構あって、あれもこれもと書き進むのが精一杯だったことが見て取れる。しかしその一方で、目にしてきた製造装置や部品などの構造図が随所に描かれていて、本当にメモなしの記憶だけで書いたものなのかと、つい疑いたくなるほど詳しい内容にもなっている。
プロジェクトのメンバーは、こうして送られてくるレポートの内容とスケッチを頼りに、設計図を作って試作にまで漕ぎ着けた。
"

『ソニーを創ったもうひとりの男 岩間和夫』第4章より

1954 (昭和29) 年4月、『岩間レポート』最後の報告が日本に届く頃、既に研究開発チームメンバーの手により「点接触型トランジスタ」「接合型トランジスタ」の試作が完成。

これを元に、トランジスタラジオの試作を開始したのは1954 (昭和29) 年6月のことで、世界初を目指して研究開発チームスタッフは大車輪で動き始めます。

岩間和夫を中心にトランジスタ研究開発チームを発足させ、『トランジスタ』という未知の技術への挑戦を開始してから約1年、1954 (昭和29) 年7月には、この2種類のトランジスタを使用し、井深大念願のトランジスタラジオの試作開発にまで到達したのです。

とはいえ、この時点ではまだ100個作ったトランジスタの内、使えるものは2、3個程度と極端に低い歩留まりに苦しみながらの開発。

「世界初のトランジスタラジオを作る」

という目的のために、研究開発チームでは命がけの熱意と努力の開発が続けられていました。

ところが、1954 (昭和29) 年10月、米国IDEA (IndustrialDevelopment Engineering Associates) のリージェンシー (Regency) 部門が世界初となるトランジスタを4石使った、本格的なスーパーヘテロダイン方式の受信機『Regency TR-1』を発表、クリスマスシーズンを視野に入れ11月に発売するというニュースが飛び込んできます。

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世界初のトランジスタラジオの座を奪われたものの、翌年の1955 (昭和30) 年 1月にジャンクション型のトランジスタ5石を用いたトランジスタラジオ、スーパヘテロダイン式受信機『TR-52』の試作に成功。

盛田昭夫は早速、サンプルを持ち、市場調査と商談のためアメリカ、カナダに飛びます。

この時、東通工のすべての製品には商標マークとして『SONY』の名称がつけられることになります。

世界に乗り出して行くには、どこの国の言葉でも同じように読めて、発音できることばが必要だと盛田昭夫が考えたのが、「SONIC」の語源となったラテン語の「SOUS」と小さい坊やという意味の「SONNY」を掛け合わせて作った言葉、後の社名となる『SONY』だったのです。

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「社運を懸けた一大事業」としてスタートしたトランジスタ開発は、岩間和夫をはじめとするトランジスタ研究開発チームのただならぬ努力のもと、井深大の夢を叶え、その後のソニーが世界へ大きく飛躍するきっかけとなったのでした。

文:黒川 (FieldArchive)


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