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アメリカと同じやり方では満足いくものはできない! 肩がけ可能で「街頭インタビュー」に最適、日本初のポータブル第一号機 〜 『M型』テープレコーダー試作機

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (16)

教育機関での予算に合わせたコストダウンを実現し、音質や音量も向上した『P型』テープレコーダーは、「視聴覚教育機材」として最適なものとなり、1952 (昭和27) 年頃の、学校をはじめとする教育分野を中心に、大きく普及することに成功していました。

しかし、『P型』テープレコーダーは小型で軽量となったとはいえ、使用できる場所はAC電源のある場所のみと限られていました。

1951 (昭和26) 年頃には既にNHKでもスタンシル・ホフマン (Stancil Hoffman) 社の『MINITAPE M-5 型』が導入されており、放送業務には屋外での取材が可能な、機動性にとんだポータブルなテープレコーダーが必要とされていたのです。

「アメリカのスタンシル・ホフマン (Stancil Hoffman) 社の「MINITAPE」ポータブルレコーダーが報道関係で使われている」

という情報を 井深大 から聞いた東通工 (現ソニー) の技術者・木原信敏は、すぐに情報集めに奔走し、なんとか入手したカタログから、形状や大まかな仕様について確認、早速試作機の開発に取り組みます。

ところが、当時アメリカの製品に使われていた、バッテリーで稼働する「電動ガバナモーター (回転制御型モーター) 」が手に入りません。
国内には製造できるメーカは存在していなかったのです。

さらに、バッテリーとして使用されていた電池は、小型で比重計までついている、とてもよくできた鉛電池であったにもかかわらず、硫酸の液漏れがひどく、とてもメンテナンスできる代物ではないことから、

「アメリカと同じやり方では満足いくものはできない」

と判断。

木原は、電池は電気回路のみに使用し、テープは子供の頃に聴いていた「ゼンマイ式蓄音機」のゼンマイ式モーターを参考に、動作させることを思いつきます。

東京・神田の米軍放出物資を扱っている店で手に入れた「手巻き蓄音機」のゼンマイ部品を使用し、試しに手回しゼンマイモータを自作。またバッテリーが通常3つのモータを必要としたところを1つに改良を加え実験。

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想像以上に安定したテープ走行が確認できたことから、手巻きゼンマイに必要な部品を買い占め、

1951 (昭和26) 年3月、
今日のポータブル録音機の原点となる、日本初のポータブルテープレコーダーが完成します。

トップからポータブルレコーダーを試作しないかと打診されたとき、鉛二次電池の小型のものがないことと、電動ガバナモーター(回転制御型モーター)が入手できないことを言いますと、電池はサンプルを入手できるということで、早速サンプルをテストしました。が、小型で比重計までついている、よくできた鉛電池にもかかわらず、硫酸の液漏れがどうしてもあって、私は使うことを諦めました。安全な乾電池を使う機械を考えることにしました。
 ガバナモーターも外注しましたが、その当時の日本では、小型モーターを作る技術が発達していませんでしたので、テープコーダーに使えるものは入手できませんでした。
 アメリカの真似はやめて、なんとか実用になる方法はないかとじっと考えました。頭のなかを走馬灯のように部品が駆け巡ります。「単一電池」「直熱型真空管」「積層電池」「モーター」「ガバナ」「定速回転」「フォノモーター」「ポータブル」「ポータブル蓄音機」「手回し蓄音機」「ゼンマイモーター」。これだ、これなら絶対にできるぞ。 ガバナモーターを使わなくても、定速回転ができる。

ソニー技術の秘密』第3章より

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この時木原は、10台の試作機を完成させ、1951 (昭和26) 年4月、NHKへ披露し好評を得るのですが、木原自身は、長時間連続での録音ができず、ゼンマイを巻く度に約5分 (最長8分) の録音しかできないことや、電池の関係でやむなく消去機能を割愛したことなどに満足しておらず、

「こんな不完全なものは使えない」

と、考えていましたが、

「電池を使って中途半端なモノを作るより、
ずっとましだ」

という 井深大 の言葉と、NHKでの

「ポータブル性がよくて、記録性能も良い。ゼンマイを巻くごとに5分も録音できるなら十分使える」

という判断から、NHK初め放送各社に納入されることになり、正式に製品化され、全国向けに販売が開始されたのです。

この時期、民間の放送局が認可されるようになり、電池の消耗も少なく、メンテナンスも殆ど必要ない『M型』テープレコーダーは、各放送局での「街頭インタビュー」に重宝され大きくシェアを広げ、翌年の1952 (昭和27) 年10月までに2,777台を売り上げるヒットとなるのでした。

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その後、放送業界では「デンスケ」の愛称で呼ばれ、さらに改良が重ねられ、問題だった「電動式ガバナモーター」も後継機の「M-2型」より搭載されるようになり、長きにわたって放送関係各社にて使用されたのでした。

文:黒川 (FieldArchive)


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