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磁気録音方式で「トーキー映画」の発展に大きく貢献 ~ 映画(シネマ)用録音装置「シネコーダー」

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (18)

1927年 (昭和2) 年に、アメリカのワーナー・ブラザースが公開した長編映画『ジャズ・シンガー』は、世界初の映像と音声が同期した「トーキー映画 (talking picture)」として広く知られています。

古くは、蓄音機の音声を映像に合わせて鳴らすことから始まるこの「トーキー映画」は、第1次世界大戦後、フィルムに音を移し代える方法が確立され、日本においても、1931年 (昭和6)年に最初のトーキー映画『マダムと女房』 が松竹キネマ蒲田撮影所製作により制作され、映像と音声が同期するという仕組みは、その後の映画制作において主流となります。

1950 (昭和25) 年頃の「トーキー映画」制作では「光学式録音」 (フィルム上に音の信号を光に変え、面積比の変化で記録する録音方式) が採用され、映像同様に現像処理が必要な光学フィルムの使用が主流となっていましたが、音声録音に使用する光学フィルムは、映像録画の3倍ものフィルムを当時使用していました。

しかし、第二次大戦中にドイツが開発したテープレコーダー技術を基にした「磁気録音」方式であれば現像操作が不要になり、消去すれば何度でも使用でき、撮影現場で録音した音声をすぐに確認できるなど、多くの利点があったことから、アメリカやヨーロッパでは既に磁気録音が広く普及していたのです。

こういった経緯から日本においても、「磁気記録」方式を映画会社が導入することになります。

ソニー創業者の一人井深大 は東通工 (現ソニー) 設立以前に、トーキー映画製作技術開発の専門会社だったPCL (Photo Chemical Laboratory) や 日本光音 という映画関係の会社で働いていた関係で、映画会社の友人から「映画専用の録音機」が作れないかと相談されていたことから、東通工へ正式に依頼が入り、東通工の技術者であった木原信敏の手により開発がスタートしたのでした。

この「映画専用の録音機」は、1951 (昭和26) 年5月頃から開発はスタートしていましたが、メカニカルな設計では、これまで経験したこともない音揺れや、音飛びの問題が起き解決に苦心することに。
これらは映画撮影の現場経験のない木原には、想定外の問題でもあったようです。

そこで、日本初のトーキー映画『マダムと女房』で録音を担当し、光学録音の分野で第一人者だった録音技師の 土橋武夫 (つちはし たけお) に協力を仰ぎ、映画制作のノウハウを技術面から指導を受けることで、映画制作の現場で活用できる機器として、1951 (昭和26) 年11月に完成され、『シネコーダー』と命名されます。

土橋さんは東通工に役員として入り、録音部長になりました。話によると、光学録音に使うガルバノメーター(高感度電流計)による光シャッター装置での面積式記録の道具は、すべて土橋さんが自作して完成させたとのことでした。
 日本のトーキー時代を築いた技術屋の先輩土橋さんは、小柄で、いつも飄々としていて、人から話しかけられなければ、自分から話しかけることはないような人でした。
 とても親切な人で、「おい、荷物運ぶんなら、おれが車転がしていってやるよ」と、こんな調子で、よく撮影のための器材などを運ぶ面倒を見てくれました。どうも車が好きで好きでたまらなかったように見受けました。


ソニー技術の秘密』第3章より

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ちなみに当時の松竹映画のタイトルには、土橋武夫 の発明した通称「土橋 (どばし) トーキー」の名前が表示されていました)。

木原の手によって開発された『シネコーダー』は、映画フィルム同一型35㍉の磁気テープ (ソニテープ) を使用。映画フィルムと同様にスプロケット (フィルム送りの歯車) 用のパーフォレーション (歯車用の穴) が開いているテープで、テープスピードは24コマ/秒。2台以上並列に繋げて、同期型のダビングマシンとしても使用可能でした。

3個のモータを使用し正転逆転、高速巻取巻戻可能な「フィルム録音部」、マイク入力にダイアログ音質調整付き3回路の「ミクサー増幅器」、バイアス高周波発振器、マイク増幅器等を備えた「録音再生増幅器」の3部からなる携帯型構造。

さらに、フィルム運動の制御は全て押しボタン式で、フィルムの起動時間は3秒たらずとし、定電圧制御の電源を内蔵していましたが、電池電源に切り替えることも可能でした。

この『シネコーダー』は、日本映画協会の専門委員へ披露され、1951 (昭和26) 年12月より東宝の映画制作に採用されます。

その後、『シネコーダーA型』『シネコーダーB型』と改良品など、いろいろな仕様の『シネコーダー』が使用されるようになり、映画字幕のタイトルには「東通工製シネコーダーにより録音」と表示され、「トーキー映画」の発展に大きく貢献したのでした。

【受賞】
1951 (昭和26) 年度の「日本映画技術協会賞」を受賞

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文:黒川 (FieldArchive)


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