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クラシカロイド~史実のベートーヴェン(2)

ベートーヴェン生誕250年クラシカロイド再放送記念の放送される
「ちがいのわかるおとこ」のムジーク曲

「エリーゼのために」(独:Für Elise)
(バガテル第25番 イ短調 WoO 59『エリーゼのために』)

作曲されたと思われる前後の住居と彼の歴史をお話したいかと思います。

なお、コロナ禍で渡墺することができませんので、今回も文末にGooglemapを添付しております。
衛星写真やGoogleEarth等、家の周り等を堪能していただけると幸いです。

(今回も現地の美味そうな食べ物を載せました。現地ではおなじみのオープンサンドのお店の写真です)

*前年にあった事件
*パスクァラティハウス
*ベートーヴェンのコーヒー

*前年にあった事件

1810年4月27日
「エリーゼのために」が出来た日になります。
1805年フランス軍がウィーンを占拠し、レオノーレ初演(1805年11月20~22日)時には、フランス軍の兵士で埋め尽くされた。
そんな中でも作曲活動を続け、誰もが知っている交響曲3番(英雄)や5番(運命)、クロイツェル、コリオラン等が生まれました。

1809年初め、前年10月に申し出があったカッセル(ドイツ中心部)の宮廷楽長の招聘を受けるつもりであった。3月、ルドルフ大公たちから年棒を受ける契約が成立。年棒受給契約の条件としてオーストリア領内にいることが条件となり、カッセル宮廷楽長招聘の座はカッセルに行けなくなり断る形になり、生涯をウィーンで過ごすことになります。
5月、フランス軍がウィーンを包囲し砲撃が開始されると弟の家の地下室に避難した。この砲撃戦の最中、ハイドンが死去。フランス軍占拠が2か月も続き、食料入手も難しくなり、友人や貴族のほとんどがウィーンから脱出。外部からの交通も制限され、遠出も難しくなった時期にベートーヴェンはルドルフ大公の資料作成をして、時を過ごしました。
戦火も収まり、皇帝一家や支援していた貴族たちは疎開し、翌年戻ってきました。

*下の写真は、ベートーヴェンが避難していた弟の家があった場所。モーツァルトの最期の家のそばにある

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*パスクァラティハウス

1810年4月、1804年に住んでいたメルケルバスタイの家、通称「パスクァラティハウス」に戻ってきたベートーヴェン。
この家は彼のお気に入りの家でありました。ウィーン城の堡塁跡地に建てられた見晴らしの良い家で、この家で最高傑作が次々と生まれました。
この家の家主であるパスクァラティ男爵は、のちに年金不払いに遭った際の裁判に力を貸し、ベートーヴェンの力になった人物になります。

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(すみません!パスクァラティハウスの写真があまりなくて、中から外の景色の写真はこれだけです)

ある日、この壁を壊せば景色もよく見えると思ったのだろうか、家主の相談なしで壁を壊し窓を付けようとし、それに気付いた店子と口論となり家を出てしまいました。
それを聞いた男爵は「この家を誰にも貸さない。彼は必ず戻ってくる」と言って、ベートーヴェン以外の人には貸さなかったという。ベートーヴェンは生涯にわたり3回、この家に越してきました。
2度目の引っ越しをしたときに「エリーゼのために」を作ったようです。
引っ越しした頃に、テレーゼ・マルファッティに出会いベートーヴェンは恋に落ちてしまいます。求婚したところ、あえなく玉砕。この曲の原稿はその彼女テレーゼ・マルファッティが持っていたという事と、悪筆のベートーヴェン。文字の解読が難しく紆余曲折があったりなんかして、エリーゼと読まれてしまいそのまま曲名になったと言われています。現在、そのエリーゼは、彼女ではないかと言われています(諸説あり)

*ベートーヴェンのコーヒー

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ハイリゲンシュタットの遺書を書いたハイリゲンシュタットの家(現:ベートーヴェン博物館)には、このような展示があります。
ベートーヴェンがこだわっていた「60粒の珈琲豆」が展示してあります(当時のものではありません)
なぜ60粒がベストなのかわかりませんが、計量が楽だった?でも、豆のサイズによっては誤差がすごいよなぁと思ったり、考えれば考えるほど頭が痛くなります。

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ベートーヴェンはこのような器具を使って飲んだとか言われていますが、実際の所、未だに不明らしいです。当時の主な淹れ方として、トルコ式の淹れ方なのか、浸出方式(ティーパックみたいな形)なのか、布のドリップなのか彼の淹れ方はどれなのか不明なようです。
ただ一つ分かっているのは、関係者の手紙によれば「ガラス」の容器でコーヒーを淹れていたという事実だけ。
60粒で淹れてみたことがありますが、筆者には薄すぎて辛かったです。
もしかしたら、日本人感覚でいうお茶をガブガブ飲むような感じでコーヒーを飲んでいたかもしれません(推測ですが)
豆の煎り方によっても差が激しいし、産地によっても変わるので、同じような珈琲を再現したくてもできないのです。

これも一つのロマンとして飲むのも一興かなと思った次第です。

ベートーヴェンにまつわるカフェがウィーン市内にあります。
「Griechenbeisl」と「 Frauenhuber」は老舗のカフェとして有名なのですが、食事がしっかりとれるカフェになっていて、シュニッツェルなどが出ます。

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「Griechenbeisl」
ベートーヴェンやシューベルト、リスト、有名人の直筆サインが書いてある部屋があるお店です。

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「 Frauenhuber」
モーツァルトやベートーヴェンが演奏した場所がここになります

今回の場所

*今回の場所*
・Griechenbeisl(ベートーヴェンのサインがあるカフェ)
・Café Frauenhuber
(かつて、モーツァルトやベートーヴェンが演奏会を開いた場所)
・カールの家(Ballgasse 4)
・パスクァラティハウス
・ベートーヴェン博物館
(順序不同)

*写真は全て私個人が撮影したものです。無断転載を禁止します。


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